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パプアニューギニア「研究者誘拐事件」:その背景と現地調査中の研究者の安全を考える

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(写真:イメージマート)

 最近、パプアニューギニアでオーストラリアの考古学チームが誘拐されたが、無事に解放されたという事件があった。パプアニューギニアの事情や注意すべき点などを、現地でフィールドワークをしている日本人研究者に聞いた。

誘拐事件は無事に解決?

 パプアニューギニアの警察当局(Royal Papua New Guinea Constabulary)は2023年2月20日、同国ヘラ州の周辺で外国人の研究者や現地ガイドが武装勢力に誘拐された、と発表した。警察副委員長は、武装勢力が身代金(約1億3300万円)を要求していると述べ、人質の安全を第一に解放交渉を継続中とした。

 その後、2月23日に人質の一人、パプアニューギニア人の女性が解放され、2月26日には人質全員が無事に解放された。同国のマラペ首相は自身のFacebookで、身代金の支払いはなかったと述べている。だが、少額の身代金を支払ったという報道もある。

パプアニューギニアのジェームス・マラペ首相の2月26日のFacebookページ。人質が身代金の支払いなしに無事に解放されたこと、そして関係者への感謝の言葉が述べられている。Via・Facebook, PM Hon. James Marape
パプアニューギニアのジェームス・マラペ首相の2月26日のFacebookページ。人質が身代金の支払いなしに無事に解放されたこと、そして関係者への感謝の言葉が述べられている。Via・Facebook, PM Hon. James Marape

 誘拐されたのはオーストラリア、南クイーンズランド大学の考古学者、ブライス・バーカー(Bryce Barker)教授と彼の研究チームで、彼らはこれまでアボリジニやパプアニューギニア高地人が描いたり作ったりした壁画や陶器などの研究をしてきた(※1)。また、この事件は、彼らが調査していた標高2507mのボサヴィ山(Mt. Bosavi)で起きたという。

危険がともなうこともある調査

 学術研究には、原野でフィールドワークを行ったり、周囲に人のいない場所で発掘調査をする分野がある。こうした分野の研究者には、天候不良で船が遭難したり、車が燃料切れになって砂漠で救援を待たなければならなかったり、強盗や置き引き、誘拐などの犯罪に巻き込まれたりするリスクがあるが、これまで大きな問題が起きたことは多くなかった。

 今回の事件がなぜ起きたのか、詳細についての情報はまだ少ない。だが、不幸な偶然が重なった偶発的な事件なのか、それとも潜在的なリスクが増大しているのか、今後も同様の事件が起きる危険性があるのか、フィールドワークをする研究者にとっても、またもしかしたら日本人研究者が事件に巻き込まれかねないという意味で、我々にとっても関心事なのは間違いない。

 そこで、パプアニューギニアで研究活動をしてきた日本人研究者お二人に現地の事情や事件の背景、フィールドワークでの注意点などをうかがった。

都市部で犯罪が多いパプアニューギニア

 東洋大学社会学部国際社会学科教授(文化人類学、オセアニア地域研究)の田所聖志(たどころ・きよし)氏は、2002年からパプアニューギニアで部族社会の現地調査をしてきた研究者で、今回の誘拐事件の犯人の出身地とされているコモという場所でも2014年と2015年に合計約1カ月、滞在して聞き取り調査を行ったという。

──今回の誘拐事件について、どんなことをお感じになりましたか。

田所「現地調査は、やはり安全第一で行う必要があると感じました。あらゆる手段で現地の状況把握に努めて安全性を確認する必要があると、改めて思いました」

──これまでパプアニューギニアで現地調査をしていて、危険を感じるようなことはありましたか。

田所「首都ポートモレスビーや第2の都市のラエでは感じたことがあります。市場や繁華街近くのバス停などの人混みではスリが多いためとても気をつけました。一方、地方の都市や村落部、ましてや今回の事件が起きたような熱帯林の中では危険を感じたことはありません」

──それは都市部と地方で違いがあるからでしょうか。

田所「そうですね。私は多くの場合、一人での住み込み調査を行ってきましたが、地方に行きますと私は村の人間関係に入ります。ホストファミリーの家族の一員になりますので、ホストファーザーは私を『子』と位置づけますし、ホストブラザーのいとこも私を『いとこ』として処遇します。誰かの『親族』や『仲間』のように位置づけられるのですね」

