学ラン姿の「リーダー長」が女性であってもいい。明治大学応援団は性別よりも人としての中身を尊重
始まりは「女性禁止ですか?」
グラウンドの選手を奮い立たせ、スタンドの観客を盛り上げる東京六大学の応援団(応援部)。その存在は、東京六大学野球リーグと“セット”であり、なくてはならない神宮の一風景でもある。
現在行われている春季リーグ戦。「学ラン」を身にまとい、きびきびとした所作で応援団を引っ張っている女子学生がいる。明治大学応援団の中山実優さんだ(なかやま・みう、4年、川越女子)。中山さんは1921年発足と100年以上の歴史を持つ明大応援団初の、応援指導班(リーダー)の班長である。
東京六大学の応援団(応援部)は、学生服を着て勇壮な応援を繰り広げる「リーダー」、心湧きたつ音色で球場を盛り上げる「吹奏楽」、そして、華やかな舞いで彩を与える「チア」の三部から成るが、リーダーの長が女性なのは東京六大学でも初である。
中山さんはそもそもなぜ学ランを、応援団を選んだのか?きっかけは大学受験に失敗したことにあった。現役で東京大学を目指すも不合格に。その後に行われた共通テスト利用の後期試験をパスして明大に入学した。だが、進路を東大に絞っていたのもあり、“これをやりたい”というのが、なかなか見つけられなかったという。そんな中、出会ったのが応援団だったのだ。
「もともと応援団、それもリーダーに興味はありました。それで新歓(新入生を勧誘する行事)の時、応援指導班のブースを訪ね、『女性禁止ですか?』と聞いたところ、そうではなかったので。これが始まりでした」
中山さんは中学、高校時代は吹奏楽部に所属。クラリネットを吹いていた。応援団の吹奏楽部という選択肢もあったはずだ。「決め手になったのは“人”です。体験練習で、先輩方の人間性に惹かれました。私自身には“女子で初めて”という意識はなかったです」
区別はしても女性だからと差別はしない
とはいえ、いざ正式に入団を決めると、「初の女性」ということで受け入れる側も慎重だった。明大応援団の菅谷康徳監督も交えて、話し合いもなされたという。その中で、当時の班長はきっぱりとこう言った。「簡単に(班員として)認めるつもりはありません」
明大応援団OBで、1983年卒の菅谷監督は、中山さんとの面談を行った。「応援指導班は女性を受け入れたことがなかったので、どのような準備をして、どのような点に留意をしなければならないか、把握する必要があったのです」
当時の中山さんからは、強い意志と覚悟も感じたという。その上で「性差があるのは事実だから、着替え場所など、明確に区別をすることはある。ただし、差別はしない。練習内容を軽くするとか、制限は設けない。“女性だから出来ない”という前提で向き合うのは失礼だと考えている」と伝えた。
学生服での通学はさせない、という条件も出された。応援指導班は通学の際も学生服を着用するのが決まりだ。だが「学ラン」姿の女子は、どうしても奇異の目で見られる。中山の母親も「それだけはやめてほしい」と同様の意向を持っていた。そこで黒のジャケットを着用することになった。
2017年には初の女性団長が誕生
応援団は体力勝負である。野球応援の際も1回から最終回まで動き通し。応援は競技ではないが、運動量は多い。神宮球場の応援席(コロナ禍で2020年秋のリーグ戦より、応援は外野席で行われている)には屋根がないので、炎天下の日もあれば、冷たい雨にさらされる日もある。
中山さんは小学時代、空手とソフトテニスをしていた経験はあったが、中、高の6年間は文化部。入部してしばらくは、応援のための体力を養うトレーニングについていくのが精一杯だったという。
そんな駆け出しの時代から、中山さんの奮闘を知るのが、団長を務める中藤有里さん(なかとう・ゆり、4年、八王子東)だ。
「はじめは、応援指導班に女子がいるんだ!と驚きました。ですが、それ以降はあくまで1人の応援団の同期として見てきました」
吹奏楽部でテナーサックスの演奏を担当している中藤さんは、明大では2017年以来2人目となる女性団長である。野球応援では団を代表してエールの交換を行っている。そこには団長としての使命感はあるが、“どうして女性の自分がやるのだろう”という感情はないという。「その時はエールを送ることだけに集中しています」
