【気候変動】パリ協定に基づく日本の成長戦略の「本気度」
政府は、4月23日に「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」(仮称)の案を発表した。4月2日に発表された有識者懇談会の提言を受けて作成されたものだ。5月16日まで、パブリックコメントを受け付けている。また、環境省は5月14日に京都で若者世代と、15日に仙台で地域のステークホルダーと意見交換会を実施する。
2015年に合意されたパリ協定は、地球温暖化を産業化前に比べ2℃より十分低く抑え、1.5℃未満を目指して努力する目標を掲げており、そのために今世紀後半に世界の温室効果ガス排出を実質ゼロにすることが必要とされている。
各国は、そのための長期戦略を2020年までに提出することを求められているが、G7諸国では日本とイタリアのみ未提出である。日本は議長国を務める今年のG20に何とか間に合わせるタイミングで、長期戦略を取りまとめている格好だ。
日本では、10連休や改元ということもあり、このことに関心を示す国民は多くないかもしれない。一方、英国では議会が「気候非常事態宣言」を承認したし、オーストラリアの選挙では気候変動が争点になるなど、世界で気候変動問題の重要性の認識は高まる一方だ。
その重要な気候変動問題に、日本が長期的にどう取り組むか、しかもそれを通じて日本の経済成長をどう実現するかという方針が、今、決まろうとしている。
長期戦略の概要
長期戦略の概要はここにまとめられているので、ぜひご覧いただきたい。
簡単に紹介すると、まず、第1章に「基本的な考え方」として、
- 野心的なビジョン:最終到達点としての「脱炭素社会」を掲げ、それを野心的に今世紀後半のできるだけ早期に実現することを目指すとともに、2050年までに80%の削減に大胆に取り組む。
- 政策の基本的考え方:ビジョンの達成に向けてビジネス主導の非連続なイノベーションを通じた「環境と成長の好循環」の実現、取組を今から迅速に実施、世界への貢献、将来に希望の持てる明るい社会を描き行動を起こす。
の2点が強調されている。
第2章では、分野別のビジョンと施策の方向性が、エネルギー、産業、運輸、地域・くらし、吸収源対策の順に並んでいる。
第3章では、分野横断的な施策として、以下の3点が述べられている。
- イノベーションの推進
- グリーンファイナンスの推進
- ビジネス主導の国際展開、国際協力
第4章で「その他」として、人材育成、公正な移行、適応策、カーボンプライシングといった話題が触れられ、最後に第5章でレビューと実践について述べられている。
産業界と金融界の存在感
この戦略案の内容は、当然のことであるが、これに先立って発表された有識者懇談会の提言に沿っている(懇談会のメンバーはこちら)。注目すべきは、有識者懇談会の提言が、かなりの程度、それに先立って3月19日に発表された経団連の提言に沿うものになっていることだ。
まず、脱炭素社会を目指す野心的な「ビジョン」は、必達目標である「ターゲット」と区別されており、あくまで「あるべき姿」と位置付けられている。これは経団連の提言に沿った形だ。ビジョンが骨抜きになることを危ぶむ向きもあろうが、筆者自身は、これは悪いことだと思わない。現在できることの積み上げで将来を考えると、控えめな目標にならざるをえない。そうではなくて「今はどうやればできるかわからないけど、とにかく目指す」と決意することが今は必要である。これは、一般的にいって、今まで日本人が苦手にしてきたことだ。
次に、「非連続なイノベーション」を通じて「環境と成長の好循環」を実現するとしており、これも経団連の提言のとおりだ。これについても、筆者は基本的に歓迎する。人類は温室効果ガスの排出に関して厳しい制約の下に置かれているが、これに規制的、管理的な発想のみで対応しようとすると、経済縮小、人口抑制といった萎縮的で後ろ向きな話になり、そもそもやる気が出ない。そうではなくて、人類はこの問題を、創造的な方法で前向きに乗り越えていく発想が必要であり、世界の論調もそのようになっているようにみえる。
もう一つ、この戦略で特徴的な点は、「グリーンファイナンスの推進」に述べられている、金融界の積極的な役割だ。環境、社会、ガバナンスに配慮したESG投資や、企業に気候関連リスクの情報開示を求めるTCFDが世界的に大きな影響力を持ち始めており、日本企業もそこから逃れることはできなくなっている。そこで、日本の金融界と産業界が、むしろ積極的にその流れに乗り、世界の脱炭素化に貢献することにより企業価値を高め、投資を呼び込んで成長する方針が打ち出されている。これはいうまでもなく結構なことだ。
非連続なイノベーションとは?