──そうした関係性があるから安全なのでしょうか。

田所「地元の人々にとって、親族関係は生活を送る上での基礎です。なんらかの親族関係に位置づけられない人物の存在は、ほぼあり得ません。こうした状況ですと、私にとっても田舎では『他人』がほとんどいない状況になります。村の中を除いて、一人歩きをすることはほとんどなく、常に友人やホストファミリーと行動していましたので、常に誰かに守られているという感覚で行動してきたという実感があります」

フリの人々の特徴とは

──しかし、ニューギニア高地人が勇猛果敢というのはよく耳にします。

田所「ヘラ州に住むフリの人々(フリ族)の社会は、武力抗争がよく起きます。調査中も別の地域で武力抗争が起きたという話はよく聞きました。また、調査地でも手製の銃を所持している若者は多かったです。しかし、それに巻き込まれる危険を感じたことはありませんでした。現地に出向く前に調査地の友人に連絡をし、必ず治安の状況について訊ねていました。友人も私が飛行場から村に行くまでの移動経路の治安を含めて詳細に教えてくれてきました。安全に対する意識は、地元の人々はとても強いです」

パプアニューギニアの地図。ヘラ州はサザンハイランズ州と分離したが、事件はヘラ州のボサヴィ山の周辺で起きたと報じられている。地図作成筆者。
パプアニューギニアの地図。ヘラ州はサザンハイランズ州と分離したが、事件はヘラ州のボサヴィ山の周辺で起きたと報じられている。地図作成筆者。

──今回のような事件が起きる背景には何があるのでしょうか。

田所「今回の事件は、パプアニューギニアのフリの人々が置かれた、特殊な状況において発生した事件であると私は考えています。英国の『The Guardian』紙は『犯人のフリ人たちは、森林伐採地で警備員に仲間の2人が撃たれてコモに帰る途中、たまたま考古学調査チームに遭遇したので、彼らを誘拐して政府から賠償金を要求しようと突発的に行動した』といった主旨で報じています。これは偶発的な事件かもしれませんが、フリの人々の歴史的文化的特徴と、資源開発に起因する政情不安の2点が背景にある事件だと思いました」

──フリの人々の歴史的文化的特徴というのはどんなものなのですか。

田所「パプアニューギニアは、非常に数多くの言語文化集団が存在しています。そうした言語文化集団が、親族関係や地縁に基づいてさらに小さな集団に分節化し、それぞれがある種の独立性を維持したまま社会生活を送っています。今回の事件の犯人たちはフリと呼ばれる言語文化集団に属し、事件が起きたボサヴィ山の近辺にはカルリやベダムニなど別の小さな言語文化集団が住んでいます」

──別の集団とフリの人々に違いがあるのでしょうか。

田所「そうです。誘拐犯の出身地とされるコモは、事件の発生したボサヴィ山から比較的近いです。以前から、コモに住むフリの人々は、カルリなどのボサヴィ山近辺に住む異なる言語集団と、歴史的にいろいろなモノの交易関係を築いてきました。また、フリの人々はこうした異なる言語集団と土地の領有権などをめぐって抗争することもあったようです」

資源開発と不十分な再配分

──フリの人々は攻撃的なのですか。

田所「フリの人々は、集団内部でもなんらかの紛争が起きた際、暴力による解決を目指すことが多いのです。ただし、一方の集団の壊滅にまでエスカレートすることはなく、賠償金の支払いによって調停されることが多いです。賠償金は現金が流入される以前はブタが使われていました。暴力での解決を試みようとする志向は、パプアニューギニアの他の言語文化集団と比較してもフリで特に顕著であるように私には感じられます。誘拐によって賠償金請求をしようという発想も、フリで見られる極端なものであるように思われました」

──誘拐事件も過去にはあったということですか。

田所「はい。2017年11月にも、フリ人によって外国人労働者が誘拐される事件が起きたことがありました。また、ヘラ州では同様の誘拐事件が2022年にも起きました」

──こうした事件の背景には何があるのでしょうか。

田所「2008年にフリ人の住むハイズという地域で、PNGLNGと呼ばれるエクソンモービル社の主導する大規模な液化天然ガスプロジェクトが始まり、2013年には液化天然ガスが販売され始めました。以後、売却益も出ているはずなのに、様々な問題から地元の土地権者にその利益配分が行き届いていないようです。そのことに対する不満から、2017年11月にフリ人の地元の土地権者がPNGLNGの施設で働く外国人労働者を誘拐し、会社に対して金銭を要求したそうです。地下資源開発はパプアニューギニアの別の地域でも行われており、いろいろなトラブルもありますが、誘拐による賠償金請求や身代金要求という形態は別の地域では珍しいと思います」

