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足元の貧困に地方政治はどう向き合っているか、あるいはいないのか―埼玉県秩父市議会の場合

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 貧困と格差の拡大は今の日本でもっとも緊急の課題であり、メディアでも国政の場でも取り上げられることが多い。しかし、地方の小都市や農村における貧困は、目に見えず、ほとんど取り上げられることもない。だが、現実には住民のくらしの奥深くに沈みこんで拡がり、地域社会を蝕んでいる。地方政治家はこの目に見えない貧困にどう向き合っているか、筆者が住む埼玉県秩父市議会で最近あった出来事に触れながら考察する。なお、本稿では登場する議員はすべて実名表記した。選挙に立候補して選ばれ、人々の暮らしを左右する公職につくものとして、当然責任ある発言をしているはずだからだ。

◆ほんとに貧困なんてあるの?と問う議員さんたち

 秩父市は首都圏西部の山間地域に位置する人口六万人の典型的な地方小都市である。盆地に拓けた町場の背後には急傾斜の森林地帯が続き、人口減少と高齢化に悩む集落が点在する。

 昨年4月、市長選挙があり、僅差で現在の北堀篤市長が勝ち、3期12年ぶりに市長が交代した。新しく就任した北堀市長は格差と貧困の解消を自身の市政方針の柱の一つであることを表明してる。2021年12月議会12月9日の一般質問で新社会党の金崎昌之議員に政治姿勢を問われて次のように答えている。

「地域の住民のためになるかどうかが基本になっております。よく私が言っていることは、社会的に恵まれている方、経済的に恵まれている、またその中で社会的地位に恵まれている方、こういった方たちは基本的には政治の力は要らないんだろうというふうに思っております。三角のピラミッドということの中では、低年層(ママ)の一番下のほうの層の人たちが、よく声なき声というんですが、その人たちのためになるかどうか。そこでセーフティネットを通じて何とかその声を拾い上げて・・・」

「誰のために政治をやるのかということだと思うんです。私にしては、この地域の市民のため、そしてまた社会的弱者の小さな子どもから、そしてまた高齢者の方々、幅広く皆さんのためになることを常に考えながら努めていきたいというふうに思っています。」

 その市長が選挙公約であった「令和5年度新入学児童へのランドセルを現物支給」について、11月24日に定例会で以下のように提案した。

「経済的に恵まれている家庭と生活に困窮している家庭がある中で、大人の格差社会を小学生である子どもの世界に持ち込みたくないという私の強い思いから、令和5年度の新入学児童が同じランドセルとなるよう現物支給するための予算を措置するものでございます。なお、保護者の方々がランドセルの予約、購入をする前に市の方針を示す必要があることから、新年度予算をご審議いただく前に債務負担行為を設定させていただくものでございます。」

 この提案に市議会最大会派である保守系会派の清流クラブとそれに同調する議員がいっせいに噛みつき、否決してしまった。この公約は、市民の間、特に新入学児童を持つ家庭には期待する声が相当にあった。それにもかかわらず、なぜそんな事態になったのか、議会での議員たちの言説を追いながら、政治のはざまで無視同然に扱われる地方小都市・農村の貧困について考えてみた。

 ランドセル支給についての市議会での審議は、11月29日の定例会での質疑から始まった。定例会ではランドセル支給を批判する立場から清流クラブの浅海忠、木村隆彦、黒澤秀之の各議員に加え、清流クラブ外から清野和彦議員が質問に立った。浅海議員の質問からこの提案に反対する論理を追ってみる。

 浅海議員は、ランドセルには10万円を超す物から数万円ものまである、経済的理由で小学校入学時から子どもたちに格差を味合わせたくないという市長の発言をとらえて、次のように述べる。

「裕福と思われる家庭が10万円以上のランドセルを皆さんが買っているのか。また、生活に大変苦労している方が必ずしも安価なランドセルを買っているというのは、実態としては分かりません。生活にゆとりのある家庭は高いものを買う、生活に厳しいご家庭は安価なランドセルを買うという固定観念とも取れる。また、高いものはよいもの、また安いものは悪いもの。言い換えると、ランドセル自体の機能性や子どもたちが真に欲しいものを選ぶという行為よりも、経済力の豊かさや値段によって子どもたちに優劣をつける差別や偏見を市長自身が思っていられるようにも聞こえるんですけれども、いかがでしょうか、伺います。」

