日本初の軽トラ屋台が発祥 老舗豚骨ラーメン店三代目の挑戦
日本で初めて軽トラックでラーメンを作った老舗
福岡北九州市小倉に、半世紀以上愛され続けている一軒のラーメン店がある。昭和40(1965)年に創業した『珍竜軒 総本店』(福岡県北九州市小倉北区三郎丸1-5-5)だ。
日本で初めて軽トラックの屋台でラーメンを作り始め、路面店を経て開業55周年の節目の年に、新たな店舗での営業をスタートさせた。真新しい明るい店舗にはサラリーマンや家族連れなど、老若男女問わず多くの常連客が次々と入ってくる。慣れ親しんだ客一人ひとりの顔を見て、麺を茹でながら笑顔で声をかけているのが三代目店主の品川徳孝さんだ。
『珍竜軒 総本店』を創業したのは品川さんの祖父。子供の頃から祖父の作るラーメンを食べて育ち、大学時代にはアルバイトとして店を手伝って品川さんだが、親からは店を継げとは言われなかった。大学卒業後にゼネコンに就職するも、接客業や飲食業の楽しさが忘れられず職を辞して、家業のラーメン店を継ぐことを決めた。
以前と同じでは先代や先々代に負けてしまう
「最初はやはり慣れない仕事で苦労しましたが、先輩や常連客の方達に育てられて少しずつ出来るようになっていきました。その後、フランチャイズ店舗の立ち上げを任されるようになって、そこでかなり鍛えられたと思います」(珍竜軒 総本店 店主 品川徳孝さん)
飲食店では代が変わって味が落ちたと良く言われるが、客側の先入観やイメージに因るところも少なくない。長く愛された店の場合、味だけではなく人に客が付くのは当然のこと。老舗で先代と比較されるのは、後継の「宿命」とも言えることだ。
だからこそ、品川さんは代々受け継がれている基本の味は守りながらも、接客面や居心地の良さを徹底的に追求し、客とのより深い信頼関係を構築することを自分の武器にした。
「以前と同じことをしているだけでは、先代や先々代に負けてしまうんです。だから僕はそれ以上を目指さなければいけません。以前は正直そこまでお客様に気配りが出来ている店ではなかったと思うのです。味はしっかりと守りながら、もっとお客様に愛される店にしていこうと決めました」(品川さん)
ラーメンの真髄を味わう「だしかけラーメン」
『珍竜軒 総本店』のラーメンは、臭みのないスッキリとした味わいの食べやすい豚骨ラーメン。豚ゲンコツや背ガラを丁寧に炊いた豚骨スープは、フレッシュな旨味を守るためその日のうちに使いきる。熟成させた細麺は適度な歯切れと程よい弾力が心地よく共存している。屋台での創業以来、半世紀以上にわたり地元で愛され続けてきた、北九州豚骨ラーメンの歴史に欠かせない一杯だ。
三代目はこのスープと麺をストレートに味わって欲しいと、新たなメニューを考案した。それが「だしかけラーメン」だ。最低限の具材しか乗っていないので、スープと麺の美味しさをしっかりと楽しむことが出来る。メニューに登場以来、リピートする客も増えているという。
店も三代、客も三代。
三代目になって店も新しくした。長年親しまれた旧店舗の隣に出来た二階建ての新店舗は、一階がカウンターで二階がテーブル席と小上がり席という作り。足腰に負担がかかる年輩客から、赤ちゃんがいる家族連れにまで配慮した空間になっている。
今、全国の個人飲食店では事業継承の問題が起こっている。店主が高齢化し現場に立てなくなり、後継ぎがいない店が惜しまれつつ暖簾を畳むことも少なくない。しかしながら、北九州の地で半世紀以上愛されている老舗のバトンはしっかりと渡された。
「新店舗を作ったのもやはりお客様のために。僕も三代目ですが、お客様も三代で来て下さる方が多いんです。年配の方や小さなお子様はカウンター席だと過ごし辛いので、お昼時でも二階でゆっくり過ごして頂きたいと思ってこの店を作りました。今後は北九州以外の方たちにも食べて頂けるよう、全国の主要都市に直営のお店を出せたらと思っています」(品川さん)
※写真は筆者によるものです。
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