──それが2点目の資源開発に起因する政情不安という要因ですね。

田所「そうです。ハイズで大規模な液化天然ガスプロジェクトが始まり、井戸が掘られたりパイプラインや工場などの関連施設が建設されたりしました。また、そこから車で1時間ほど南に下った場所にあるコモでは、熱帯林を切り開いて全長3.2kmの空港が作られました。建設中、作業員や食事のためのまかないや、商店の管理、警備員など、いろいろな仕事のために地元のフリ人が雇われました。その間、かなり高額の給料が支払われたと聞いています。しかし、建設工事が終了した2013年に雇用契約は終了しました。その一方、利益配分は地元の人々には行き届いていません」

──開発利益が適正に配分されていないということでしょうか。

田所「私は2016年に現地に滞在した時に、地下資源開発が始まって現金が流入して豊かになるはずだったのにそのような状況が実現されていない、という感覚を地元の人々が持っている様子を感じました。こうしたフラストレーションが、ハイズやコモといった地元のフリの人々の間にはあると思います。上記のような誘拐事件も時々起きており、それを受けてPNGLNG関係の労働者の撤収と操業の一時停止もこれまでに何度かありました。こうしたことから、フリ人の住むヘラ州の特に南部地域では政情が不安定になっているように感じられます」

──フリの人々の特徴、そして資源開発による政情不安が結びついてということでしょうか。

田所「コモはPNGLNGの開始以前から政情が不安定で、土地権をめぐる武力紛争が頻繁に起きていたような地域です。私の聞き取りの範囲でも、2000年以降、現在のコモ空港がある地域では親族集団間の武力抗争が絶えず、地元の人も寄りつかない場所だったといいます。それが、2008年にコモ空港の建設が始められるため、賠償金を支払って当事者の親族集団間で調停され、はじめてコモに人々が住むようになったそうです。しかし、2017年にまた親族集団間の武力抗争が再発しました。そうなりますと、地元の人々は自分の村で落ち着いた生活をするのは困難ですし、以後、私もコモは訪れていません。そして、こうした状況は、2000年よりも以前から続いているこの地域のフリの人々の社会の特徴である可能性があります。こうした特徴が、今回のような事件に結びついてしまったのではないかと感じています」

同様の事件が起きる危険性は

──事件が起きたボサヴィ山の周辺はどんな場所なのですか。

田所「ボサヴィ山の近辺では、マレーシア系の森林伐採会社による森林伐採が20年以上前から行われています。そこで働く外国人労働者や雑貨店の店主をフリの人々が襲撃するという事件もこれまで何度か時々発生してきました。つまり、フリ人のギャングは、居住域ではない場所で操業している森林伐採会社を襲撃するためにこれまでも遠征してきたわけです」

──では、フリの人々をあまり刺激しないほうがいいのですね。

田所「パプアニューギニアの人々は仲間意識が概してとても強く、フリの人々にもそれは見られます。フリ人同士でも抗争は起きますが、かなり抑制がきいていると思います。一方、仲間以外に対する態度は状況に応じて変化します。いろいろな状況を考えると、今回、遠征に来ていたフリ人のギャングが、自分たちの領域ではない場所で『仲間』とは見なせない外国人に遭遇した結果、起きた事件であると思います」

──今後、同じような事件が起きる危険性はありますか。

田所「そうですね。今回の事件は、フリ人の特徴の現れた地域的な要因によって引き起こされた事件であるという印象を持っています。今回の事件では、10万キナ(日本円で約370万円)が『第三者』によって犯人に支払われたと『The Guardian』紙が報じていますが、この金額はパプアニューギニアの村落部の人にとってかなり高額です。この事件が同類の事件を誘発する危険性も指摘されています。しかし、フリの人々の置かれた地域的な特殊性を考えると、パプアニューギニア国内のフリ人の居住域ではない地域で、同じような事件が発生する可能性は低いように私には思えます」

──対策としては、どのようなことが考えられますか。

田所「やはり、現地の状況把握を十分にするように努めることが大切だと思います。パプアニューギニアに限定すると、調査地の現地協力者との関係を構築することがとても大切です。都市部であれば警備会社や警察への依頼は有効ですが、村落部での活動においては警備会社では不十分です。あまり辺境ですと警察に協力を期待するのも難しいと思います。村落部での現地調査の際には、前もって現地住民と知り合って協力を得られる関係をつくっておく必要があると思います。現地の調査地の人々と長期にわたる密接な関係をつくることは有効な対策として考えられると思います」

