たぶん日本未公開だが、紹介すべき映画。『マイシャベル』、『地中海 海の掟』
「これは駄目だろうな……」
映画祭で見ていると、日本公開が難しい作品がかなりある。たとえば、性描写が激し過ぎて検閲下では楽しめないとか、テーマが遠過ぎて共感されないとか。
サン・セバスティアン映画祭で見た『マイシャベル』と『地中海 海の掟』は後者。いずれもスペインが直面する社会問題を描いた、実話をベースにした作品である。
■テロは終わった。が、平和=和解はまだ
『マイシャベル』はETAに関するもの。訳すと「バスク祖国と自由」となるテロ集団のことだ。
バスクの自治独立を目指す彼らは1958年から2018の解散まで850人以上を殺している。
独立運動には、独裁者フランコの弾圧下では民主的な意味があった。だが、1975年のフランコの死で民主政権が樹立してからは大義を失い、迷走を始める。
テロに一般市民を巻き込んでもやむなし、という過激化路線を走るのだ。
マイシャベルとは、テロで夫を殺された未亡人の名前であり、この作品が突きつける問いは「あなたは夫を殺したテロリストと一緒に食卓を囲めるか?」である。
バスク地方には、テロを望む者はいないが、独立を望む者はたくさんいる。その中にはETAはやり方を間違ったが、独立の大義は間違っていなかった、とする者もいる。テロの被害者とETAの元メンバーや共感者、それぞれの家族や知り合いたちが今も軒を連ねて暮らしている。
当然、深い傷は残っている。
それはETAが付けたものもあるし、民主政権の警察やフランコの秘密警察が付けたものもある。その傷が癒えるには長い時間がかかる。和解への道は始まったばかりなのだ。
傷を完治させる理想的な方法は、加害者による反省と謝罪、被害者によるその受け入れであろう。だが、「あなたは夫を殺したテロリストと一緒に食卓を囲めるか?」。
監督は、イシアル・ボジャイン。彼女の『雨さえも』や『オリーブの樹は呼んでいる』は日本でも公開されたようだが、個人的には『Hola, ¿estás sola?』 (1995)、『Flores de otro mundo』 (1999)、『Te doy mis ojos 』(2
003)が未公開なのが、残念だ。
■溺れる者は救う、それが海の掟だから
『地中海 海の掟』はシリア難民を救出しようとするスペイン人ライフセーバーたちの姿を描いた作品だ。
砂浜に突っ伏した男の子の死体を覚えているだろうか? 名前はアイラン・クルディ。内戦に追われシリアから逃れて来る途中、トルコの海岸で力尽きた。2015年9月、まだ3歳だった。
物語はこのショッキングな映像から始まる。
バルセロナの海岸でライフセーバーをしていた小さな会社の仲間は、ギリシャへ向かう。人道的な目的ではなく、「海の掟」を守るために。海で溺れる者は救わなくてはならない、という掟である。
UNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)の発表によると、人道支援を必要としているシリア難民は1160万人おり、うち660万人が国外に避難している。2015年には1日3000人がたどり着くこともあった。
ライフセーバー4人の手に負える問題ではないが、目の前の救える者を救うというシンプルな発想だったからこそ、行動できた。ドンキホーテ的だが、やらないよりはやった方が絶対にいい。
見ているといろんなことがわかる。
ギリシャの沿岸警備隊にとって難民は厄介者なので、救出に積極的でないこと。難民たちが漂着するのは、観光客がバケーションを普通に楽しんでいるビーチであること。自らの足でゴムボートから降りると「不法移民」扱いになり監獄送りだが、遭難して流れ着くと「難民」扱いになるので、ゴムボートがわざと切り裂かれること。海難救助とは砂浜に引き上げるまでの作業(主人公たちの仕事)を指し、上陸後はソーシャルサービスの担当になること。難民になると強制送還は免れるも放って置かるたけで、彼らが勝手に集まった荒れ地は“難民キャンプ”と呼ばれること――。
ライフセーバーたちの無謀で勇気ある活動によって、救われた命は6万人近く。後に彼らの活動は、非営利団体「オープン・アームズ」の設立となって結晶する。
※シリア難民を扱ったSF『ジュピターズ・ムーン』についての記事はここ。
※写真提供はサン・セバスティアン映画祭。