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『6.15南北共同宣言20周年』、文大統領メッセージは「失望」そのもの

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
2000年6月、南北共同宣言に合意した金大中(左)と金正日(右)。青瓦台提供。

史上初の南北首脳会談から20周年を迎えた6月15日、韓国で記念式典が行われ文在寅大統領は映像メッセージを寄せた。だがその内容は韓国の無策を露呈する失望に満ちたものだった。内容をまとめた。

●歴史的瞬間

「皆さん、皆で祝ってください。私たち二人が南北共同宣言に完全に合意しました」

私の耳にも私の声が弾んでいるのが分かった。金正日(キム・ジョンイル)委員長の手をつかんで持ち上げた。皆が立ち上がり拍手した。拍手はずっと鳴り止まなかった。絶頂の瞬間だった。しかし、この場面はもう一度演出する必要があった。ちょうど場内にカメラ記者がいなかった。誰もこの瞬間を捉えてなかった。広報主席秘書官が私の所に来て暗い表情でこう述べた。

「とても申し訳ありません。先ほどお二人が前に出て発言されたのをカメラ記者がいなかったため撮影できませんでした。重要な場面であるだけに、もう一度お願いします。申し訳ありません」

首脳間ではあり得ない、とても無礼な注文だったが、事案が厳重であるため秘書官の立場としても他に方法がなかっただろう。彼は顔を上げることもできなかった。私としても困っていた。しょうがなく金正日委員長に伝えた。

「金委員長、さっき私たちが前に出てしたことを撮影できなかったというが…」

すると金委員長がすぐさまこう言った。

「ならば今日は俳優になりましょう。良い日なだけに俳優になりましょう」

私と金委員長は再び演壇に出て行き、掴んだ手を高く掲げた。カメラのフラッシュが焚かれた。

韓国の金大中(キム・デジュン)大統領は自叙伝で、20年前の南北首脳会談が合意に至った決定的瞬間をこう振り返った。

1945年、日本による植民地支配から解放されたと同時に米ソにより分断され、様々な努力むなしく1948年に南北別々の政府が樹立して以降はじめて実現した南北首脳による会談。

その意味は当時、金大中・金正日という南北首脳の署名の下で発表された『6.15南北共同宣言』により、「南北関係を発展させ平和統一を実現するのに重大な意義を持つもの」と明記された。

宣言では他に、▲南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士、互いに力を合わせ自主的に解決していくこと、▲南と北は国の統一のために、南側の連合体案と、北側の低い段階の連邦制案が互いに共通性があると認め、今後はこの方向から統一を指向していくこと、という重大な合意があった。

●『6.15南北共同宣言』の意味

上にある二つの「史上初」を含むこの宣言は、2020年の今日まで南北関係の基本となっている。

一つ目は、史上初めて「朝鮮民族がその未来をみずから決めていく」点が明らかにされた。19世紀末以降、植民地支配、分断、冷戦と国際関係に翻弄され続けてきた南北朝鮮による決意表明だった。その後南北は、この合意を元に国際協調を模索していくことになる。

二つ目は、「南北の統一ビジョンが一致したこと」であった。韓国は1989年から「民族共同体統一方案」を掲げていた。これはひと言でいうと、統一に至るまでに中間過程を置くというものだった。

どういうことか。

まず南北の関係を深め土台を作った後で、「二国二制度」を維持しながら共同の経済圏を形成し、休戦体制を平和協定にするなどの諸般の必要な措置を実現した後で、晴れて南北が法的に一つの国になるというものだ。

これは「南北和解協力→南北連合→法的に完全な統一」という『三段階統一論』として今も韓国政府に公式に受け継がれている。

会談で南北は、韓国側の統一方案の第二段階にあたる「南北連合」が、北朝鮮側が1973年そして1991年に更新し主張していた『高麗民主連邦共和国』という統一方案の「低い段階の連邦制」と相通じるものとして、見解の一致を見た。

「韓国が一本とられた」と曲解されがちなこの部分であるが、そうでは無い事を裏付ける金正日委員長の発言を、会談の裏方として縦横無尽に活躍した林東源(イム・ドンウォン)国家情報院長は自叙伝『南北首脳会談への道』でこう伝えている。

「私は完全な統一までは今後、40年、50年がかかると考えます。そして私の主張は連邦制ですぐに統一しようというのではありません。それは冷戦時代に主張したことです。私が言う『低い段階の連邦制』は南側の『連合制』のように軍事権と外交権を南北がそれぞれ保有し、暫定的に統一をしようという概念です」。

このように史上初の南北首脳会談は、南北の和解・協力という朝鮮半島の未来を描く記念碑的な役割を果たし、その後の南北交流の口火を切るものとなった。

当時、韓国の日刊紙『韓国日報』による世論調査では、回答者の95.7%が南北首脳会談の成果に「満足する」とするほど、韓国社会から大きな支持を得た。

林東源(イム・ドンウォン、85)元国情院長。金大中の名参謀として南北関係改善に大きな功績を残した。韓国最後の「戦略家」だ。18年8月、筆者撮影。
林東源(イム・ドンウォン、85)元国情院長。金大中の名参謀として南北関係改善に大きな功績を残した。韓国最後の「戦略家」だ。18年8月、筆者撮影。

