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南海トラフ地震に続いて起きた直下地震「三河地震」から72年、将来に備え知っておくべきこと

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
深溝断層の跡

東南海地震の37日後に活動度の低い活断層で起きた内陸直下の地震

1945年1月13日3時38分過ぎに愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6.8の内陸直下の地震です。深溝活断層と横須賀断層と言う活動度の低いC級の活断層による逆断層型の地震で、地表に明瞭な断層ずれが現れ、28kmの断層ずれが確認されています。うち10kmは三河湾の海底下にあり、断層が陸上から海に出る場所にあった形原漁港では、断層の上下ずれで港湾の岸壁が使えなくなったようです。

地震発生の2日前の11日から、多数の前震があり、余震活動も非常に活発でした。また、前震や余震に先だって、三ヶ根山周辺で発光する宏観異常現象が多く目撃されたことも特徴的です。

この地震は、1ヶ月前の1944年12月7日に発生した昭和東南海地震の余震とか誘発地震だとも言われています。南海トラフでの地震の直後に活動度の低い活断層でマグニチュード7クラスの地震が起きたことは、発生が懸念されている南海トラフ地震においても注意すべき事だと思われます。

東南海地震よりも多くの死者を出した局所的な被害

被害の中心地域は愛知県下の三河地方南部で、特に現在の西尾市・安城市・碧南市・幸田町・蒲郡市を中心とした旧幡豆郡、碧海郡、額田郡、宝飯郡などでした。死者は2,306名に達し東南海地震の倍もの被害になりました。死亡率や家屋の倒壊率は過去の地震に比べて大きくなっています。例えば、桜井村藤井集落では117戸中107戸が全壊し77名が死亡、明治村和泉集落では、391戸中310戸が全壊し88名が死亡したそうです。

これは、幡豆郡や碧海郡など、被災地域が東南海地震で強い揺れを受けた場所に重なっていて、東南海地震で損壊した住宅が、戦時下での物資不足や大工不足などもあって修理されず、家屋が倒壊しやすかったことが原因していそうです。また、深夜就寝中に強い揺れに襲われたことも災いしました。

断層の隆起側での家屋倒壊が目立った被害

死者が100人を超えたのは明治村(325人)・横須賀村(275人)・福地村(234人)・形原町(233人)・三和村(196人)・桜井村(179人)・西尾町(176人)吉田町(106人)で、断層に沿った地域に集中しています。とくに、断層を挟んで隆起した側で、断層がずれ動いた方向(東側)に倒れた建物が多かったようです。これは、逆断層型の地震の場合、上盤側の方が大きく動きやすく、上向きの揺れを伴うこと、傾斜した震源断層面からの位置が上盤側の方が近くなることなど、断層近傍での揺れの特徴を表していると思われます。それに加え、日本家屋の場合、南北方向には壁が有りますが東西方向には殆ど壁が無いため、東西の揺れに弱いという側面もあるかもしれません。

疎開先の寺院倒壊で命を失った疎開児童

米軍機の空襲に備えて、大都市の学校では、1944年の夏から学童の集団疎開が行われていました。集団疎開は、縁故疎開ができない国民学校の3年生以上6年生の学童が対象になっていました。名古屋市内からも109校の国民学校の学童3万人強が、愛知県、岐阜県、三重県に集団疎開しており、三河地震での被災地域にも10数校の国民学校の学童が集団疎開していました。疎開先の宿舎には、大広間の多い寺院が利用されていました。寺院は、柱が少なく屋根が重いため、三河地震でも多くの寺院が損壊し、疎開していた50人を超える学童が犠牲になりました。とくに、名古屋市中区にあった大井国民学校は幡豆郡三和村(現・西尾市)に集団疎開していましたが、寄宿していた9つの寺院のうちの妙喜寺・福浄寺・安楽寺の3つの寺院の本堂が倒壊して、31名もの児童と1名の教師が亡くなりました。

東南海地震で、学徒動員されていた中学生や女学生たちが名古屋や半田の軍需工場の倒壊で犠牲になったことを合わせ、戦時下であったために多くの若者が命を落としたことは忘れないでおきたいと思います。

貴重な被害資料を発掘し次なる震災に備える

三河地震は、敗戦の色を濃くしていた中での東南海地震に続く地震であり、被災者への救助・救援の手は十分ではなく、震災での痛手の中、空襲をくぐり抜けていく必要がありました。戦意喪失を恐れた軍部により厳しい報道統制が行われ、多くの国民は被害の甚大さを知らされませんでした。当時調査された貴重な資料も世に出るのに時間がかかったため、東南海地震と三河地震の被害は、世の中では余り知らされていませんでした。終戦直後に発生した1946年南海地震に関しても、戦後の混乱期だったために十分な被害資料が残っていません。

幸い、東南海地震と三河地震については、中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」によって報告書がまとめられています。近い将来に経験すると考えられている南海トラフ地震と前後に発生する内陸直下地震に対する対策を考える上で、極めて貴重な資料だと思います。是非、一度ご覧下さい。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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