タバコで「ストレス」が解消するのは本当か?
タバコを吸うのはストレス解消のためという喫煙者は多い。これは本当だろうか?
ストレスの父、タバコ産業と出会う
ある民間企業の調査(※1)によれば、喫煙する理由として「気分転換(73%)」に並び「ストレス解消(72.5%)」と回答した割合が多かった。
ストレス(Psychological Stress)の感じ方は、個々人で大きく異なる。少しくらいのストレスがあるほうが、むしろ健康でいられる場合も多い。
一方、脳卒中や心筋梗塞などの心血管疾患、胃潰瘍などの炎症、うつ病などの精神疾患など、ストレスが引き金になって発症する病気は少なくない。
ストレス原因のほとんどは、外的要因(ストレッサー、Stressor)だ。
このストレッサーという概念を提唱したのは、「ストレスの父」とも称されるハンガリー系カナダ人の内分泌学者、ハンス・セリエ(Hans Selye、1907~1982)だ(※2)。セリエはノーベル賞に10回ノミネートされたといわれ、ストレスに関する彼の著作は広く読まれてきた。
暑さや寒さ、騒音などの環境要因、栄養不足や飢餓、肉親の喪失、解雇やハラスメントなど社会的疎外、睡眠や休養の欠乏といった、本人が望まない外的要因がストレッサーだ。ストレッサーは身体の内的な平衡状態(ホメオスタシス、Homeostasis)を乱す。セリエは、その影響によって多種多様な病気が引き起こされると主張した。
セリエの主張は当初、それほど人口に膾炙していたわけではなかった。
ところが、タバコ産業がセリエに接触を試みる。米国のタバコ産業が、タバコに有利な研究に対する資金提供をするための団体(the Council for Tobacco Research、CTR)を作った1958年頃のことだ。
このことは、2011年に米国の公衆衛生学会誌『American Journal of Public Health』に出た「ストレスの父、ビッグ・タバコと出会う(The “Father of Stress” Meets “Big Tobacco”)」という論文(※3)に明らかだ。この論文は、タバコ会社などの内部文書の分析をもとに書かれている。
タバコ産業がセリエに接触した20世紀の半ば頃、タバコが健康に害を及ぼすという研究が少しずつ出され始め、社会的にも大きな問題になってきていた。タバコ産業は、そうした風潮の火消しに躍起になっていて、科学的にタバコの健康の害を否定するために医師や研究者を抱き込もうとし、研究資金などを提供して影響を及ぼそうとしていた。
タバコ産業は「ストレス悪玉論」を展開するセリエを利用しようとした。タバコはむしろストレスを解消するという主張を科学的に裏付け、タバコ会社が訴訟に巻き込まれた際にセリエの研究論文などによって反論したいと考えた。
こうしたアプローチに対し、セリエは最初、消極的だったが資金提供は受けたようだ。実際、タバコ裁判でセリエの学説がタバコ会社側に利用されたり、フィリップ・モリス社が主宰した1972年の国際会議にセリエが協力したことがわかっている。
やがて広報用の映像作品やパンフレットに登場するなど、セリエはタバコ産業側へ深く取り込まれるようになっていった。タバコ産業の「売り込み」もあり、セリエは「ストレスの父」と呼ばれるようになる。
タバコを吸うとストレスは解消されるのか
では、タバコを吸うとストレスが解消されるのだろうか。
タバコを吸うとストレスが解消されるのは事実だ。
だが、それは単にニコチン切れによるストレスが解消されるだけだ。タバコを吸うことで、ニコチン欠乏以外の本来のストレスが解消されるわけではない。
これはどういうことなのだろうか。
加熱式タバコを含むタバコ製品には、例外なくニコチンが入っている。ニコチンの依存性はアルコールやLSDより強く、コカインよりやや下程度であり(※4)、ニコチンは肺から数秒で脳へ到達し、短期間でニコチン依存症という中毒になる(※5)。
ニコチンは脳で作用してドーパミンという脳内物質を出させる。この回路はニコチン依存症になっていない人でも普通にあるが、ニコチンによるドーパミン放出はタバコを吸うことによって生じる強制的な作用だ。
タバコを吸わない人の正常な機能と違い、ニコチンによる刺激が繰り返されることで喫煙者の脳は次第に反応が鈍くなる。つまり、タバコを吸ってニコチンを補充しないとドーパミンが放出されにくくなってしまう。
ニコチンが切れ、ドーパミンが出にくくなると脳がストレスを感じる。タバコを吸うとニコチン切れのストレスが多少は軽減される。つまり、喫煙者は、これをタバコによってストレスが解消されたと感じる。
タバコを吸わない人の脳は、ストレスを感じたときにドーパミンが自然に放出され、ストレスを乗り切るように働く機能がある。だが、ニコチンによって鈍感になってしまった脳は、こうした反応が鈍くなる。ストレス耐性が低くなってしまうとも言える。
喫煙者は緊張したときによくタバコを吸いたがる、ニコチンを補充したいためだ。ドーパミンが出にくくなっているため、ニコチンに頼ってなんとか緊張をやわらげようとしているのだ。
換言すれば、喫煙者は自らわざわざストレスを生み出すタバコを吸い、ニコチン依存を解消することでストレスを軽減させるが、しばらくするとまたニコチン切れのストレスが溜まり、タバコに手を伸ばしてしまう。こうしたサイクルから抜け出せないのもニコチン依存の一側面と言えるだろう。
タバコでニコチン切れ以外のストレスは解消されることはない。むしろ逆にタバコはニコチン切れというストレスを生み出している。
タバコでストレスが解消されるというのは、タバコの健康への害を他へそらせるためにタバコ産業によって考えられた作為的な印象操作と言える。
タバコ産業が科学研究に資金を提供し、タバコを擁護する方向へ誘導する学説を出させる行為は少なくない。日本では、喫煙科学研究財団という外郭団体を持つJT(日本たばこ産業)が依然としてこうしたことを続けている(※6)。
タバコでストレスが解消されないとしたら、どうすればいいのだろうか。タバコ以外で気を紛らわせ、ストレスを軽減できるモノやコトに換えることをお勧めする。
例えば、ガムを噛んだり、タバコ休憩の代わりに会社の階段で1〜2階の上り下りしたり、屋上で軽いストレッチをするなどだ。禁煙サポートの薬局や薬店、禁煙外来などへ行けば、そうした際のアドバイスを蹴ることができる。
※1:損保ジャパン日本興亜ひまわり生命「たばこに関するアンケート調査〜禁煙に『成功した人』『断念した人』の本音調査」2019
※2:Hans Selye, "A Syndrome produced by Diverse Nocuous Agents." nature, 1936
※3:Mark P. Pettcrew, et al., "The “Father of Stress” Meets “Big Tobacco”: Hans Selye and the Tobacco Industry." American Journal of Public Health, Vol.101(3), 411-418, 2011
※4:David Nutt, et al., "Development of a rational scale to assess the harm of drugs of potential misuse." The LANCET, Vol.369, No.9566, 1047-1053, 2007
※5:Neal L. Benowitz, "Nicotine Addiction." The New England Journal of Medicine, Vol.362(24), 2295-2303, 2010
※6:Kaori Iida, et al., "‘The industry must be inconspicuous’: Japan Tobacco’s corruption of science and health policy via the Smoking Research Foundation." Tobacco Control, Vol.27, Issue.e1, 2017