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「残業規制100時間」過労死合法化する“ハイスペックトップ”だけが持つ“ある権利”とは?

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者:kingpipe

ついに「過労死」が合法化されることになった。

この国は、この国のトップは、いったい何人の命を奪えば気が済むのか?

これまで「なぜ、長時間労働が悪なのか?」「なぜ、長時間労働を企業はなくせないのか?」に関するエビデンスを用いたコラムは、何度も書いてきた。

さらに、長時間労働と過労死(=突然死)には明確な関連があるエビデンスが認められており、疲れを癒す睡眠時間との関係も次のように認められている。

【関連コラム】

【睡眠時間と脳血管疾患若しくは心臓疾患との関連】

  • 睡眠不足は心身に直接的な影響を及ぼす。その境界線は「睡眠時間6時間未満」

「週労働60時間以上、睡眠6時間以上」群の心筋梗塞のリスクは1.4倍であるのに対し、

「週労働60時間未満、睡眠6時間未満」群では2.2倍

「週労働60時間以上、睡眠6時間未満」群では4.8倍

  • 1日の労働時間が11時間以上・睡眠時間6時間未満は超危険

「11時間超」労働群は「7~10時間」群に比べ、脳・心臓疾患を発症するリスクが2.7倍

心筋梗塞の男性患者195人と健康な男性331人を比較した調査では、「11時間超」群の方が心筋梗塞になるリスクが2.9倍。

(Liu Y, Tanaka H, The Fukuoka Heart Study Group (2002) Overtime Work, Insufficient Sleep, and Risk of Non-fatal Acute Myocardial Infarction in Japanese Men" Occup Environ Med, 59, 447-451.)。

これだけのエビデンスがあるにも関わらず、

「100時間を認めないと企業が立ちゆかない。現実的でない規制は足かせになる」とのたまうとは。

本当にわけがわからない。100時間以内だの、100時間未満だの、言葉遊びに終始する前に、

「なぜ、100時間なのか?」の根拠を示して欲しい。

そもそもハイスペックな人たちが「自分」を基準に考えるから、わけがわからなくなる。

ハイスペックな人が経営者になるから、ハイスペックな結論になる。

しかも、やっかいなのは、ハイスペックな人ほど「元気」なこと。

「エビデンスなんていっても、所詮確率論だろ? 僕、元気だし〜」

ってなことになってしまうのだ。

「ホワイト・ホール・スタディ」ー。

「トップは長生きする」という、興味深い結果が得たこの研究は、英ロンドン大学がストレスと死亡率の関係を解明する目的で1967年から継続して行っている疫学研究である。

被験者は、ロンドンの官庁街で働く約2万8000人の公務員。官庁街がホワイト・ホールと呼ばれることから、ホワイト・ホール・スタディーと称されている。

この調査研究の特徴は、被験者が公務員である点にある。ロンドンで働く公務員は、「非常に裕福でもなく、非常に貧しくもない人々」の集団だ。全員が同じ健康保険システムに所属し、失業の不安はないという、比較的均一の集団であることが、この研究最大の“ウリ”。しかも、英国の公務員は階級組織であり、明確な分類によって職員のランクが決まっているため、階層の違いと健康の関連を調べるにはもってこいの対象だった。

最下層の仕事は配達係や守衛・警備員、その上が書記係、その上に研究員やその他の専門職がいて、その上には強い権力をもって各行政機関を運営するトップがいる。官庁といえども巨大なホワイトカラー企業と変わらず、能力主義と年功序列の両方の特徴を持っている集団でもある。

そして、調査開始から一定の期間が過ぎた1980年代初頭に報告された第1次報告書に、

「トップの方が長生きする」

という事実が示されたのである。

  • 40~64歳の年齢層において、階層の最下段にいる公務員はトップにいる人々と比べて死亡率が4倍も高かった。
  • 喫煙率、高血圧、血清コレステロール値、血糖値など、リスク因子のすべてを加味した補正を加えたうえでの死亡率比較も行ったが、結果は変わらなかった。
  • 補正後の死亡率の差は、補正前の3分の1しか減少せず、最下層にいる公務員は依然として、トップにいる人々と比べて死亡率に2倍近くの開きがあった。
  • おまけに、喫煙者同士に限った比較でも冠動脈疾患による死亡率は、職階に基づく明確な違いが示された。

つまり、いかなるリスク要因を加味しても、ストレスの多いはずの「トップが長生きする傾向」は確実に高かったのである。

なぜ、トップは長生きするのか?

そのメカニズムを解明するために始まったのが、冠状動脈疾患疫学の医師でもあるロンドン大学のマイケル・マーモット教授の指揮の下で始まった第2期ホワイト・ホール・スタディーである。

これは1985年に始まり、200本近くの研究論文を今なお生み出している。

マーモット教授は、さまざまな分析を行うとともに、他の対象においても実証研究を積み重ねて得られた知見から、「トップの寿命が長い最大の原因は社会的格差(=不平等)に起因する慢性的ストレスにある」と結論づけ、特に「自分の人生・暮らしを自分でコントロールすることができるかどうか」が重要であるとした。社会的階層で最上階に位置するトップと、最下層の労働者とでは、働く環境が異なる。

特に「自分で自由に決めることができる権利」の差は歴然としている。つまり、トップが長生きの謎は、彼らが持つ「裁量権にある」としたのである。

社長は会社やそこで働く人たちの運命をも左右する「決断」を下さなければならないという強いストレスにさらされることがある。

右に進むか、左に進むか、チャレンジするか、安全策を取るかの“すべて”を、自分で決めなくてはならない。

当然ながら、決断を下す時には責任というリスクが伴うのだから、しんどいかもしれない。

胃に穴が開くような思いをすることもあるかもしれないし、ストレスで白髪が増えたり、円形脱毛症ができたり、なんてこともあることだろう。

だが、「自分が決めなくては“ならない”」という感覚を、「自分で自由に決めることが“できる権利がある”という感覚」に変えることができれば、どうだろうか?

心と身体をビショ濡れにさせるストレスの雨が、モチベーションになる。「自分が決めていいんだ。自分には自由に決められる権利があるんだ!」と捉えることさえできれば、「決断しなければならない」というストレスが、良いストレスに変わる。それまではプレッシャーとかリスクと感じていたものが、人間の生命力をも引き出す元気な力に変わっていく。

これがトップの「元気の謎」。トップだけに許される「自分の人生・暮らしを自分でコントロールすることができる裁量権」こそが、長寿につながっていたのである。

裁量権には「休む自由」も含まれるので、休みを入れたり、集中したり、と自分の都合でギアチェンジできる。

だが、その自由がない一般の社員にはムリ。だいたいトップや上司の都合で、コロコロ要求を変えられる一般の社員に、残業の自由度もなにもあったもんじゃない。

ただ、先のホワイトホールスタディも、「確率の問題」である。

つまり、

「月当たり残業時間が100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」(某大学教授のコメント)

と豪語する人でも、「長時間労働」の犠牲になることがある。

そのとき悲しむのは、大切な家族であることをどうか忘れないで欲しい。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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