 「今回のこのランドセルについては、(中略)ほとんどの方は、子どもたちは自分が好きなものという感覚で選んで、それを実際買うのが、例えばおじいちゃん、おばあちゃんがプレゼントしてくれたりとか、もちろん保護者が買ってあげたりとか、買い方にはいろんな買い方があると思います。ですから、子どもたちの自由なそういったものを取り入れていくのが本来の筋ではないかというふうに考えられます」

 この秩父市議会議員の目には、現代日本社会で最大の問題になっている格差とか貧困という概念は存在していないのだということに、議事録を読み直してみて改めてびっくりした。同時に、地元秩父市には貧困など存在しない、とどうやら思い込んでいるらしいことに、二度びっくりした。

 清野議員はこの問題でいくつかの論点を出して質問している。①せっかく公費で支給しても転売されてしまうのではないか、②経済的に困難な家庭には就学援助制度があり、その中に入学前支給というのもある、これを利用すればいいではないか、③そもそも校則にランドセルを使えというのがあるのか、④特別支援学校、私立校、フリースクールに通う子供はどうするのか―などだ。ここでも、貧困問題はどこかに消し飛んでいて、清野議員の頭になかに存在しているとは思えない。唯一②がそれに関連するが、市教育委員会は次のように答弁している。

「就学援助の支給、新入学児童生徒学用品等についてでございますけれども、令和3年度の内容になりますけれども、学用品、小学生ですけれども、5万1,060円という金額になっておりまして、ランドセルも買えるんですけれども、ランドセルを買ってしまうと、ほかの学用品が買えないというふうな状況になろうかと思います。」

◆議会が屁理屈とデマ宣伝の場に

 次に、定例会での質疑に続いて同日11月29日に行われた文教福祉委員会の議論を追ってみる。秩父市議会では委員会議事録は公表していないということで、市情報公開条例を利用して手に入れたものだ。ここでは清流クラブの黒澤議員が活躍している。

 黒澤議員がここで最大の問題として提起しているのは「(これは)子育て支援としての施策なのか、困窮者支援としての施策なのか、そもそもそこはどちらなんですか」ということである。そして「そもそもランドセルに格差社会というのがあるですか」と問う。

 「子育て支援なのか困窮者支援なのか」について黒澤議員はよほど気になるらしく、質疑になかで繰り返し聞いている。どうもこの論理がよくわからない。子育て支援と困窮者支援は相反する概念ではなく、重なり合う問題であることは誰もがわかる。だから聞かれた教育委員会は、どちらもですと答えるしかない。議事録では以下のような答弁をしている。

「まずは経済的な負担軽減ということと、健全な子どもの育成という形で両方がはいっているというような形で検討はしております」

 また、ランドセルに格差社会があるかどうかという質問には、「確かに格差ということになると、先ほど言った高価なものから低額なものまでということの部分でいえば格差という部分があるかと考えております」と、社会の常識からいっても、至極当然の答弁を行っている。

 しかし黒澤議員は納得しない。長い質問時間をとって、同じことを繰り返し聞く。その内容を議事録からいくつかの言葉を引用して紹介する。

 1つは、ランドセルで子どものいじめがあるのかどうかという問題。教育委員会はそれは聞いていない、と答弁し、黒澤議員はでは格差はないではないか、とつめよる。教育委員会が把握していないから、いじめはなく、だからランドセルついての格差はない、各家庭の子供が好きなものを選べばいいではないか、という論理で質問を展開する。 

 ここには、教育委員会は子どもの現場の状況をすべて承知しているという前提がある。これまで各地で子どものいじめが問題になり、裁判になった例も多い。その時しばしば教育委員会の対応が問題となり、教育委員会自体が問題を把握していなかったか隠していたことが判明している。秩父市の教育委員会がそうだとは言わないが、いまどき教育委員会が把握していないから、いじめはないという論法が通じるなどと思う人はいないのが常識だ。

