20人に1人が孤独死ー尊厳なき働かせ方の悲しき末路ー
65歳以上の高齢者の孤独死が、1年間に6万8000人に上るとの推計結果が公表された。今年1~3月に自宅で亡くなった一人暮らしの人は全国で計2万1716人。そのうち8割を65歳以上の高齢者が占め、これを年間ベースに置き換え、「65歳以上の高齢者の孤独死は、年間6万8000人」との推計結果に至ったという。
孤独死の何が悪い?
分析を行ったのは、内閣府が23年8月に設置した作業部会「孤独死・孤立死の実態把握に関するワーキンググループ」だ。部会では「誰にもみとられることなく死亡し、かつ、その遺体が一定期間の経過後に発見されるような死亡の動態」と定義した。
作業部会の議事録に何度も登場するのが、「尊厳」という言葉だ。世の中には「最後は1人で死ぬのは当たり前」「孤独死の何が悪い」「孤独死もひとつの選択」といった意見もあるが、人の尊厳という視点で「死」を考えると、「孤独死という死のない社会」の実現が重要な課題であることは間違いないであろう。
令和4年に亡くなった65歳以上の高齢者は143万9437人なので、件の推計を参考にすると約5%もの人が孤独死している計算になる(令和4年(2022) 人口動態統計月報年計(概数)の概況)。
つまり、亡くなる高齢者の20人に1人が、他者に気づかれずに亡くなり、その状態のまま“誰か”に気づいてもらえるまで放置されている。この現実はあまりに悲しいし、衝撃的だ。
これまでも地方自治体や研究グループなどが、孤独死調査を行ってきた。
「孤独死」の定義は現在も合意されたものはないが、それぞれの定義を知るだけでも「孤独死の生々しい実態」が浮かびあがってくる。
例えば、阪神大震災後に神戸市郊外の仮設住宅地にプレハブの仮設診療所「クリニック希望」を開設した額田勲医師は、「低所得で、慢性疾患に罹患していて、完全に社会的に孤立した人間が、劣悪な住居もしくは周辺領域で、病死および、自死に至る場合」と定義した(1999年刊『孤独死――被災地神戸で考える人間の復興』額田勲著)。
何百人もの孤独死した人たちを見送ってきた高江洲敦さんは「遺体を引き取る人が誰もおらず、火葬や特殊清掃を含めた費用を誰が出すのかともめているような死」と捉えている(2010年刊『事件現場清掃人が行く』高江洲敦著)。
50歳・男性・非正規の未婚率6割
孤独死・孤立死のリスクファクターは「一人暮らし、低所得、無職、社会的孤立、未婚・離別、高齢者、セルフネグレクト(自己放任)」だ。どれもこれも他人事ではない。誰もが陥る可能性のあるリスクだらけだ。そして、これらの背後にあるのが「孤立させる働かせ方」、すなわち非正規雇用だ。
例えば、孤独死は「社会的孤立の果ての死」と前述したが、非正規の方が孤立感が高いという結果は多数報告されている。一人暮らし、低所得、未婚者、高齢者は非正規雇用が圧倒的に多い。
非正規で働く男性の50歳のときの未婚率(生涯未婚率)が、2020年の国勢調査で6割に達したことは大きなニュースにもなった。単身世帯も増加の一途をたどっていて、今後さらに増加する可能性が高い。
日本の世帯数の将来推計(全国推計)によると、未婚率の増加や、核家族化の影響を受けて、単独世帯(世帯主が1人の世帯)が増加し、2040年には単独世帯の割合は約40%に達すると予測されている。特に、65歳以上の単独世帯数の増加が顕著だ(参照)。
社会のひずみが生む最後のカタチ
孤独死問題の本質は、1人で死ぬことではない。「社会的孤立の果てに亡くなる」ことこそが問題である。少々過激な言い方になるが、「自殺は社会が犯した殺人」といわれるように「孤独死は社会のひずみが生む死」だ。
「私」たちは幸せになるために働き、「働く」とは、人間の尊厳を守ることだ。低賃金・不安定な働かせ方=非正規雇用のあり方に、果たして「尊厳」はあるのか。働く人にどう報いるかは、その国の「人」への考え方を象徴する。
孤独死問題と共に、尊厳ある働かせ方を議論してほしい。