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統制要領の策定が戦後これほどまでに遅れた理由は何か 防衛省の説明は?

高橋浩祐米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員
2016年7月に実施された海賊対処の日比共同訓練に参加する海上保安庁巡視船つがる(写真:ロイター/アフロ)

政府は28日、尖閣諸島などでの有事の際、自衛隊法に基づき、防衛相が海上保安庁を指揮下に置く手順を定めた「統制要領」を策定したと発表した

1954年に自衛隊法が制定されてからこれまで、具体的な手続きを含めた「統制要領」はなかった。岸田首相も昨年11月28日の国会答弁で「有事における海上自衛隊と海上保安庁の連携強化は、長年積み残されてきた課題」と認めた。

世界の多くの国々では、海軍と沿岸警備隊が有事を含めたあらゆる事態に備えて、海上で連携・協力することは当然であるが、日本ではなぜこれほどまでに遅れたのか。

防衛省担当者は27日に行われた事前プレスブリーフィングで、「なぜこれほどまでに統制要領の策定が遅れたのか」との筆者の質問に以下のように答えた。

「なぜ今になって、やっとなのか」という質問に対しては、いろいろな要因があると思います。一番わかりやすいのは、法律(筆者注:自衛隊法第80条の規定)では「統制する」ということが定められている。そして、昭和29(1954)年に自衛隊法ができたときから、(海上保安庁が防衛相の)統制下に入ったとしても、海上保安庁法(第25条)に基づく海上保安庁の任務や組織の位置付けは変わらないという法解釈をしてきたわけです。なので、一番大事なところは決まっているのだから、あとは必要になった時に考えればいいだろうということがずっとこれまでの発想であったのではないか、と考えております。

ただ、戦後ずいぶん長い間、そういう状況が続いてきましたが、もう今、日本が置かれている状況はそうした発想をこれ以上、続けることを許すような安全保障環境ではなくなってきている。厳しい安全保障環境が我々の目の前に出てきている。このようなことが「なぜ今か」ということの1つの答えになるのではないかと思っております。

筆者は、防衛省担当者のこの回答をとても正直で率直な説明と受け止めた。

奇しくも日経新聞の島田学記者が4月21日付の『<記者の目>有事の備え平時にこそ』と題する記事で、以下のような指摘をしていた。

「非常時のことは非常時になってから考える」姿勢から、超法規的な対応が乱発される。気づいたときにはなし崩しで物事が決まっていく。これこそが戦争に突き進んだ戦前の日本の反省だったといえる。

抑制的な議論が求められてきた安保分野で法律の穴はなお多い。有事での権力の乱用を避けるためにも平時にこそいざという時の対処を考える必要がある。

国民の命と暮らしを守るのは政治家や行政官の最大の務めのはず。常に最悪事態を想定し、いざという時にじたばたしないよう、やはり平素から備えを万全にしておくべきだろう。根拠なき楽観主義で、いつまでも出たとこ勝負の戦後の古い発想の政治はやめていかなくてはいけない。戦後今頃になってからの統制要領の策定は今後の大きな教訓にすべきだろう。

米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員

英軍事週刊誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」前東京特派員。コリアタウンがある川崎市川崎区桜本の出身。令和元年度内閣府主催「世界青年の船」日本ナショナルリーダー。米ボルチモア市民栄誉賞受賞。ハフポスト日本版元編集長。元日経CNBCコメンテーター。1993年慶応大学経済学部卒、2004年米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクールとSIPA(国際公共政策大学院)を修了。朝日新聞やアジアタイムズ、ブルームバーグで記者を務める。NK NewsやNikkei Asia、Naval News、東洋経済、週刊文春、論座、英紙ガーディアン、シンガポール紙ストレーツ・タイムズ等に記事掲載。

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