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屈指の名作となった朝ドラ『おちょやん』の山場を13時ニュース三條アナ視線で振り返る

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:ロイター/アフロ)

「家庭」を別の角度から描き、朝ドラ史上屈指の名作となった『おちょやん』

朝ドラ『おちょやん』で描かれていたのは「家庭」だった。

主人公の竹井千代(杉咲花)は家庭にめぐまれていない。

血縁によって構成される本来の「家庭」との縁が薄く、それでも懸命に生きていた。

でも、人は血縁とは関係なく家庭が作れるし、それで幸せになれる。

そういうことを示した大柄な物語だった。

「家庭に恵まれない時代」の前振りが長く、最後の最後になってやっと「一人で生き抜く人間にとっての家庭」の姿を見事に見せてくれた。

ずっと見ていて、大きくあたたかさで覆われた。

最後までみるととても幸せな気分になれたという点で、朝ドラ史上、屈指の名作だったとおもう。

「あさイチ」の朝ドラ受けと昼の再放送あと

NHK総合の朝ドラの放送は、朝が8時から、昼の再放送が12時45分からである。昔からずっとそうである。朝8時なのは2010年からだけど、昼12時45分放送は昭和の昔から変わっていない。

朝の放送後は『あさイチ』でのドラマ受けがある。

博多華丸大吉とアナウンサー三人で、その日のドラマの感想を少し言う。

アナウンサーは『おちょやん』開始時は近江友里恵アナだったが、途中で変わり、何人かの入れ替わりがあって、最後は鈴木菜穂子アナだった。

『あさイチ』の朝ドラ受けはそこそこ有名である。たしかに今日、博多大吉は何を言ったのかと気になる回があったりして、そのときはわざわざ録画を見直したりするくらいだ。

いっぽう昼の再放送は、終わると13時になり、13時のニュースが始まる。

13時のニュースで朝ドラ受けをすることはない。

再放送だということもあるし、定時の5分だけのニュースでもあるし、そんな余裕はない。

三條雅幸アナの落ち着いた佇まいの魅力

ただ、毎日見ていると、日によって、アナウンサーの表情が少し違うことに気づく。

いま13時ニュースの平日の担当は三條雅幸アナである。

三條アナは、画面が切り替わってから「1時になりました」というまでに、ひと呼吸の間合いを開ける。三條アナのこの間合いが、とても心地いい。

落ち着いた雰囲気の三條アナが、この間合いを取ってくれることによって、何だか一瞬の心の平穏を感じることがある。高貴な気分さえ感じてしまう。

そういう魅力のあるアナウンサーだとおもう。

13時になり、13時00分00秒から話し出すアナウンサーはいない。そんなせっついた番組は見ている者を不安にさせる。

だいたい、少し間合いを取って、「1時になりました」と言う。

間合いはどのアナウンサーにもあるが、少しずつ差がある。ほんのちょっとした差だけれど、明らかに違いがある。

三條アナは、きちんと間をあける。

なんだか余裕が感じられる間合いである。

三條雅幸アナの2秒5の間合い

13時になった直後は、いまのアナウンサーはだいたいまずモニターを見ている姿から入る。昭和中期までは13時になるとカメラを見つめているアナウンサーが多かったが、いまは、ドラマあとだということもあり、モニターを見ていて、それからおもむろに視線をあげて「1時になりました」ということが多い。ドラマから見続けていると、アナウンサーもいまのドラマ内容に少し影響を受けているのだろうな、と勝手に想像してしまう。

三條アナの間合いは長めである。

だいたい画面が切り替わってから2秒5から、2秒6あけて、それから声を発する。

2秒を切ることは、よほど切羽詰まったニュースが控えてないかぎり、あまりない。〔半年で1回きりだった〕

ちなみに祝日と土曜はアナウンサーが変わる。

13時ニュースを担当していたのは『おちょやん』の期間だと佐藤誠太アナと中山果奈アナが多かった。(ほかに合原明子アナと井上二郎アナのこともあった)。

佐藤誠太アナは、だいたい1秒5から1秒6くらいの間合いを取る。

中山果奈アナはそれより心持ち短く1秒4から1秒5である。

ちなみにこの時間は、私の手動による計測である。0秒1くらいのブレがときどき起こるので、なんどか計測してその平均を取っている。あくまで数値は参考として見ていただきたい。