 しかし黒澤議員はそのことにお構いなしに三段論法を組み立て、強引にランドセル格差はないから、この施策はおかしいと話を進める。そして次のように決めつける。

「要はそのランドセル、生活に苦しい方々はランドセルを買えない状況になっていますよということはないということでよろしいですか。」

 黒澤議員の話は,言葉は多いのだが、言ってることが錯綜し、論理が一貫していないので読み解くのに苦労する。何度も読み返して、やっと市長のランドセル支給は意味がないということを言いたいのだなということが分かった。それも、誤った前提の上に強引に三段論法をのっけた代物で、説得力はまるでない。かつて東大話法とか霞が関話法という言葉が流行語になったことがあるが、その伝で行くと黒澤議員のこのめちゃくちゃ論理は詐術話法といえるかもしれない。

 なんでこの議員は苦労してこんな屁理屈をこねるのか、何かあるはずだと議事録を読み進むと、あった。これが言いたかったのか。議事録をそのまま書き写す。

「この施策を通じていろいろな市民のうわさもお聞きします。あくまでも私の意見ではないので、市民の意見として1つだけ最後にお話して私は終わりにしますけれども、結果的にこのランドセルの現物、目的と手段がもう全く違っていて 手段を先につくって目的を後から後づけいるような状況ですから、市民の皆さんはいろいろ勘ぐります。某旅館施設が某老舗の百貨店に対して大分借金があって、それを穴埋めするためにランドセルの現物を作らせて、そこの老舗百貨店に受注させる、そういったうわさがにわかにTwitterやSNSで拡がっています。要はこの施策は、個の営利を追求するために後から理由をつけたような施策であるのを市民の皆さんはうわさしています。名前をいうとあれですけれども某老舗の百貨店さんもそんなうわさが立ったんでは商売も厳しくなってしまう。逆にいうと、そんなうわさを立てられたこと自体が迷惑な話であって、その根幹はやはり施策の根幹、本の部分が困窮世帯の支援なのか、子育て支援なのかもそもそもよくわからないような状況で出発して、いつになっても何の目的かが分からないような状況があるということが問題だというふうに私は思っていますし」

 率直に言って、卑劣で品性下劣の見本のような発言だが、黒澤議員はこれが言いたくて堂々巡りの、支離滅裂の質問を長々と続けてきたのだということが分かる。まず、自分の意見ではない、市民のうわさ話だと断って出所不明のSNSを持ち出して、「某」「某」と連発しながら個人攻撃をする。それもある種の犯罪をにおわせるようなもってまわった言い方で匂わす。北堀市長の実家の家業は旅館業であり、秩父市には百貨店は創業1749年という文字通り老舗の百貨店が一つあるだけである。地元では誰も「某」とは誰か、すぐわかる。

 この「うわさ話」で黒澤議員はランドセル納入業者は某老舗百貨店であると匂わせている。しかし11月29日議会定例会で清野議員の質問に答え、教育委員会事務局長が「現物支給のどのような業者になるのかということですけれども、契約関係につきましては現在検討中でございまして、市内業者等に限定して入札を行うようになるのかなというふうに、現在のところではそのように考えております」と答え、受注業者はこれから入札で決まると答弁してる。

 小さいメディアであるが、国際的には定評がある調査報道メディアの顧問弁護士にこの議事録を見せたところ、「某」とことわってもどこのだれか明らかになる場合は名誉棄損で刑事告訴が成り立つと同時に民事で損害賠償を請求できる、という答えが返ってきた。続けて、秩父市議会は委員会という公の席でこんな発言がなされたことに何の反応もないのですか、ひどい議会ですね、と逆に問われた。文教福祉委員会の委員長は清流クラブ所属の赤岩秀文議員だが、名誉棄損で刑事告訴もまぬがれないほどの発言になんの注意もしなかった。ちなみに当の黒澤議員は秩父市議会副議長である。

