新型コロナ パンデミックにおける感染症専門医の医療情報収集と発信 3年間を振り返る
新型コロナの流行は、感染症専門医にとっても初めて経験する規模のパンデミックであり、啓発を行う上でも様々な学びのある3年間でした。
5月8日から新型コロナが5類感染症に移行し、WHO(世界保健機関)が緊急事態宣言(PHEIC)を終了するという一つの節目となりますので、私がこの3年間行ってきた啓発活動について振り返りたいと思います。
私自身は、元々新興再興感染症を専門とする臨床感染症医として病院で働きながら、 新興再興感染症、薬剤耐性、性感染症などの感染症に関する啓発活動を行っていました。
様々な啓発活動の一つとして、新型コロナの流行が始まる4ヶ月前の2019年9月からYahoo!JAPANのオーサーとして執筆活動を開始していました。
そんな中、新型コロナの流行が始まりました。
混沌とともに新型コロナの流行が始まる
中国の武漢で原因不明の肺炎が流行しているというニュースは、2019年の年末から報道されていました。
私も2020年1月4日に、その時点での情報をまとめて記事を書きました。
このときは、まさかここまで大きな規模の感染症の流行になるとは思ってもいませんでした。
その後、武漢市での大流行、そして世界中へ拡大していく中で、私のYahoo!で発信する記事もほぼ全て新型コロナの話題ばかりになりました。
これまでに300以上の記事を書き、新型コロナに関する様々な話題に触れてきました。
また、新聞社や報道番組からもお声がけいただくことも増え、可能な範囲で対応してきました。
私が関わらせていただいたメディア関係者の方々は真摯な方が多く、私自身も貴重な経験をさせていただきました。
私が主に記事で書いてきた、メディアで伝えてきたことは、
・医療現場の今の状況
・新型コロナに関する最新知見(ワクチン、変異株など)
・その時点で必要と考えられる感染対策
でした。
デマや誤情報が広がりやすい状況の中、少しでも正しい情報を届けたいと思ってこの3年間は主に週末に記事を書いてきました。
コロナ禍における医療情報の氾濫
新型コロナは全く新しい感染症でしたので、流行初期は分からないことばかりでした。
このため、流行開始からしばらくの間は凄まじい勢いで医学的知見が更新されていきました。
医療者として、常に正しい情報を探し続け、目の前の患者さんの診療に活かすこと、そして啓発に役立てることが私の使命だと思い、この3年は毎朝新しい論文のチェックを欠かさず行ってきましたが、2020年だけで10万以上の新型コロナ関連の論文が掲載されており、この中には後から内容が不正確であったなどの理由で取り下げとなった論文もありました。
論文を読む医療者にも、何が正しいのか、正しくないのか、医療情報を適切に解釈できる教養が必要であると実感しました。
変わりゆく科学的エビデンス、疾患の重症度、ワクチンの意義
私自身は新型コロナ以前も感染症の啓発を行ってきましたが、この3年間で特に難しいと感じたのは、日々変わりゆく科学的エビデンスに合わせて発信する内容も変えなければならなかったことです。
新型コロナの登場によって、感染対策の考え方も変わることになりました。
特にマスクや換気の考え方については、これまでのインフルエンザなどを想定した飛沫感染・エアロゾル感染対策の考え方とは大きな変化がありました。
例えば、新型コロナ以前は「咳エチケット」という考え方で一般社会での感染対策が行われていました。
つまり、咳やくしゃみなどの症状のある人が周りに感染を広げるので、症状がある人は飛沫を飛ばさないように、というのが新型コロナ以前の飛沫感染の考え方でした。
私も新型コロナから流行間もない頃は、無症状の人がマスクを着けることの意義は少ないだろうと考えていましたし、過去にそのような記事も書いています。
しかし、この感染症が「発症前から感染性があること」「唾液にウイルスが含まれること」が明らかになってからは、症状のない人も含めてマスクを着ける「ユニバーサルマスキング」が感染対策として重要であるという認識に基づき、マスクに関しても多くの記事を書いてきました。
このように、従来の感染症に関する常識が覆されることもありました。
特に流行初期は情報が洪水のように押し寄せてきましたが、とにかく専門家として最新の科学的知見に基づいて発信をする、ということを心がけてきました。
また流行初期と現在とでは疾患そのものの重症度も大きく異なります。
当初は5%を超えていた致死率も大幅に低下し、現在は0.22%となっています。
これは、ワクチン接種が広がったこと、そしてそれまでの変異株と比較して重症度の低いオミクロン株が広がったことが影響しています。
致死率5%の感染症と、致死率0.22%の感染症とでは、同じ感染症であっても当然ながら社会として警戒すべき度合いは大きく異なります。
私自身は臨床感染症医ですので、どうしても患者さんに寄り添う立場として、重症化リスクの高い高齢者や基礎疾患のある方を守る観点で記事を書いてきましたが、重症度が推移していく中で、私の記事の中での感染対策への協力を求める内容も少しずつ変えてきたつもりです。