事前の十分な情報収集が必要

 また、北海学園大学人文学部日本文化学科教授(文化人類学、生態人類学)の須田一弘(すだ・かずひろ)氏も1988年から2000年代前半までパプアニューギニアで現地調査をしていた研究者だ。現在のパプアニューギニアの状況についてはわからないとしつつ、一般論として今回の事件について話をうかがった。

──パプアニューギニアの治安はいいのでしょうか。

須田「私が現地調査をしていた当時から、都市部、とくに北東部のラエや首都のポートモレスビーは治安が悪いことで有名でした。また、南部高地州(現在のヘラ州)も治安が悪く、強盗団(ラスカルと言われていました)が跋扈していることでも有名でした。さらに、当時は誘拐や殺人の被害に遭ったという人類学者の話は聞いていませんが、強盗や窃盗の被害については何度か聞いたことがあります」

──現地調査をしている間、危険を感じるようなことはありましたか。

須田「私は生態人類学の調査で、主に西部州の内陸低地や沿岸部で住み込み調査をしていましたが、村人と接している際に危険を感じたことはありませんでした。しかし、移動のために都市部に出る時には強盗などに用心して、日が暮れた後はなるべく外出しないように注意していました」

──今回の事件について、先生はどのようにお感じになりましたか。

須田「パプアニューギニアはもともと治安の悪いところですが、国中すべての治安が悪いということではありません。治安の悪い地域での調査の場合は充分に注意をしなければならないと思いますが、おそらくそれでも起きてしまったことなのでしょう。また、今回の事件の被害者は考古学者ということですが、地域の人たちと離れて発掘などをしていると危険性が高まる可能性はあると思います。分野によっては危険をあまり感じないこともあるのだろうと思います」

──今後、同様の事件が起きる危険性がありますが、対策としてどのようなことが考えられますか。

須田「やはり、現地の治安に関する情報を入手して十分な対策を取ることだと思います。また、現地の人々と付き合い、受け入れていただくことも大事だと思います。また、場合によっては、調査を取りやめることも必要だと思います。ただ、パプアニューギニアで調査者が出会う犯罪は強盗、殺人、窃盗が主でしたので、今回のような誘拐は極めて珍しいと思います。身代金目的かどうかもよくわかりませんね」

現地の人の理解を得ることが重要

──こうした事件が起きる背景には何があるのでしょうか。

須田「世界各地の治安の悪い国や地域の背景はそれぞれであり、ひとくくりにはできないと思います。パプアニューギニアについても様々な要因があると思います。まず、人口約9百万人(私が初めて調査をした1988年頃は約5百万人)が800~1,000の言語グループに分かれており、それぞれが独自の文化を持っています。日本の方言とは異なり、異なる言語集団間の意思疎通はトク・ピシンと呼ばれるクレオール語か英語などに頼るほかありません。また、州や地域によっては集団間の緊張状態が強く、戦闘が起こることもあります。さらに、1975年の独立以来、急激な近代化が進み、それまで貨幣経済が浸透していなかった地域にも貨幣経済が浸透しました。その結果、生活が大きく変化しています。そうした中で現金収入を得ることが出来ない若者の中には、強盗や窃盗に走る者も少なくないようです」

──現地調査をする研究者の心構えのようなものはありますか。

須田「人類学者にせよ考古学者にせよ、あるいはほかの分野の現地調査にせよ、現地の人にしてみると、勝手に我が家の庭に入ってきたよそ者に過ぎません。それは、調査する側に科学的に正当な理由や動機があっても同じです。現地の人が調査を拒否したら、調査をすることはできません。なるべく、調査者の意図を説明し、理解してもらうことが必要です」

 国際的な人権団体(NGO)ヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)のワールドレポート2023のパプアニューギニア編によれば、パプアニューギニアは資源が豊富だが、人口の約40%が貧困だという。お二人の研究者が述べているように、資源開発の果実が再配分されず、急速な貨幣経済の発達により、取り残される国民も多いようだ。

 また、パプアニューギニアでは、政治も混乱し、警察官による犯罪も多いという。今後、同様の事件が起きないこと、そして現地調査など学術研究の進歩が損なわれないことを願いたい。

※1-1:Bruno David, et al., "Lapita sites in the Central Province of mainland Papua New Guinea" World Archaeology, Vol.43, 576-593, 5, December, 2011

※1-2:Bruno Daivd, et al., "A 28,000 year old excavated painted rock from Nawarla Gabarnmang, northern Australia" Journal of Archaeological Science, Vol.40, Issue5, 2493-2501, May, 2013

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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