●北側が「全拒否」か

それから20年。南北関係はふたたび危機を迎えている。北朝鮮の「ナンバー2」に躍り上がった金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党第1副部長は今月13日の談話で「確実に南朝鮮の奴らと決別する時が来たようだ」と明かし、軍総参謀部による「何か」を予告した。

南北関係がなぜこうなったのかについては、既に様々な分析がなされている。

筆者も以前の記事で述べたように、韓国からのビラ散布よりも、北朝鮮側が19年2月のベトナム・ハノイでの米朝会談決裂に見られるように旧態依然のままの朝鮮半島情勢への苛立ちを爆発させたと見るのが妥当だろう。

そんな中ひらかれたこの日の記念式に、文在寅大統領は映像メッセージを送った。6分ほどのメッセージは結論から言うと南北の対話を促すものだったが中身は惨憺たるものだった(全文は文末に添付)。

文大統領はまず、最近の南北関係について「もどかしく申し訳ない」とし、「薄氷の上を歩くように気を付けて臨んできたが充分でなかった」と振り返った。

続いて過去の金大中大統領の功績を称ると共に、2000年の南北首脳会談がもたらした金剛山観光や開城工業団地などの成果を挙げた。

その上で、「朝鮮半島は今なお南と北の意志だけでは思う存分走れる状況ではない。遅くとも国際社会の同意を得ながら進まなければならない」と現状を分析し、「しかし南と北が自主的にできる事業もはっきりと存在する」と述べた。

だが、それが何かを示すことはなかった。

実はつい50日ほど前の4月27日、文大統領は『板門店宣言』2周年に際し南北がすぐ実行に移せるプランとして、▲新型コロナに共同で対処する協力、▲家畜の伝染病と接境地域(軍事境界線に近い地域)での災害災難対応、▲気候環境変化への共同対応、▲南北間の鉄道連結、▲南北共同遺骸発掘事業、▲離散家族再会事業などの事業にも言及していた。

「何かしなければ」という空気は当時すでに濃厚だったため、この一種の提案は期待とともに受け止められていた。

『板門店宣言』二周年、文大統領は「コロナ危機が新たな機会」と南北協力に強い意欲

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20200427-00175603/

また、当時はこの日の『6.15南北共同宣言記念式』を合同でやるという案も金錬鉄(キム・ヨンチョル)統一部長官の口から出ていた。だがおそらく、こうした案はその後すべて北朝鮮側に断られたのか、無視されたものと思われる。

そうでなくとも昨年末、金長官はとある会合で「北側が韓国の提案をことごとく拒否している。(18年の対話モードから)変わったのは北側だ」と苦しい舞台裏を明かしていた。

映像メッセージで語る文在寅大統領。青瓦台ページをキャプチャ。
映像メッセージで語る文在寅大統領。青瓦台ページをキャプチャ。

●韓国は「ノープラン」なのか?

文大統領のメッセージに戻る。結局この日、文大統領は「何よりも重要なのは、南北間の信頼だ。絶え間ない対話で南北間の信頼を育てなければならない」という原論的な内容を繰り返す他になかった。

これでは「ノープラン」を暴露したようなものではないか。

北朝鮮が韓国に対し敵対的な態度に転換する兆候は5月末ころから見え始めていた。それから二週間が経つのに、韓国側には対話を呼びかける以外の手立てがないことがはっきりした。

文大統領はメッセージの最後の部分で、「平和は一日で訪れない。困難であるほど『小さなことから、可能なことから』始めなければならない。平和は誰かが代わりに運んでくれるものでもない」と述べた。

だがここでもやはり、それが何かは示せなかった。

いったい何がしたいのか?

筆者は、2000年6月13日に平壌に降り立った金大中大統領と金正日国防委員長が握手するシーンを、留学中だった韓国の大学のテレビで見た。その時の高揚した気持ちを昨日のように覚えている。

文大統領がこの日のメッセージで言及したように、当時の南北首脳会談やその後の南北関係好転は簡単に成就した訳ではない。

第一次核危機の余波が収まらず南北関係が冷え切っていた当時、今は亡き現代財閥の鄭周永(チョン・ジュヨン)氏が採算を度外視し金剛山観光をこじ開け、日本人事業家の力や現金の力まで借りて強引に道を切り拓いたものだ。開城工業団地も難色を示す米国を説得に説得を重ね実現してきた。

だが今の文在寅政権は口だけで、南北関係を打開する気概が感じられない。過去、40年にわたり南北関係の一線に立ち続けてきた丁世鉉(チョン・セヒョン)元統一部長官も先日のラジオで政府を指し、「意志はあるが勇気がない」と酷評した。別の専門家も筆者に対し「文大統領はいつになったら決めるのか!」と怒りをあらわにした。

