感謝と祈り、楕円球がつなぐトンガと日本の絆~復興支援ラグビーマッチ
これぞ、ラグビーの美徳だろう。ノーサイド。激闘を終えたトンガ出身の選手も、日本人選手も、ひとつの輪になって、片膝を緑の芝生について、トンガ王国の復興を祈った。約8千人のあたたかいファンの拍手がグラウンドを包んだ。
11日の東京・秩父宮ラグビー場。1月に起きた海底火山の大規模噴火と津波で被災したトンガの復興を支援する親善マッチ。トンガ出身者のチーム、「TONGA SAMURAI XV(トンガ・サムライフィフティーン)」のチーム最年長、39歳のバツベイ・シオネ主将は、「みなさんの応援がうれしかったです」と日本語に実感を込めた。
「ずっとトンガをサポートしていただいて、感謝しています。日本のみなさん、本当にありがとうございました」
試合後、グラウンドでのインタビューでだった。クボタスピアーズ船橋・東京ベイからの退団が発表されたばかりのフランカー。インタビューの最後、「もうひと言」と自ら切り出した。
「1カ月前ぐらいにシーズンが終わった選手もいますが、このスペシャルなイベントのため、日本に残って、試合の準備をしてくれた。非常に誇りに思っています。チームメイトの努力も称えたい」
楕円球を通じた日本とトンガの関係はもう、40年以上となる。何人ものラグビー選手が、日本の高校、大学で努力をし、日本代表にも上り詰めた。桜のエンブレムを付け、日本選手と一緒に戦った。2011年3月11日の東日本大震災の時は、トンガが真っ先に東北の復興支援に動いてくれた。
今度は、日本の番である。困った時はお互い様。リーグワンの各チームが募金などのトンガ復興支援活動を展開し、日本ラグビー協会により、この“友情マッチ”が企画された。結果は、トンガ出身者の急造チームが、日本代表候補らで構成された「EMERGING BLOSSOMS(エマージング・ブロッサムズ)」に12―31で敗れた。
それでも、トンガ出身の選手は気持ちの入ったフィジカルバトルを繰り広げた。赤白のジャージの左胸には「KANSHA」との赤い文字が描かれていた。試合後も、ニュージーランド代表オールブラックスの「ハカ」のごとく、キックオフ直前に士気を鼓舞するトンガの踊りのような儀式、「シバタウ」をスタンドのファンに向かって、芝生の三カ所で演じた。この日のために創った特別バージョン、シオネ主将は「感謝の気持ちを込めて」と説明した。
1980年代、90年代、日本代表として長く活躍したトンガ出身者チームのラトゥウイリアム志南利監督(旧姓シナリ・ラトゥ)も、「感謝」という日本語を何度も繰り返した。トンガ伝統の衣装姿で。
56歳の監督はこう、言葉を続けた。
「トンガと日本のラグビーには深く長いつながりがあります。トンガの人々は日本にいつも、感謝しています。1月に起きた噴火や津波ではいくつもの家族が家を流されたりして、大変な目にあいました。普通の生活に戻るため、我々もがんばっています。みなさんのサポートもありがたいことです」
この試合はトンガ王国にもテレビ中継された。トンガ選手のがんばりが母国の人々をさぞ勇気づけたことだろう。また、会場では募金活動が行われ、約293万円の寄付が集まったそうだ。
日本代表候補のチームの主将を務めた2015年&19年ラグビーワールドカップ(W杯)代表の田村優(横浜キヤノンイーグルス)は味のあるプレーを披露した。33歳SOは格の違いをアピールしたが、トンガへのエールも忘れない。インタビューではこう、感慨深そうに口にした。
「トンガで被災された方々、その家族、そしてラグビーをしている仲間が苦しんでいるのをみてきたので、このチームとしても、日本ラグビーとしても、大事な一戦だということは認識していました」
田村主将ら日本人選手は試合後、トンガ出身選手らと笑顔で肩を抱き合っていた。試合が終われば、敵味方なしのノーサイド。楕円球を通じた絆の強さが伝わってくる、ほのぼのとした光景だった。