ベテラン職人がこっそり教える 長浜ラーメンを美味しく作る秘密とは?
1976年創業の長浜ラーメン店
福岡のラーメン好きならば誰もが西に向かう。室見川を渡る今宿新道沿いは「ラーメン街道」とも呼ばれるほどの、福岡屈指のラーメン激戦区。その中でも根強いファンが多い店が『長浜ラーメン 福重家』(福岡県福岡市西区福重2-4-21)である。
創業は1976(昭和51)年。1980年から現在の福重で店を構えた。寿司屋や焼肉店など数々の飲食店を営んでいた先代は、長浜の屋台で食べるラーメンが大好きだった。自分も美味しいラーメンを作りたいと、人気屋台『長浜一番』で修業を積んでこの店を開いた。
今や長浜ラーメンと博多ラーメンの境界線は曖昧だ。福岡に住む人はもちろん、ラーメン店を営む者でさえも、その違いを明確に語れる人は多くない。長浜ラーメンとは何なのか。長浜ラーメンを看板に掲げる理由とは何なのか。なぜ長浜からは遠く離れた福重の地で長浜ラーメンを出しているのか。
毎日でも食べられるのが長浜ラーメン
創業者の息子であり二代目店主の秋山康幸さんは、東京のレストランで洋食の料理人として腕をふるっていたが、1990年に福岡へ戻り先代である父親の跡を継ぎ、ラーメンの世界へ身を投じた。秋山さんが考える長浜ラーメンの魅力は「毎日でも食べられる」ことだ。
「最近のこってりしたラーメンも美味しいけれど、毎日食べると飽きがくるでしょう。長浜ラーメンはコクがあるけれどあっさりしている。毎日喰えるのが長浜ラーメンのいいところだと思います。うちの店にも毎日来て下さる常連さんが結構いるんですよ」(長浜ラーメン 福重家 店主 秋山康幸さん)
福重家のスープは油分などが浮いておらず、あっさりとした味わいになっている。しかしながらスープを一口すすると見た目とは裏腹に、どっしりとした骨の旨味の存在感があり、あっさりしつつもコクがある「毎日でも食べられる味」。まさに秋山さんが考える長浜ラーメンの在るべき姿が、見事に表現されているのだ。
大きな羽釜を使いバーナーで炊き上げるスープ
スープに使われているのは豚の頭骨とゲンコツのみ。直径1メートルほどの大きな羽釜の中には豚骨がぎっしりと詰まっている。羽釜は寸胴と違って釜の中で対流が生まれやすく、しっかりと骨の旨味を抽出出来る利点がある。その羽釜を熱効率の高い釜戸で囲い、通常のラーメン店よりも火力の強いバーナーで長時間炊き続けることで、さらにスープの深みは増していく。
そして、焦げるギリギリのタイミングで火を止めてガラを一気に抜く。一番骨の旨味が出るのはそこだと秋山さんは考えているからだ。しかし福重家では大量の豚骨を使うためガラ抜きも一苦労。そこで豚骨はカゴに入れて羽釜に沈める一工夫。ガラを抜くタイミングで鎖に繋がれたカゴを引き上げることで、大量のガラを一気に抜くことが出来るのだ。
「もちろん炊き方も大事ですが、いい骨を使うことも重要です。歳を取り過ぎた豚の骨だといい味のスープは出ないんです。良い素材を入れてくれる業者さんとの関係も、美味しいラーメン作りには欠かせません」(秋山さん)
「これでいいと思った日は一日もない」
「その時にパッと美味しいラーメンを作るのは簡単なんです。でもそれを毎日継続して美味しいラーメンを出し続けていくのだけは、何年やっていても難しいですね。私ももう長いことラーメンを作り続けて来ましたが、これでいいと思った日は一日もありません」(秋山さん)
昔のお客さんと今のお客さんでは味の好みや感じ方が異なる。今よりももっと美味しいラーメンが出来るように、もっと喜んで貰えるようにと、秋山さんは日々改良を続けている。そうでなければこのラーメン激戦区で、変わらぬ人気を保ち続けることは到底出来るわけがない。
「でもね、素材が良くても作り方が良くてもね、やっぱり最後は『気合』なんですよ。釜に向かって『旨くなれ!もっと出ろ!』って思いを込めないと、美味しいスープは出来ません。だからスープだけは従業員には任せられないの。自分で羽釜と向き合わないと、美味しいラーメンは出来ないと思っているんです」(秋山さん)
※写真は筆者によるものです。
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