でも1秒5と2秒5は、誰にだって感じられる差である。

三條アナが、いつもより長く間合いを取った「千代が売られる日」

状況によってこの間合いが変わる。

伝えなければいけないニュースが緊急性を帯びている場合、少し短くなる。アナウンサーとして当然だろう。

ただ『おちょやん』が放送されている期間2020年の11月末から2021年の5月半ばまでは、すごい緊急性を帯びたニュースは少なかった。コロナ禍で生きる自分たちとしては、とても緊迫して大変な時代を生きている気になってしまうが、冷静に見るなら、そんな緊急性の高いニュースは少なかったのだ。

(慢性的などんよりとした危機であるところが、だから問題なのだろう)。

そして逆にあきらかに『おちょやん』の内容によって、間合いが長くなったのではないか、とおもえる日がある。

あくまで推測である。ただ、ドラマの終わりかたがあとを引くような濃い場合に限って間合いが長いので、関係あるとおもっている。

たとえば始まってすぐの第5話、千代が大阪の茶屋に奉公に出ることになった回、いわば売られてしまった回だけれど、このあとの三條アナはいつもより1秒ほど長く間合いを取って、3秒6ほど間をあけて、おごそかに「1時になりました」と言っていた。

『おちょやん』4話と5話終わりでは3秒以上の間合いを取った

直前のドラマ内容によって少し間合いが変わる。人間がやっているニュースだからこそだろう。意味あることだとおもう。

『おちょやん』は最初からけっこうハードな内容だった。

父と弟と暮らしていた家に継母の栗子が来るところから物語が始まった。

第4話は、継母でも弟にとっては大事な母であることに千代が気づく回であった。弟のやさしさが身にしみる。それを受けて、三條アナも長めの3秒6ほどのタメを作っていた。

その翌日第5話、第一週目の最後が、9歳なのに大阪にひとり奉公に行かされる回である。「うちは捨てられたんやない。うちがあんたらを捨てたんや」という9歳の女の子の叫びが胸を突く。それを受けて、三條アナの間合いは長めで、この日も3秒6のタメだった。

三條アナのタメが3秒1を超えた「おちょやん」の山場の6話

『おちょやん』全115話のうち祝日が7回あって、そのときは別のアナウンサーが出てくる。

また、国会中継など13時から別番組が始まったことが21回あった。(国会中継19回、聖火リレー中継1回、高校野球中継1回)

三條アナが13時のニュース担当だったのは87回である。

そのうち、3秒を超える長い間合いを取っていたのは〔個人的計測によると〕10回あった。そのうち特に長かったのは(3秒1以上だったのは)6回である。

まずいま紹介した4話と5話である。

つづいて第二週の8話と9話も長かった。

8話は、故郷の知り合いが千代の奉公先に会いにきてくれて、「知らんかったんか、(父のテルヲらは)夜逃げしくさった」と教えてくれた回である。驚いた千代の横顔で終わる。

9話は、奉公先「岡安」をひまを出され(クビになって)帰る家もないことを言わずに街に飛び出した千代の姿で終わった回である。

どちらも、どきっと哀しくなった回である。千代はいわば身売りをするような形で奉公に出て金を作ったのに、父はその金を無駄に使ったのだ。やりきれなくて哀しい回である。

どちらの回も三條アナは、いつもよりちょっと長めに(1秒に足りないくらいだけれど)間合いを取って、ニュースを始めていた。

65話では「お祝い事」でタメを作る

そして少し先になって60話。

生き別れになった弟と再会したが、彼はやくざ者になっており、ひと悶着あったあと、去っていく。また一人になってしもたと泣く千代を天海一平(成田凌)が抱きしめるシーンで終わった。

その少しあと65話。これはおめでたい回。父の名を襲名した一平の披露興行で〔二代目天海天海になった〕、その場で千代との結婚を発表した。みんなで揃って写真を撮って、ナレーションも「おめでとう千代ちゃん」と締めた祝福の回。

