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ジョーからJへ――千原ジュニア結婚によせて

ラリー遠田作家・お笑い評論家
(写真:毎日新聞デジタル)

千原ジュニアが一般女性と結婚したというニュースを見て、私は「ああ、落ち着くべきところに落ち着いたな」というような感慨を持った。ここ数年、千原ジュニアという芸人は少しずつ、自分の中の厳格でピリピリしたものをそぎ落とし、余裕のある大人の芸人に生まれ変わろうとしていたように見える。その一連の流れの終着点として、ついに結婚に至った。いわば、普通の人間として普通の生き方を選んだ。それは、かつての「ジャックナイフ」と呼ばれた頃のジュニアからは想像もつかない姿だった。

当時を知らない人にはピンと来ないかもしれないが、ジャックナイフという異名は決して大げさではなかった。大阪時代の彼は目つきも鋭く、笑いには厳しく、他の若手芸人とは一線を画す鬼気迫る雰囲気を備えていた。鋭い発想力と独特の言語感覚から生み出されるその笑いは、関西地方の若者を中心に多くの人間を魅了していった。ストイックに笑いだけを追い求めるその生き様は、芸人たちから崇拝されていたし、恐れられてもいた。

そんな千原ジュニアは漫画『あしたのジョー』の熱狂的なファンとして知られている。子供の頃からこの漫画に親しみ、幾度となく読み返してきた。『あしたのジョー』は言わずと知れた伝説的なボクシング漫画である。天涯孤独の矢吹丈という少年が、丹下段平にボクシングの才能を見いだされ、プロボクサーとして成り上がっていくまでの過程が描かれている。

この漫画の特徴は、一般的なスポーツ漫画とは異なり、胸を締め付けられるような重苦しい描写が延々と続いていくことだ。矢吹丈は少年院で出会った最大のライバルである力石徹を、自らの拳が原因で死に追いやってしまう。その十字架を背負ったことで、矢吹はますます自分を追い込み、孤独な戦いを続けることになる。

ある時期までのジュニアは確実に、矢吹丈のように生き急いでいた。血ヘドを吐くまで理想の笑いを追い求めていた。周囲の芸人仲間にもそれを押しつけていた。それこそが芸人として正しい道だと信じて疑わなかったのだ。

だが、ジュニアは『あしたのジョー』のようなエンディングを迎えることはなかった。なぜなら、ジュニアの人生には何度か転機となる出来事があったからだ。暴走する彼を力ずくで引き止めるべく、神様がつまずくための小石を置いていた。

その中でも最大の事件は、東京に進出してからバイク事故に遭ったことだ。顔面もぐちゃぐちゃになってタレント生命も危ぶまれたのだが、何とか一命を取り留めた。ここでジュニアは、見舞いに訪れる先輩芸人からの温かい励ましを受けて、芸人としての再起を誓った。

夜中。僕は一人、ベッドの上で天井を見つめながら、病室に来てくれた人たちの顔を一人一人思い浮かべた。

病室に来てくれた、たくさんの人たちの笑顔を思い浮かべた。

そして。

今までの僕は間違っていたんじゃないかなと想った。

「自分がおもしろいと想うことだけをやる」

「僕の笑いが解らないなら観なくてもいい」

「おもしろいことと楽しいことは違う」

「おもしろいか、おもしろくないか、それだけ」

「明るく楽しくなんてできない」

「優しさを見せる必要なんてない」

違う。ぜんぜん違う。

今までの僕は間違っていたと想った。

あの人たちを見てそう想った。

出典:千原ジュニア著『3月30日』/講談社

しかめ面をしてストイックに自分のやりたい笑いだけを追求していればいいというものではない。お笑いとはそういうものではない。笑いはみんなで分かち合うもの。明るく楽しく自分が面白いと思うことをみんなに伝えればいい。そのことに気付いてジュニアは生まれ変わった。ジャックナイフの刃は切れ味を鈍らせ、芸人としてひと皮むけた。

『あしたのジョー』のラストでは、矢吹丈は世界バンタム級王者であるホセ・メンドーサとの死闘の末、真っ白な灰になって燃え尽きる。ホセとの試合前、矢吹をずっと見守っていた令嬢・白木葉子が矢吹の控え室を訪れる。葉子は、度重なる激闘のためにパンチ・ドランカーとなって生命の危機に瀕している矢吹を引き止めて、リングに向かわせないようにする。さらに、全く取り合わない矢吹に今まで秘めていた思いを打ち明ける。

すきなのよ矢吹くん/あなたが!!

すきだったのよ・・・・/最近まで気がつかなかったけど

おねがい・・・・わたしのために/わたしのためにリングへあがらないで!!

出典:高森朝雄・ちばてつや著『あしたのジョー』19巻/講談社

だが、矢吹は一向に取り合わない。冷たく突き放して、世界王者ホセの待つリングへと向かう。ジョーは女を捨て、普通の生き方を捨てて、最後まで燃え尽きる道を選んだ。だが、ジュニアはそうはならなかった。彼は、不器用に何度も何度も壁にぶつかった挙げ句、真っ白に燃え尽きるよりも芸人としてしぶとく強く生き続けることを選んだ。

ジョーからJへ。"あしたのジョー"に憧れ、矢吹丈の生き写しのような芸人人生を歩んできた千原ジュニアは、ただのJ(ジュニア)となり、生涯の伴侶と共に新しい"あした"へと向かうことになった。

真っ白に燃え尽きなかったジュニアはきっと、いつもの真っ赤なパンツを内に穿いて、芸人仲間から手厚い祝福を受けるのだろう。すっかり錆びついたジャックナイフを片手に、ザキヤマのあごをなめた後のような照れ笑いを浮かべながら。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行う。主な著書に『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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