日々変化する状況の中で、どこまで強く感染対策への協力をお願いすべきかは毎回悩みつつ書いていました。
新型コロナワクチンについての考え方も目まぐるしく変わってきました。
当初、このワクチンが登場した際は、極めて高い感染・発症予防効果と、重症化予防効果が認められていました。
また当時流行していた新型コロナウイルスは、重症度も高かったことから、全ての人が接種する意義が高いワクチンでした。
その後、オミクロン株が拡大して以降は、重症度が低下したことに加えて、ワクチンによる感染・発症予防効果も大きく低下してしまったことから、重症化リスクの高くない人にとっては追加接種する意義は相対的に低くなってきました。
一方で、重症化リスクの高い人にとっては、重症化予防効果を保つために引き続き追加接種を繰り返す意義は今も大きいと考えられます。
とはいえ、今のオミクロン株が広がっている状況においても、全ての人が初回接種+1回の追加接種するメリットが大きいと考えます。
繰り返される根拠のない批判や誹謗中傷
私の記事はとても多くの方に読んでいただきましたし、感染対策の啓発のためにも政府広報や報道番組にも出演することで、多くの方に届けることができました。
このこと自体は大変ありがたいことだと思っていますが、一方で弊害もありました。
例えば、ファビピラビル(商品名アビガン)やイベルメクチンが新型コロナに有効な可能性があり、積極的に使用すべきだという論調がありました。
これに対して私は「現時点では科学的根拠が十分ではないため、使用については慎重になるべきだ」と述べてきました(アビガンの記事、イベルメクチンの記事)。
この記事には特に非常に多くの批判がありました。中には非専門家による荒唐無稽なものもあり、感染症に関するリテラシー不足を実感しました。
同様に、私は流行初期からコロナ後遺症について注意喚起を行ってきましたが、これに対しても後遺症などというものは存在せず捏造であるとする記事などもありました。今では新型コロナ後遺症が存在しないと主張する専門家はほとんど存在しません。特に流行初期には、実際に診療に関わっていない方々からの批判にさらされることが多く、なかなか辛いものがありました。
ワクチンに関する記事については、ワクチン反対派からの凄まじい誹謗中傷が巻き起こり、私の職場にも毎日のように電話がかかってきたり、Wikipediaの記事が改変されたり、カミソリなどの脅迫と思われる郵便物が届いたりしました。
行き過ぎたものについては、粛々と法的な対応をしているところです。
こうした批判や誹謗中傷は、情報を届ける人が増えれば増えるほど起こりやすくなるものであり、啓発を行う者としてはある程度避けられないものであるとは思いますが、SNSで誰もが発信できる今の世の中では専門家に対する感情的な批判や脅迫が横行しています。
これは、日本の科学的リテラシーが未成熟であることも要因の一つであると思われます。
私自身は、この新型コロナという未曾有のパンデミックで感染症専門医として臨床の最前線に立ち、かつ発信できるという立場をいただいていたことから、こうした批判や誹謗中傷についてはある程度覚悟をしていましたが、次のパンデミックで専門家として発信する人にはこのような思いはしてほしくないなと思っています。
そのためには、SNSでの誹謗中傷を許さない厳格なルールが必要ですし、社会における科学リテラシーの充実が必要と考えます。
パンデミック下での啓発の意義と困難さ
この3年間は元々感染症の啓発を行ってきた筆者にとっては代えがたい経験と言えます。
特に流行初期は私の記事を読んで大変参考にしていただいたという感謝のお言葉をいただくことが多々あります。
また啓発活動を通じて、羽海野チカ先生に手洗いポスターを描いていただいたことは忘れられない思い出になりました。
一方で、臨床業務、研究活動、教育を行いながら情報発信を行うことの大変さも実感しました。
私は流行初期は国立国際医療研究センターで勤務していましたが、2021年7月からは大阪大学に籍を移し、大学病院の感染対策を任されるポジションになったこともあり、情報発信との両立はなかなかにハードな日々でした(いや、まあ情報発信の方は好きでやっているんですが・・・)。
見当違いな批判や誹謗中傷に悩まされることもあり、果たして自分は何をやっているんだ・・・と思うこともありましたが、楽しい職場に励まされながらなんとか続けることができました。
今回のパンデミックは、他にも有志の専門家による情報発信が行われましたが、次のパンデミックでは、政府からの積極的なリスク・コミュニケーションがより求められるのではないかと思います。
また、有志の専門家が、誹謗中傷から守られる仕組みづくりも期待したいと思います。
次のパンデミックで、どんな感染症の専門家がどのような媒体で、どのような発信をするのか分かりませんが、私も心から応援したいと思います。
とか言って、次のパンデミックでも一番情報発信してるのは私かもしれませんが。
最後に、私の3年間を支えてくれたのは音楽でした。
おかげでなんとかこの3年間を過ごすことができました。
アーティストの皆さまも、この3年間大変だったと思いますが、多くの人の心を救ってくれたと思います。
本当にありがとうございます。