このときも三條アナは、いつもよりすこしだけ間合いを長めにとっていた。

これが三條アナが長く間合いを取った『おちょやん』の大事な6回である。

それぞれの山場である。

嬉しいにつけ、哀しいにつけ、間合いが取られる

つづいてそれより少し短いが、でもいつもより長い間合い(だいたい2秒9から3秒0くらいのとき)が数回あって、それぞれこんな内容である。

10話 竹井千代役として杉咲花の初登場のとき。

28話 山村千鳥一座での「正チャンの冒険」舞台を成功させ喜んでいる。

73話 父が借金取りに攻め立てられているのを稽古場で聞いて涙している千代。

97話 一平と離縁したとき(千代が一方的に怒鳴って一平が去ったあと)

114話(最終話前) 新喜劇の舞台に千代が出てきたシーン

それぞれ大事な回である。

上記の6回とあわせて、この11回がドラマの大きな山場だったと言っていいだろう。

大事なとき、三條アナは、心持ち長い間合いを取ってくれるのだ。

三條アナ「微笑み」の回

またときどき、ちょっと三條アナも笑っているんじゃないか、と見えたことがあった。

もちろんニュース担当アナウンサーだから、笑顔にっこりではない。中山果奈アナはにっこりと入ることが多いが、三條アナは、見ている人を落ち着かせるためだとおもうが、いつも冷静な表情でニュースを始める。きりっとしていて素敵である。でも、情もわかっているのだというふうに、その裏の感情を読んでいるのがおもしろいのだ。

笑いといっても、ちょっとだけ微笑に見えなくもなくない、というレベルである。ないしは、目だけは笑っていると言えるんじゃないだろうかという些細なレベルである。

それはたとえば、最終話115話、千代と娘の春子がゆっくりと道を歩き、行き交う人と挨拶をしているラストシーンがあって、とても素敵なラストシーンで、そこから定式幕が閉まって、おおきに、とナレーションが入って、ニュース画面になった。三條アナは小さくうなずいたんだけど、うなずいたとき、すこしだけ口もとが緩んだような、見ようによっては微笑に見えなくもないような、それぐらいの微妙な表情なのだけれど、ドラマから続きで見ているほうは楽しい気分になって見ているから、アナウンサーもそれに近いのではないかと勝手に想像して、そこから微笑を感じ取ってしまうのだ。

そういう「なんとなく口元に微笑をふくんでいるようにみえなくもない」という回がいくつかあった。

10話の杉咲花初登場のときは、さて、どんな登場のしかたかな、とナレーション誘導でいくつかのパターンを見せてそれぞれ人違いという展開を見せて、結局、ふつうに出てくるという回だった。ナレーションが「ふつうやな」とつぶやくのに杉咲花が軽く睨みつけるというギャグっぽい終わり方で、そのあとの三條アナの表情も何となく笑みが浮かんでるように見えなくもなかった。

また29話、京都の鶴亀撮影所に晴れて堂々と入れるとき、守衛さん(天海一平の長男のモデルである三代渋谷天外が演っていた)とのコミカルなやりとりのあと。

65話の結婚披露というおめでたい回のあと。

そして、70話、喜劇王の須賀廼家万太郎とその弟弟子の千之助の二人が、帽子に卵を入れ合って、そのことを居酒屋のおかみさんにおこられてホウキで叩かれたシーンのあと。

このときの三條アナは、何となく微笑んでいるように見えた。だいたいドラマを見てちょっと幸せな気分になっているときなので、アナウンサーの表情にも感応して、ちょっと楽しくなってしまうのだ。

『おちょやん』のドラマとしての振れ幅の広さと魅力

でも『おちょやん』は、哀しみや驚きで終わる回のほうが多かったようにおもう。

そういうドラマだった。

『あさイチ』の朝ドラ受けも楽しいのだけれど、厳粛な雰囲気のアナウンサーが、ほんのちょっとした仕草の違いを見せるのを眺めるのも、また朝ドラの(再放送を見る)楽しみである。

『おちょやん』はとても厳しい人生を歩みながら、でも喜劇女優だった女性が主人公だったので、かなりの振れ幅があったようにおもう。その振れ幅を最後3週ですべて回収して、とても骨太で大きなドラマだった。

それを毎日見ているとき、ときに哀しい気持ちになるとき13時からのアナウンサーのちょっとした間合いに気持ちが救われることがあるのだ。

歴代の13時アナをもう何十年か見ているが、三條アナがちょっと飛び抜けて素敵だとおもう。

『おかえりモネ』にも引き続き期待したい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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