◆市議会の中にはまともな意見もある

 文教福祉委員会の赤岩委員長は、12月15日の市議会定例会における委員長報告で「本案は、挙手採決の結果、挙手少数により否決すべきものと決定いたしました」と報告した。この報告に清野議員が賛成意見を述べた。長くなるので省くが、議会議事録から全文を「注2」で入れておくので読んでほしい。内容を一言でいうと、黒澤議員の論理もくそもない意見とデマ扇動のためにする意見をまともに受けて、それを軸にまとめたもので、貧困や子育ての困難さの状況をどう考えるかということについての論及は一切ない。

 このまま終わると秩父市市議会の名折れなので、まともな意見もあることを紹介しておく。一つは共産党や山中進議員のこのときの質問である。山中議員は、この市長提案否決の結論は市民の意向に本当に沿ったものであるかと問うた。これも「注3」で読んでほしい。

 新社会党の金崎議員は、貧困と格差を中心に市長提案賛成意見を述べた。これも「注4」に入れておく。現在の日本社会を覆う貧困と格差の実態を踏まえ、秩父市でも貧困と格差が顕在化してきていることを指摘する見事な提起だった。どうか一読いただきたい。

 ◆本当に秩父市に貧困はないのか

 この記事を書くにあたっての、まず貧困問題についての自身のスタンスを明らかにしておく。筆者自身も反貧困の運動の中に身をおいて活動を続けている。21年春、コロナの拡大の中で仕事をなくし、」暮らしがたたなくなって食えない人が増えている状況の中で各地のコメや野菜をつくっている農家と、反貧困ネットや移住連、山谷などで活動している市民運動とをつないで、コメや野菜を送る運動を始め、その延長で農村と都市の運動が一緒になって政治に食の貧困の解決を迫る運動を立ち上げた。4月には貧困最前線の状況を踏まえ、議員会館で各党との政治対話を行いたいと準備を進めているところだ。(注1)

 反貧困ネット事務局長の瀬戸大作さんは仲間の一人だ。海外から働きに来てコロナ禍の中で住も食も失った人たちを支援しているグループ、各地の子ども食堂やNGOによる食料配給活動とも一緒に行動している。

 この原稿を書こうと思ったのには二つの理由がある。一つはランドセル問題が市議会で議論になっているころ、日ごろ日常の挨拶を交わす方々から、「市議会は一体どうなっているの」という質問をたくさん受けたことだ。気になって議会傍聴をしたり議事録を読み込んだり、議員の何人かに話を聞いたりした。秩父市民のひとりとして、これは恥ずかしいなと思った。

 もうひとつは、市民の代表である市議会議員の最大会派やそれに同調する一部議員が、秩父市には貧困はないとどうやら思い込んでいることについての異議申し立てである。先に述べたように、私自身、貧困問題に正面から取り組んでいる。その中の仲間「女性のための女性による相談活動」を行っている実行委員の女性の話を聞くと、ひとり親で子育て中の女性の困難さは息をのむ。

 秩父市議会に戻ると、ランドセル議案を葬った清流クラブには、前回の補欠選挙で女性票を大量に集めて当選した宮前昌美議員もいて、文教福祉委員会でも質問しているが、話はランドセルは重いのではないのかとか、支給されてもメルカリで売られてしまうのではないかといった話に終始し、貧困や格差の話は一切出てこない。この人は何のために議会に出てきたのか、と思いながら議事録を読んだ。

 ではほんとに秩父市には貧困はないのか、一つだけ数字をあげておく。市町村統計を開くと「1人当たり市町村民所得」という数字が出てくる。「埼玉県市町村民経済計算」で調べてみた。平成30年度が最新年なのでコロナの影響は入らないが、その年度で比較してみた。

秩父市の1人当たり市民所得が241万円万円に対し、近隣の熊谷市は304万円、飯能市は282万円、県全体では305万円となっている。年所得で秩父市民は熊谷市民より60万円、飯能市民より40万円、県全体より65万円少ないことになる。ちなみに埼玉県の全市のなかで秩父市は最下位である。清流クラブとそれに同調する清野議員は、この現実に目をつぶって何をしようとしているのだろう。

