なぜ、20代の若者は「過労自殺」するのか?
20代の過労自殺が相次いでいる。
「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」――(大手飲食店勤務の26歳の女性社員)。
「昨日帰ってからなんか病んでもて仕事手につかんかった。家帰っても全力で仕事せないかんの辛い……でもそうせな終わらへんよな?」ーー(英会話学校の22歳の女性講師の女性)。
「1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きてるのか分からなくなって笑けてくるな」――。(大手広告代理店の24歳の女性)
これはこれまでに「過労死」報道された若ものたちの声(Twitterやブログ)。いずれの“事件”も、残業時間が100時間を超え(持ち帰り残業含む)、肉体的にも精神的にも限界をとっくに超え、苦しくて苦しくて仕方がないのに、健気にがんばりつづけた末の自殺だった。
特に大手広告代理店電通の社員だった24歳女性が、「過労死認定」されていたことがわかった同日、武蔵野大学の教授が、経済ニュースアプリ 「News Picks」に、「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」とのコメントを投稿し大問題となり(長谷川教授は同じく同日に公表された「過労死白書」を受けてのコメントとしている)、「長時間労働」への関心が高まっている。
だが、実は問題は「長時間労働」だけじゃない。
「過労死」と「過労自殺」を分けて考えないことには、過労自殺は後を絶たない。
そもそも「過労死等」とは……、
1.業務における過重な負荷による脳血管疾患若しくは心臓疾患を原因とする死亡
2.業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死
(これら脳血管疾患若しくは心臓疾患若しくは精神障害も、死に至らなくとも「過労死等」に含まれる)
過労死等防止対策推進法で、こう定義されている。
そう。過労死“等”。
1の「過労死」と2の「過労自殺」は明確に区分されているのだ。
件の長谷川教授は「過労死」という言葉を使っているが、もし、これが「1」の過労死を意味していたとしたら、「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」という氏のコメントは、自己の肉体への過信である。
国内外を含め多くの研究で長時間労働および深夜勤務と、脳血管疾患若しくは心臓疾患とは強く関連していることが認められている。
また、人の前頭葉には「疲れの見張り番」のような機能があり、アラームが鳴ると「疲れてますよ。休んでください。寝てください」と指示が出る。ところが、指示を無視して働き続けると、見張り番自体が疲弊し機能しなくなる。
その結果、実際は疲労が蓄積し体は悲鳴をあげているのに、それが自覚できず「忙しいのに馴れた。睡眠時間が短いのにも馴れちゃった」という状態に陥り、心筋梗塞や脳溢血などの病気を発症し、死にいたってしまうのだ。
つまり、ここでのポイントは「長時間労働」と「脳血管疾患・心臓疾患」が、直接的に関係している点だ。
フィリピンから来ていた技能実習生の男性が、2014年4月に従業員寮で心疾患のため27歳で亡くなったのが「過労死」と認定されたが、男性のひと月の残業時間は、78時間半~122時間半。「リサイクルショップに娘のお土産を買いにいくんだ」と同僚にうれしそうに話していた翌日、長時間労働が命を奪った。
「本人のやる気ややりがいに関係なく、長時間働き続けるだけで過労死する危険性」が誰にでも存在するのだ。
一方、「過労自殺」という言葉は、過労死問題に長年取り組んできた川人博弁護士によるもので、1998年に、自著「過労自殺」(岩波新書)の中で使われたのが始まりだった。
川人弁護士の古くからの友人が、突然失踪。その3カ月後に自殺体となって発見され、その後の調べで、その職場では3名もの方が同時期に自殺していたことがわかった。これがきっかけとなり、川人弁護士は「過労自殺」が疑われる事案に、本格的に取り組むようになる。
