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教育や保育の現場がたいへんなことに

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:イメージマート)

今の国会に、こども性暴力防止法案(「学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律案」)が提出されている。教育や保育の場における子どもに対する性暴力の防止を目的とする法律案である。

まだ実質審議には入っていないようだが、この中にいわゆる「日本版DBS」と呼ばれる仕組みが織り込まれている。これは、一言でいえば、過去における性犯罪前科の有無を確認し、該当者を教育や保育の現場から制限ないし排除する仕組みである。

法案にはいくつかの問題点はあるが、一番の問題はこの前科情報についての扱いである。

法案は、教育や保育の現場に教員等として就業を希望する場合、自由刑については過去20年間、執行猶予や罰金刑については過去10年間まで遡って、性犯罪についての前科の有無を国を通じて確認し、これに該当する者がいれば、教員等としての業務に従事させない等の措置をとらなければならないとしている。

民間の学習塾や認可外の保育所、スポーツクラブなど(民間教育保育等事業者)は前科の確認は義務ではなく、任意の「認定制度」が予定されている。しかし、認定を受けない事業者は競争上当然不利になるので、これは事実上の強制であることは否定できない。

学校や保育所などに就業を希望する場合、就業希望者がこの条件に該当すれば、本人にその旨が通知され、自ら就業希望を取り消せば他に前科情報が伝わることはない。

しかし、この制度は実は現職にも適用が予定されており、すでに教員等として就業している者についても、学校設置者等(4条3項)や民間教育保育等事業者(26条3項)は一定期間内に性犯罪前科の有無を確認しなければならないことになっている。

もしも該当すれば、直接学校設置者等や民間教育保育等事業者に通知され、「教員等としての業務に従事させない等の措置をとらなければならない」ことになる。小学校の先生の場合は配置転換も難しいことが予想され、実際には退職せざるをえないことになるのではないかと思われる。

このような制度が、はたして上手く機能するのだろうか。

現在、教育や保育などの現場で働いている人は、全国で140万人いる。民間の学習塾は30万件ほどあり、平均7人の従業員がいる。

法案が成立すれば全国の何百万人という先生について、過去20年まで遡って性犯罪前科の有無を調査しなければならない。

しかも、法案が想定している「性犯罪」の範囲は広く、刑法上の(強制わいせつ罪や強制性交罪等の)性犯罪のみならず、都道府県の迷惑防止条例(痴漢など)も対象となっている。

しかしとくに痴漢については、えん罪が社会問題となっていることは周知のことである。現行犯逮捕され、無実を証明することは容易ではないので、やむをえず罰金を支払って済ませたという事案もかなりの数あるのではないかと予想される。当然、この人たちにも性犯罪前科は残っている。

教育現場は、予想もできないような、もの凄いパニックになるだろう。

子どもに対する性犯罪は、抵抗できない弱い者を餌食にする、卑劣で被害者や家族にとっても悲惨な犯罪であることは当然であるが、本当にこのような制度が現実のものとなって良いのだろうか。

「日本版DBS」は、過去の前科情報に基づく制度だから、当然、初犯については無力である。前科による排除ということではなく、もっと犯罪の予防という点について、議論を尽くすべきである。(了)

【参考】(大阪弁護士会で、「日本版DBS」の問題点について話した動画が公開されました)

【拙稿】

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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