 貧困は格差を生み、ひとと社会を分断し、差別をはびこらせる。政治家として何をおいても取り組まなければならない課題である。

 もう一つ付け加えておく。貧困と格差解消を重点政策として掲げる秩父市の北堀市長は、選挙では自民党県連の推薦を受けた、れっきとした自民党員である。政治的にはリベラル保守に位置づけられる。その市長の足を市議会保守派が寄ってたかって引っ張り、新社会党と共産党が支える。この奇妙な構造を解くには、稿を改めなければならない。ここにもおもしろくてきな臭い話がたっぷりある。いずれ報告したい。

 地方自治は民主主義の原点だと思っている。自身が住む生活の拠点で何が起こっているかを知ることはこの国全体の状況に通底する。そう考えて、長々と書いてしまった。

(注1)

https://www.facebook.com/groups/288740595952326

(注2)共産党山中議員から

6番(山中進議員) 不平等とか、かばんについては提案の理由について、やはりどういう不平等があるのかとか、それから金額について出たのか。これでは駄目だというようなことが出たのか。それから、要するに皆さんの不同意の下にとあるんですけれど、市民は買ってほしいという、そういう声も多々あるということも含めて、そういうことも出たのかどうか、

どこが反対かというのは、修正しなきゃならないのかという、言葉だけで捉えて提案しているような感じがするんです。もともとこの事業については、皆さん聞いていて、駄目だとは言っていないみたいなんです。

(注3)清野議員のランドセル予算拒否提案への賛成意見 

令和5年度新入学児童へのランドセルの現物支給について、この定例会を通じて本会議での議案質疑、その後に開かれた文教福祉委員会での審査を通じて、多くの質問がありました。また、さきの私の一般質問でも質問並びに事業内容の変更について提案をさせていただきました。私は、ランドセルの現物支給を秩父市が実施することに大きな疑問を感じ続けています。子育て支援のための事業であるならば、そもそもランドセルの現物支給こだわる必要はないと思います。また、ランドセルの購入といったそれぞれの児童の皆様やご家庭の皆様の趣向や思いが強く反映されて当然の領域について、秩父市が強く介入することは市に期待されていることなのか、強い疑問を持っています。

  現在、ランドセルは、多種多様な色、仕様のものが流通しており、そこに制限をかけて選択をさせるということは、多様な選択肢を市が児童やご家庭の皆様から奪うことになりかねません。個人の多様性が尊重され、より一層、その意義が重要視される社会の中で、それに逆行するかのように映ってしまうこのランドセルの現物支給を今から始めるということは、様々な子育て支援、教育支援の施策が考えられる中で、秩父市が積極的に選び取るべき選択肢ではないと考えております。議案質疑や文教福祉委員会では、経済的な格差を義務教育の現場に持ち込みたくないという提案の理由がありましたが、ランドセルの違いを原因とした秩父市内でのいじめの事例は、教育委員会としても把握していないという回答でした。

  また、ランドセルの調達を入札で行う際に、予算額の1つ当たり5万円よりも安く調達できた場合は、令和4年度の新入学児童の皆様へは一律5万円の入学準備祝金を交付していることから、平等性の観点で問題があると考えます。

  さらには、受け取りを辞退された方々への対応として、代替の支援がないということも、子育て支援という観点から問題があると考えます。また、インターネットオークションサイトなどを通じた転売も危惧されます。この事業は、子育て支援なのか、それとも困窮者支援なのかという疑問もあります。

  また、そもそもランドセルが重過ぎるという問題があり、ランドセルの現物支給よりも、そのことを解決することが重要ではないか。今後、タブレットを使ったGIGAスクール構想が実装していく中で、ランドセルを持って通学するという通例自体を見直すときが来るのではないかという声もいただいております。

  以上のような様々な理由から、この事業についてはランドセルの現物支給にこだわらず、児童やご家庭の方々を支援するために、令和4年度と同様に入学準備祝金の交付とする、またはランドセルをはじめとする学用品の購入補助として各家庭で購入後に一定の金額を還付するといった事業に内容を変更することが望ましいと考えるため、入学祝品としてランドセルの現物支給を前提とした債務負担行為補正に反対をいたします。