実は昨年4月の『板門店宣言一周年』の時にも筆者は失望を込めた記事を書いた。当時も文大統領は映像で無味乾燥したメッセージを述べるのみだったからだ。南北関係において、今何が求められているのか。文在寅政権はしっかりと考え直すべきだ。

●[全訳]6.15南北共同宣言20周年記念式祝辞

6.15南北共同宣言20周年記念式祝辞

国民の皆さん、

内外の貴賓の皆さん、

6.15南北共同宣言20周年を迎え、

意義深い席に共にしてくださりありがとうございます。

今日、歴史的な宣言を記念する嬉しい場所で、

その宣言の偉大な成果を顧みて

平和の韓半島に向けて

私たちがどの程度前進したのかをお話しなければならないのに、

最近の状況がそうすることを許さず、もどかしく申し訳ありません。

最近、北朝鮮が

一部の脱北者団体などの対北朝鮮ビラと私たちの政府を非難し

疎通の窓口を閉じながら

国民の皆さんは、もしかしたら南北間の対決局面に戻るのではないかと心配しています。

一歩でも進むために常に薄氷の上を歩くように気をつけて臨んできましたが、

充分でなかったという想いです。

いま私たちの状況がかんばしくないので、

多くの挫折と過酷な理念攻勢を勝ち抜き、ついに南北首脳会談を成就させた

金大中大統領の勇気と知恵を思い浮かべています。

2000年6月15日、朝鮮戦争勃発から50年ぶりにはじめて

南北の指導者が向き合って座ることができたのは

二人の指導者が対話の力を信じたからです。

6.15南北共同宣言により

途切れた鉄道と道路がつながり

金剛山観光と開城工業団地事業が始まりました。

6万人の南北離散家族が生死を確認し、

2万4千人の離散家族が再会しました。

開城工業団地には125の企業が入居し、5万5千人の北朝鮮労働者と合作経済を始め、

200万人の私たちの国民が金剛山観光に行きました。

すべて、対話がもたらした成果です。

2017年、朝鮮半島に戦雲が濃くなる状況で

南北の指導者がふたたび向かい合うことができたのも、

6.15共同宣言の精神を継承しようという意志が双方の指導者にあったからです。

対話の力で、私たちは平昌冬期五輪を平和五輪として成功裏に完成させ

史上はじめての米朝首脳会談も始めることができました。

朝鮮半島は今なお

南と北の意志だけでは思う存分走れる状況ではありません。

遅くとも国際社会の同意を得ながら進まなければなりません。

しかし南と北が自主的にできる事業もはっきりと存在します。

何よりも重要なのは、南北間の信頼です。絶え間ない対話で南北間の信頼を育てなければなりません。

国民の皆さん、

内外の貴賓の皆さん、

私たちが直面している思い通りにならず難しい問題は

疎通と協力で解いていくべきものです。

反目と誤解が

平和と共存に向けた私たちの努力を

塞いでいるのを放置してはなりません。

朝鮮半島の情勢を画期的に転換しようとした

金正恩委員長の努力を私はよく知っています。

期待通り米朝関係と南北関係の進展が実現しなかったことに対し

私の悔いもまたとても大きいです。

しかし私と金正恩委員長が8千万の同胞の前で行った

朝鮮半島平和の約束を巻き戻すことはできません。

私たちの政府は疎通の綱を離すことはないですし、

4.27板門店宣言と9.19平壌共同宣言の履行のために

絶え間なく努力します。

板門店宣言で南北は軍事境界線一帯でビラ散布などすべての敵対行為を中断すると合意しました。

7.4南北共同宣言と南北基本合意書をはじめとする

歴代の南北合意でも同じ内容を何度も明らかにしてきました。

朝鮮半島の平和と繁栄を望む人ならば誰でも遵守すべき合意です。

この合意が守られるよう、国民の皆さんも心を合わせてください。

北朝鮮に対しても対話の扉を閉じないように要請します。

障壁があるならば対話を通じ知恵を集め共に超えていきましょう。

6.15南北共同宣言は同胞の心に吹いた薫風であり、

朝鮮半島の運命を変えた歴史的な宣言でした。

私たちはようやく民族の和解と朝鮮半島の平和が漠然として夢ではないことを体感することができました。

平和が経済であり、雇用であり私たちの生命です。

平和は一日で訪れません。

困難であるほど「小さなことから、可能なことから」始めなければなりません。

平和は誰かが代わりに運んでくれるものでもありません。

私たちの運命を私たちみずから開拓しなければなりません。南と北がともにすべき事です。

「私たちの民族が必ず共に共存共栄し

新たな21世紀に共に手を取り合い世界の一流国家として雄飛しよう」という

金大中大統領の所懐を覚えています。

平和と繁栄のために南北が連帯し協力する時代を

共に開いていきます。

ありがとうございます。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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