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なぜ「春眠」は「暁を覚えず」なのか

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:アフロ)

 少しずつ気温が上がってきたが、朝まで心地よく眠ってしまい、うっかり寝坊することも増えてくる季節だ。十分な長さの良質の睡眠は健康には不可欠だが、なぜ「春眠暁を覚えず」なのだろうか。

「春眠暁を覚えず」は本当か

 高校の漢文の授業などで、孟浩然の漢詩『春暁』を習ったことのある人は多いだろう。「春眠不覚暁(春眠暁を覚えず)処処聞啼鳥(処処に啼鳥を聞く)夜来風雨声(夜来風雨の声)花落知多少(花の多少落ちるを知る)」というもの。

 この「春眠暁を覚えず」というフレーズ、本当なのだろうか。本当なら、なぜなのだろうか。

 睡眠の質と量は、肥満、高血圧、認知機能、QOL(生活の質)、死亡率などに影響をおよぼす(※1)。睡眠の質と量は、体温(深部体温、中核体温)や周辺気温など、体温調節や環境との間に強い関係があることわかっている(※2)。

 ヒトの体温には大きく分けて皮膚体温と深部体温(中核体温)がある。皮膚体温は外界の気温の影響を受けやすく上下しやすいが、深部体温は脳や心臓などの臓器の働きを正常に保つために変動しにくい。

 変動しにくい深部体温は、概日リズム(サーカディアンリズム、体内時計)に影響を受け、夜間の睡眠中には体温が低下し、起床して活動を始めると上昇する。これは逆に深部体温が下がると眠くなり、上がると覚醒するということでもある。

深部体温が影響する?

 深部体温もまた皮膚体温ほどではないが、外界の気温の影響を受ける(※3)。気温が過度に高くなると熱中症になったり、寒さで低体温症になるなどするのもこのためだ。

 深部体温は摂氏37度前後だが、睡眠中と起床中で摂氏2度程度上下する。また、睡眠に最適な室温は摂氏15.5度から摂氏21度の間とされている(※4)。

 日中時間が長くなり始めると気温も次第に上がっていく。だが、東京都の3月の起床時間帯(午前5時から8時前後)の外気温は摂氏5度前後から摂氏10度前後でまだ寒い。

 つまり、春先はまだ深部体温が上がりにくく、熟睡してしまうために冬の目覚めにくいままの状態が続いていると考えられる。

レム睡眠と概日リズムの影響か?

 また、我々が眠っている間、レム睡眠(REM Sleep、Rapid eye movement sleep)とノンレム(Non-REM)睡眠という二つの状態が出現する。レム睡眠は心身のリフレッシュに不可欠で、記憶の固定や脳の発達などと強い関わりがあると考えられている(※5)。

 レム睡眠は睡眠中に何度か起きるが、我々の身体は回復と脳の調整などのため、レム睡眠の回数をより多く長く欲している。このレム睡眠も概日リズムや周囲の気温に影響を受け(※6)、春先に気温が上昇していくと長くなる傾向があるようだ(※7)。

 一方、ホルモンの一種にメラトニンという物質がある。メラトニンは脳にある松果体という器官から分泌されるが、不眠症の患者ではメラトニンの分泌が減少するなど、睡眠に強く関係していると考えられている(※8)。

 メラトニンの分泌は、概日リズムと同期し、相互に影響し合っている。そのため、人工光や不規則な生活などの影響で概日リズムが乱れると、メラトニンの分泌にも影響が出て睡眠障害以外にも多くの病気の原因になるようだ。

 概日リズムによって、夜にメラトニンが分泌されると眠くなり、朝になるとメラトニンの分泌が減少して自然に目覚めるというメカニズムがある。メラトニンの分泌には、日照時間の長短による季節性があることがわかっている。高緯度地方では夏よりも冬にメラトニンの分泌が2時間遅れるなどし、秋よりも春に長く眠っていたくなる理由かもしれない(※9)。

 一方、春には起床時間も早まり、睡眠時間も短くなるという研究もある(※10)。ただ、この研究によれば、外気温が上昇すると起床時間が遅くなるという。

 以上をまとめると、身体の内部の深部体温が低くなると眠くなり、まだ外気温があまり上がらず、室温も低い春先には熟睡状態になりがちということになる。また、レム睡眠も気温が上昇していくと長くなる傾向があり、概日リズムに影響をおよぼすメラトニンの分泌も季節の移ろいよりも遅れ、その結果として「春眠暁を覚えず」になると考えられる。

※1-1:Kristen L. Knutson, Eve Van Cauter, "Associations between Sleep Loss and Increased Risk of Obesity and Diabetes" Annals of the New York Academy of Science, Vol.1129, Issue1, 287-304, May, 2008
※1-2:Sheldon Cohen, et al., "Sleep Habits and Susceptibility to the Common Cold" JAMA Internal Medicine, Vol.169(1), 62-67, January, 12, 2009
※1-3:Michael R. Irwin, "Sleep and inflammation: partners in sickness and in health" Nature Reviews Immunology, Vol.19, 702-715, 9, July, 2019
※2:Kazue Okamoto-Mizuno, Koh Mizuno, "Effects of thermal environment on sleep and circadian rhythm" Journal of Physiology Anthropology, Vol.31, Article number: 14, 31, May, 2012
※3:L. Lan, et al., "Thermal environment and sleep quality: A review" Energy and Buildings, Vol.149, 101-113, 15, August, 2017
※4:Edward C. Harding, et al., "The Temperature Dependence of Sleep" Frontiers in Neuroscience, Vol.13, 24, April, 2019
※5:Yasutaka Mukai, Akihiro Yamanaka, "Functional roles of REM sleep" Neuroscience Research, VOl.189, 44-53, 23, December, 2022
※6-1:Sat Bir S. Khalsa, et al., "Sleep- and circadian-dependent modulation of REM density" Journal of Sleep Research, Vol.11, Issue1, 53-59, March, 2002
※6-2:Noemie Komagata, et al., "Dynamic REM Sleep Modulation by Ambient Temperature and the Critical Role of the Melanin-Concentrating Hormone System" Current Biology, Vol.29, Issue12, 17, June, 2019
※7:Aileen Seidler, et al., "Seasonality of human sleep: Polysomnographic data of a neuropsychiatric sleep clinic" Frontiers in Neuroscience, Vol.17, 17, February, 2023
※8:B. Claustrat, J. Leston, "Melatonin: Physiological effects in humans" Neurochirurgie, Vol.61, Issue2-3, 77-84, April-June, 2015
※9-1:Thomas A. Wehr, "The Durations of Human Melatonin Secretion and Sleep Respond to Changes in Daylength (Photoperiod)" The Journal of Clinical Endocrinology & Metabolism, Vol.73, Issue6, 1276-1280, December, 1991
※9-2:S. Yoneyama S, et al., "Seasonal changes of human circadian rhythms in Antarctica" American Journal of Physiology, Vol.277, Issue4, October, 1999
※9-3:Leena Tahkamo, et al., "Systematic review of light exposure impact on human circadian rhythm" Chronobiology International, Vol.36, No.2, 151-170, 20, September, 2018
※10:Stephen M. Mattingly, et al., "The effects of seasons and weather on sleep patterns measured through longitudinal multimodal sensing" digital medicine, 4, Article number: 76, 28, April, 2021

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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