(注4)金崎議員の市長提案賛成意見

  まず、ランドセルの現物支給1,975万円の債務負担行為について申し上げます。これについては、これをよしとしない様々な意見があることも承知をしております。いわく、多様性が重要視される社会に逆行するものだ。現物支給でなく現金やクーポン支給がよい。孫に贈りたいとする祖父母の楽しみを奪うものだ等々、これらはそれぞれに一理ある意見なのかもしれませんが、ランドセルの現物支給という方法は、市長が提案理由の説明で、経済的に恵まれている家庭と生活に困窮している家庭がある中で、大人の格差社会を小学生である子どもたちの世界に持ち込みたくないという私の強い思いから、令和5年度の新入学児童が同じランドセルとなるよう現物支給をするための予算措置をするものだと述べられたように、家庭の経済格差を子どもたちの世界に持ち込ませないための象徴的な取組なのだと私は理解しております。

  周知の事実でありますが、今、子どもの貧困率は13.5%で、およそ7人に1人。30人のクラスであれば、4人の子どもが貧困状態に置かれていることになります。これがひとり親世帯の貧困率となると48.1%に跳ね上がり、2人に1人の子どもが貧困に苦しんでおります。

  東京新聞は2019年11月6日付で、ランドセルが買えなくて、低所得のひとり親家庭、平均年収212万円、23%が貯金ゼロという記事を載せておりますが、貧困家庭では食費を削っている、給食がない休校期間中に子どもの体重が3から6キロ減ってしまった。2日に1回の食事しかできないので、水で空腹をしのいでいる。食事だけでも満足に与えてあげたいという声に見られるように、食べることにさえ困窮している実態があります。しかし、その一方で、テレビでは着飾ったアイドルの映像やグルメ番組のおいしそうな料理が日々画面に流れています。いや応なく目に飛び込んでくるきらびやかな世界と空腹をしのぐ我が家の現実。これほど貧困家庭の子どもたちにとって残酷なことはないと考えます。

  こうした格差社会の現実の前に、自治体を率いる首長として、せめて人生のスタートラインとも言える小学校入学時に、ランドセルのよしあしで子どもたちに格差を感じさせたくない、いじめの原因をつくりたくないといった社会的な弱者に寄り添うという強い信念は尊重されるべきものだと私は思っております。

  この間、この問題は、また単に子どもの貧困や格差対策にとどまるものではありません。これはインターネット接続事業者のBIGLOBEが1,000人を調査対象として、2019年にまとめた意識調査によると、生きやすいかどうかという質問に対し、年代ごとに差があり、20代が最も生きづらいと感じている割合が高く、何と8割に及び、全体でも7割以上が現在の世の中を生きづらいと考えているように、日本社会が抱える問題にも通じているものであり、また2015年に国連総会で採択されたところの2030年を目標年度にした誰一人取り残さないとする不平等をなくす国際的な持続可能な開発目標SDGsにも通じているものだと思っております。

  さて、このランドセルの現物支給は、茨城県日立市が今からほぼ半世紀近く前の1975年の新入学児童に、当時、第1次オイルショックが起きて、物価上昇の影響から、保護者への経済的負担の軽減と入学のお祝いという意味を込めて取り組み始め、今や茨城県内では日立市以外にも9つの市と町がランドセル配布に取り組んでいるといいます。文科省によると、このように現物支給という形でランドセルなどを支給支援している自治体は、全国的に存在するとのことであります。

  また、昨年度、福岡県内で初めてランドセルの現物支給に踏み切った大任町の永原町長は、その背景を次のように語っております。子育てをする上で、近年ランドセルの高額化に伴い、購入する際の経済的負担が大きいという保護者の声が多かったからです。対象となる児童の保護者48人にアンケートを実施したところ、多くの方から、経済的に助かる、ランドセルに価格差があるので、全員同じであれば、いじめの原因にならないなどの意見をいただきました。その結果を基に、ランドセルの購入価格の平均を調べ、1人当たり6万5,000円相当のランドセルを現物支給することにしましたと述べております。

  以上、見てきたように、ランドセル現物支給の取組は、コロナ禍の中で格差や貧困の拡大が一層顕著になり、秩父市においても子ども食堂や生理の貧困が取組課題となっている現在、子育て支援を大きくスローガンに掲げる秩父市にとって、時宜を得た大変意義深い施策であると考えております。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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