どの事案も、長時間労働、休日労働、深夜労働などの過重な労働による肉体的負荷、重い責任、過重なノルマ、達成困難な目標設定などによる精神的負荷など、過労性の脳や心臓疾患(=過労死)と共通した要因が自殺の背後にあることがわかった。その上で、川人弁護士は次の点を強調した。
「過労自殺の場合には、目標の達成ができないなどの行き詰まりから来る精神的なストレスの比重が高い。どの事例も、自殺の半年から1年前は長時間残業、休日出勤が繰り返されたことに加え、納期の切迫やトラブルの発生などにより精神的に追いつめられていた」と。
そこで「仕事による過労・ストレスが原因となって自殺に至ること」を、過労自殺と定義。過労自殺は、多くの場合、うつ病などの精神障害に陥った末の自殺であるとしたのである。
つまり、「過労自殺」は、単に「労働時間を短くすればいい」というものではない。本人を追いつめる「仕事上のストレス」も同じように考慮すべき問題なのだ。
実際、長時間労働と精神障害との直接的な関係は「ない」とする研究結果も、少なくない(量的調査による統計的な分析)。
ただし、“overwork”、すなわち「自分の能力的、精神的許容量を超えた業務がある」という自覚との関係性は一致して報告されている(「労働時間と精神的負担との関連についての体系的文献レビュー」藤野善久ら)。
また、overworkには、実際の「長時間労働」が影響を与えることがわかっている。
つまり、
「長時間労働」⇒「overwork」⇒「精神障害」⇒「過労自殺」
という具合に、長時間労働は「過労自殺」のトリガーになる絶対的に悪しき要因となる。
冒頭の「過労自殺」した方たちのつぶやきを振り返れば、いかに彼女たちが“overwork”に苦しんでいたのかがわかるはずだ。
重い責任、過重なノルマ、達成困難な目標設定などにより精神的に追いつめられ、長時間労働で肉体的にも極限状態に追い込まれる。
何度も繰り返される悲しい死をなくすには、「長時間労働」だけでなく、「職場のストレス要因」も除去しなければならない。
仕事のスキルも経験も少ない若者たちが、ストレス過多に陥る背景にあるものとはナニか?
答えは、「組織社会化」。組織社会化の欠如だ。
組織社会化(organizational socialization)とは、「個人が組織内の役割を引き受けるのに必要な社会的知識や技術を獲得するプロセス」で、新入社員の組織社会化の最大の課題は「役割の獲得」である。
会社で確固たる居場所を得て、自分がやるべきことを見いだし、自分の役割を獲得していくことで新入社員は組織に適応する。
このプロセスには最低でも3年かかる。年功序列が当たり前で、人員的な余裕もあった時代には、組織社会化が自ずと行われていた。
ところが、プレイングマネジャーが当たり前になり、人的余裕も、時間的余裕もなくなった現代社会では、新人はすぐに「一人前になる」ことが強要される。
半年もたたないうちに、「ひとり」で仕事を任され、多大な業務を押し付けられる。取引先や顧客もかつては、「見習いさん」「新人さん」と多少の失敗も見逃してくれたのに、「新人とかなんとか関係ない。ちゃんと仕事してくれよ!」と厳しく接するようになった。
この組織社会化過程の欠如こそが、若者たちを追いつめている。長時間労働が悪しきに昭和の遺物であるなら、組織社会化の欠如は平成の悪しき産物。「命より大切な仕事はない」のに、命が会社のためにないがしろにされているのである。
「だったら逃げろ!」とオトナたちは言うけれど、「逃げる」エネルギーさえも奪われた末の自殺なんじゃないのか。
どうか今一度、みなさんのまわりを見渡して欲しい。私が以前行った「新卒社会人の一年間にわたる追跡調査」では、いったんメンタルが低下した社員でも、「仕事に役立つ情報」を上司から頻繁に提供されるとメンタルが回復した。
その仕事にどんな意味があり、どういったことが重要で、どのように進めればいいのか。縁の下の力持ちとなって、彼らが「役割を獲得」できるまで伴走者になってください。
そして、みなさん自身も、どんなに「プロ意識」がどんなに高かろうとも、どんなに「忙しいの馴れた」としても、自身の肉体を過信しないでください。