中学受験による「教育虐待」を防ぐために
「教育虐待」という言葉を聞くようになった。取り立てて「中学受験」の文脈で聞かれることが多い。筆者のところにも、中学受験勉強をはじめて「勉強が嫌いになってしまった」「引きこもってしまった」という相談は後を絶たない。そもそも虐待している自覚のある保護者や教師はいないだろうが、知らず知らずに虐待的になってしまっていることは少なくない。そこで、中学受験を考えはじめた保護者に知っておいて欲しいことをまとめてみたい。
「中学受験」が「教育虐待」になりやすい理由
首都圏では中学受験は小学3年生から準備を始めることが多い。しかし、小3で主体的・能動的に「受験をしたい」と考えることはまずあり得ない。ほとんどの場合、中学受験という選択肢があることを保護者か同級生あるいはメディアから聞いて、よくわからないままに口にしているに過ぎない。筆者の経験ではしっかりと理由があって「中学受験をしたい」という小学生が出てくるのは6年生くらいからだ。理由がないままはじめれば中学受験自体が目的になってしまう。しかし、中学受験業界の都合で、実際はほとんどの私立校や国公立校受験対策が2年間で十分に間に合う学習量にもかかわらず、3年以上の通塾が必要なカリキュラムが組まれている。
そのため、よくわからないまま中学受験勉強をはじめてしまい、途中で本人が「自分とは合わない」、「他にもっとやりたいことがある」と気づいても、保護者が「せっかくはじめたんだから最後までやりなさい」、「今まで幾らかかったと思っているの」などという、損切りできなくなってしまい根性論に持ち込むような論理で押し通してしまうことが多い。また、中学受験を経験した保護者の「辛くても頑張ったから今の自分がある。だから、おまえもやるべきだ」というものや、逆に中学受験をしなかった保護者の「自分は受験をさせてもらえなくて結果、大学受験や就活などで困ったから、おまえは頑張りなさい」という極論が横行しやすい。つまり、自分に重ねすぎる、あるいは自分ができなかったことを負わせすぎることで、受験生本人の主体性が疎外されてしまい、結果として「教育虐待」になってしまう。たとえ自分の子どもであっても、自分とは違う。ましてや時代や環境も違うことを考慮しなければならない。
発達段階の違いによる問題
そもそも、発達段階にも個性があるので、早くはじめるほど「合わない」確率は上がる。逆に言えば、無理に合わないレベルの問題に取り組むよりも、成長してから取り組んだほうが効率も良い。特に若いうちは生活の中で学び成長しているので、詰め込みの勉強をしなくても、自然とできるようになることも多い。しかし、小6の1月〜2月に照準を合わせ、逆算するカリキュラムである大手塾の中学受験はベルトコンベアのようなもので、それぞれの生徒に合わせることはない。ついてこれるかどうかは自己責任にされてしまう。
その時点ですでに「教育虐待」的なのだが、この場合の自己責任とは、受験生本人だけでなく家庭のフォローも含まれるのでたちが悪い。その結果、家庭教師や個別指導を追加することになり、ここで成績が伸びなかった受験生はさらに追い込まれていくことになる。緩やかな発達の受験生ならば、なおさら理性的に家庭との折り合いをつけることができず、自分を責めたり、あるいはどうしたらよいのかわからなくなってしまう。決定権を持っているのは本人ではなく保護者である。この状態になって「やめたい」とはっきり主張できるような小学生はほとんどいない。関わる大人のうちの誰か1人でも、「中学受験には合わなそうだから、別の進路を考えたほうがいい」という判断とアドバイスをできるような環境が望ましいのだが、塾と家庭以外の接点がないとそれも難しい。
「教育虐待」を防ぐために
前述の通り、保護者にその気がなくても「教育虐待」的になってしまうことは少なくない。私自身も中学受験を経て進学後、あまりにも合わない担任や学校のスタイルが原因で一時期不登校になったが、母親の「合格できた学校なのだから、合わないはずはない。合わないのは努力が足りないからだ」という確固たる信念があったために、学校からも家庭からも疎外されて文字通り行き場がなくなってしまった。そうならないために、保護者が注意すべきことを考えたい。
結果的に「教育虐待」状態になってしまうには、三つの原因が考えられる。
(1)目的が合わない、あるいは時期が早い
(2)方法が合わない、あるいは時期が早い
(3)場や人が合わない
まず(1)「目的が合わない、あるいは時期が早い」は、何のために中学受験をするのか主体的に腑に落ちていないケースだ。将来の夢も曖昧なのに、「何になるにしても中学受験が有利だ」というのはいささか乱暴な論理である。発達段階や個性に合わせた目的をしっかり合意していれば、たとえうまくいかなくても本人は前向きに納得でき、それも経験として次のステップに進める。受験自体が目的になってしまわないように、将来の目標ややりたいこととの関係などをしっかり考えて紐付けておくことが大事だ。
次に(2)「方法が合わない、あるいは時期が早い」は、勉強方法が合っていないケースだ。教え方や考え方、授業やテスト、評価方法など様々な方法的齟齬が考えられる。そもそも一般的な中学受験勉強が合っていない場合であっても、探究型や思考力型の塾など、従来型の詰め込みではない学習方法や、そのような学びでも対応できる相性の良い学校を探すことで、充実した受験にすることができる。入試方式の相性が良いほうが、入学してからもその学校の学びとの相性も期待できる。
最後に(3)「場や人が合わない」は、雰囲気や価値観、コミュニケーションのスタイルなど言語化しにくい部分の相性が悪いケース。これが1番どうしようもないが、本人も何が合わないのか言語化が難しいので、本人の努力不足のせいにされてしまいがちだ。本当に合っているなら、出かける時も帰ってくる時もある程度ポジティブなはずで、表情が暗かったり、休もうとしたり、どんなことがあったのかを報告しなくなったら注意が必要だ。相性が悪い場や人に「努力」あるいは「我慢」して関わり続けることには、あまり意味がない。せっかくの興味や可能性を潰してしまいかねない。
以上、中学受験において「教育虐待」になってしまわないためにはどうしたらよいかをまとめてみた。保護者が自分の価値観だけで決定せずに、よく子どもの様子を観察することからはじめて欲しい。違和感を覚えたなら、勢いや根性論で押し切らずに、立ち止まって精査熟考するくらいの理性と余裕を持って進学をサポートして欲しい。もちろん、逆に一般的な中学受験や従来型の学習と相性が良い受験生も多数存在するので、その点も注意が必要だ。中学受験というステージでこそ輝け、そこから学びのモチベーションが育つことも少なくない。どちらにしても、小学生の言葉には主体性がない場合も多いことを前提に接する大人が増えることで、より豊かな学習環境を得る小学生が増えることを願う。(矢萩邦彦/知窓学舎・教養の未来研究所)