さて、筆者は産業界が「非連続なイノベーション」を目指すことを基本的に歓迎するが、その内容には違和感もある。戦略の本文には、再生可能エネルギーや省エネルギー関連のイノベーションも十分に書き込まれているが、概要で例示されているのは「水素」と「CCU」だ。
水素はエネルギーの貯蔵・輸送媒体として期待されている。CCU(CO2 Capture & Utilization)は、CO2を原料として燃料や化学品を合成することで、将来、人類が石油を使わなくなった時には必要になる技術である。どちらも低コストで実用化できれば、脱炭素社会の実現にとって魅力的だ。
しかし、ある程度詳しい人には常識的なことだが、水素は他のエネルギー源から製造する必要がある二次エネルギーであり、CO2を出さずに低コストで作るには再エネなどの低コスト化が前提になる。また、CCUで作った燃料は、それを使ったときに出てきたCO2を再び回収しない限り、結局はCO2排出になってしまう。
つまり、筆者の認識では、どちらも現時点では補完的な技術にみえるのだ。これを、技術に詳しくない有力な政治家などが、「水素とCCUが実用化すれば、化石燃料をいくら使っても大丈夫」みたいに誤解してしまうことがあると非常にまずいと思う。
「非連続なイノベーション」というと、目新しい技術を連想しがちなのだろうが、単に再エネ+バッテリーがめちゃくちゃ安くなれば、「非連続的に」再エネが普及し、社会とエネルギーの付き合い方が「非連続的に」変わるだろう。エネルギーはS+3E(安全性、安定供給、経済性、環境適合)のバランスが重要というが、再エネがS+3Eをすべて満たす存在に「非連続的に」進化するようなイノベーションにも期待したい。
他にも例えば、製鉄の脱炭素化については述べられているが、鉄を別の材料(たとえば炭素繊維)で代替するようなイノベーションには触れられていない。運輸の脱炭素化については述べられているが、テレプレゼンスロボットによって移動ニーズ自体を代替するようなイノベーションには触れられていない(テレワークにはちょっと触れている)。
つまり、イノベーションの方向性が、経団連の主要企業が好きそうな内容に偏っている感が否めない。「技術のイノベーション」には15ページを割いているのに対して、「社会経済システムのイノベーション」と「ライフスタイルのイノベーション」はそれぞれ半ページで、具体論が皆無だ。「脱炭素ものづくり」は強調されているが、「コトづくり」にシフトして成長しようという姿勢は感じられない。
脱炭素イノベーションのアイデアの俯瞰は、今後、より多様な発想を得て深めていく必要があるだろう。
石炭低減の本気度
この戦略の発表に先立って、有識者懇談会の座長案にあった「石炭火力は長期的に全廃する」という方針が、産業界の反対により「依存度を可能な限り引き下げる」といった表現に調整されたという報道があった。
筆者は率直に申し上げて、この調整は意味がわからない。期限を切らずに「長期的に」というだけならば、脱炭素を目指す以上、石炭火力はいつか全廃するに決まっているからだ。正確にいえば、CCS(CO2 Capture & Storage)技術を用いてCO2を地中に封じ込めるならば、その分は石炭火力(や他の火力)を使っても脱炭素と矛盾しないので、「CCSの無い石炭火力は長期的に全廃する」でよいのではないかと思う。
おそらく、「長期的な全廃」を明示することが短中期的な石炭火力利用にも足かせになることを嫌がる人たちがいるということだろう。エネルギー価格の上昇が国際競争力に影響をもたらす製造業、高効率で「クリーンな」石炭火力の研究開発に注力してきたエネルギー産業、そして、新規の石炭火力を計画したり着工したりしている事業者などがそのように考えるのはよく理解できる。
しかし、期限を切らない「長期的な全廃」も書き込めないほど腰が引けているようでは、この戦略の「脱炭素ビジョン」の本気度に、残念ながら疑いを差しはさまざるをえない。
日本社会が石炭と手を切るのは、経済的、技術的な問題にとどまらず、政治的、文化的な問題でもあり、想像以上に難しいことなのかもしれない。カナダのアルバータ州では、2030年までの脱石炭に先立ち、大手電力会社に補償金を支払っているそうだ。ちなみに、奴隷制が廃止された際も、奴隷所有者に補償があったという。日本の戦略は、そこまでの覚悟をもって石炭と手を切ろうという決断には程遠いものだ。
なお、先ほど触れた「CCS付き石炭火力」を筆者は積極的に押しているわけではない。戦略の本文でも述べられているように、CCSは(石油増進回収をともなう場合を除き)単独では経済メリットが無い。経済メリットが生じるためには、「炭素に価格が付く」必要があるのだ。一方で、経団連は炭素税などのカーボンプライシング(炭素に価格が付くこと)に一貫して反対している。これはCCSの推進と矛盾するのではないだろうか。
カーボンプライシングについての議論は経済学者に譲るが、今年1月に米国で27人のノーベル賞受賞者などを含む3500人以上の経済学者が、炭素税に支持を表明していることに留意しておきたい。
国民はどこにいるのか
最後に、この戦略全体を通じて、「国民」の存在感が希薄である印象を持ったことを指摘しておきたい。国民は、ビジネス主導のイノベーションに「巻き込まれる」存在であり、CCS等の技術を「受容する」ことが期待される存在であり、ライフスタイルを転換するように「啓発される」存在として登場する。
しかし、国民は、もし尋ねられれば、原発にも、石炭火力にも、再エネの乱開発にも、言いたいことがたくさんあるのではないだろうか。どんなイノベーションを望むのか、どんな利害調整を必要とするのか、どんな本気度・スピード感でこの戦略を実行することを望むのか、いろいろ意見があるのではないだろうか。
冒頭に述べたことを繰り返すが、世界的に重要度が高まる気候変動の問題について、日本がどう取り組み、どう成長につなげるかの戦略が、今、決まろうとしている。この戦略はすべての国民の生活や仕事や人生に影響をおよぼすだろう。
パブリックコメントは5月16日まで。
環境省の意見交換会は5月14日に京都(若者世代)、15日に仙台(地域のステークホルダー)。