今年は東京六大学のうち3校の応援団(応援部)の長が女性である。神宮で女性がエールを振る光景はもはや珍しくなくなっている。
菅谷監督は2017年に明大応援団初(東京六大学でも初)の女性団長(新宅杏子さん)が誕生した経緯をこう説明する。
「女性団長については、ずいぶん前から考えていました。その理由は3つあります。1つは、明治の応援団は、リーダー部の下に吹奏楽部、チアが置かれておらず、3つの組織が同列同格であることです。そのため、団員の長をどこから出しても何ら制限がないのです。2つ目は、これは明治に限ったことではなく、他の東京六大学の応援団もそうですが、8割程度が女性だということです。つまり、残り2割の男性から団長を出し続けること自体が不適切だと。そして3つ目は、明治が過去に不幸な不祥事を起こした事実がある、ということです。その後、旧態依然としたものと一線を画し、時代に合わせ、時代に先駆ける団体になるべく、各代の学生も必死に取り組んでくれました。結果、“明治の応援団は変わった”と、見た目でわかってもらえるのが女性団長だと思ったのです」
もっとも、新宅さんが初の女性団長になった際は、“なぜ女性が…”という反応も予想されたため、慎重に事を進めたという。
明大応援団は今年、団長、班長だけでなく、チアの責任者も吹奏の幹事長も女性である。
“簡単に認めない”という言葉がバネに
さて、中山さんの話に戻る。1年時は男子との体力や筋力の差を思い知らされた。「全力で走っているつもりでも『中山!遅い!』と(苦笑)。練習での演舞もなかなか評価されませんでした」。
それでも自分に負けなかったのは、“(女性を)簡単に認めない”という班長の言葉が悔しかったからだ。同期の中には様々な理由で辞めた男性班員もいたが、その選択はなかった。
すると11月になった頃、班長に声をかけられた。「中山、変わってきたな」。入団から半年、ようやく認められたのだ。
一般論として、男性社会で女性が認められるのは容易いことではない。これは「前例」がないところに飛び込んだ中山さんが、新しい道を切り拓いた瞬間でもあった。この道をたどる後輩が他校にも現れるようになれば、もしかしたら10年先、リーダーの長が女性であるのが、東京六大学応援のスタンダードになっているかもしれない。
班長になった今、その責任の重さをひしひしと感じている。
「常に班長である自分に目が向けられているので、絶対に弱いところは見せられないですし、下級生がついていきたい存在にならなければ、と思っています」
これまでの取り組みの姿勢が認められたからだろう。中山さんの名刺には「班長」以外に「連盟代表」「トレーニング責任者」「ステージ企画」「神宮応援対策担当」「統制」と5つの肩書きが。つまり、応援指導班だけでなく、応援団全体をけん引していく立場にある。
明大応援団の広報を務める、バトン・チアリーディング部の衛藤はなさん(えとう、4年、明大中野八王子)は「中山は同期ですが、1年生の頃からその頑張りをリスペクトしていました」と話す。
大切なのは人としての中身
4年生になった時、中山さんはオーダーメイドで、自分の「学ラン」をあつらえた。それまでは先輩から譲り受けたものを着ていたという。裏地は明大のスクールカラーである紫紺に近い花紺に。「堅忍不抜」という四文字も入れた。これには“どんなことがあってもじっと我慢して堪え忍ぶ”という意味がある。筆者はその四文字が中山さんのこれまでの3年間、とりわけ1年生時代そのものであるように感じた。
現代は多様性、ジェンダーの時代と呼ばれる。かつてはある意味“男臭さ”の象徴でもあった大学応援団。その中心が女性になっても不思議ではない。菅谷監督によると、東京六大学の応援組織は各大学とも7から8割は女性が占めているという。
ただ、中藤さんは「男性とか女性とかは関係なく、大切なのはあくまでも人としての中身」と考えている。中山さんも同じ考えで「性別ではなく、肝となるのは応援団としての本質であり、根本が揺るがないことだと思っています」
「女性初」というのは、多分に“男性目線”の見方なのだろう。そういえば「男性初」という表現はあまり聞かない。
明大応援団で女性初の班長になった中山さんは卒業後、この経験を生かしながら、男性、女性にとらわれることなく、「人」として仕事に向き合いたいと思っている。