問われる引き出し屋の自立支援(1) 脱走者が「捕獲」される町で
東京都心から東名高速道路で約1時間あまり。秦野中井インターチェンジに続く工業団地の大きな街区を抜けると、山間に神奈川県中井町の住宅地が現れる。その景色は、豊かな企業税収入を背景にした日本屈指の財政健全自治体という趣とは異なる、人口約9300人の典型的な過疎の町並みだ。
そんな静かな町のバス通り沿いにあるのが、本稿の舞台、「ワンステップスクール」(通称:ワンステ)の湘南校である。
■「失敗しない男」は、「大人の引きこもり」を本当に救えているのか?
<「不登校」や「ひきこもり・ニート」、「家庭内暴力」など、あらゆる若者の問題の修復に取り組んでおります>
ウェブサイトにこう掲げる同校は、ひきこもり等の状態にある人を対象にした民間の自立支援施設だ。
運営母体は、一般社団法人若者教育支援センター(東京都港区)という、いかにもカタそうな名前だが、代表理事の広岡政幸氏は、家庭からのSOSを受ければ、自ら全国どこにでも出かけていくというフットワークの軽さをウリにしている。
広岡氏には、昨今高い注目を集める「大人の引きこもり」に関する著作もある。児童から中高年までのあらゆる世代のひきこもる本人を、「説得」して、同社の施設に連れ出すのが得意なようで、本には自ら「僕、失敗しないんです」と綴っている。スーツが似合うそんな気鋭のイケメン支援者の姿は、絵になるのだろう。これまで、テレビメディアを中心にその活動ぶりを頻繁に取り上げてきた。
しかしここ数年、広岡氏が率いるワンステの支援手法をめぐって、批判やトラブルが報じられていることも事実である。
2016年3月、テレビ朝日が、広岡代表がひきこもり当事者が暮らす部屋のドアを壊し、激しい言葉を浴びせ、部屋から引き出すシーンが放送された。この「TVタックル」問題は、暴力的な引き出し行為を好意的に放送したとして、専門家やひきこもり経験者たちから強い反発を招いた。彼らの抗議会見は、数多くのメディアが取り上げた。
2018年7月には、集団脱走が起きた。少なくとも10人の脱走者たちが、福祉施設に緊急保護されていることがわかり、ワンステへの入校経緯をめぐり対立しているといったトラブルが、同年12月に共同通信によって、施設名入りで報じられた。配信されたこの記事は、全国各地の地方紙に、大きく掲載された。
2019年7月には、前年に集団脱走したひとりが、連れ去り被害から脱走までの一連の経緯を語った内容と併せ、広岡氏の噛み合わない主張が、同じく施設名入りでアエラドットに掲載された。
いずれの取材者も、報じる際に、施設名や代表者の名前を匿名のままにすべきでないと判断していることになる。
そんなワンステップスクールが存在する地元の中井町で、連れてこられる生徒たちの様子を心配し、見つめ続けてきた人物がいる。
■警察官から「最近やってきたあの施設、何かおかしい」と相談されて
中井町議の加藤久美さん(52)が、最初にワンステのことを知ったのは、2016年の秋頃に、知り合いの警察官からこう相談されたことがきっかけだった。
「最近やってきたあそこの施設のこと、知ってる? 『助けて』と交番に逃げ込んでいる人たちがいる。これが何件も続いている。何かおかしい」
ワンステは当時、千葉県市原市から中井町に引っ越してきたばかりだった。
相談を受けた加藤さんは、名刺を持ってワンステ湘南校を訪れ、「町の議員だが、話を聞かせてほしい」と言って中に入った。
スタッフの案内で見た施設の内部は、異様だった。監視カメラだらけという物々しさで、玄関の側の部屋には、監視モニターが何台も並んでいた。大きな部屋では、見た目は子どもから40代くらいの大人たちが30人ほどいて、無言で公文をやっていた。
個々の部屋も見せてもらえた。狭く仕切られた薄暗い部屋は、「無低」と呼ばれる無料低額宿泊所(筆者注:生活保護を受給する生活困難者向けに提供される居住施設)よりは少し広いものの、どこか彷彿とさせるものだった。
加藤さんの前の職業は、同県小田原市の生活保護課の就労支援員や相談員だ。同課が「保護なめんな」と書かれたジャンパー問題で炎上したのは辞めた後の出来事だが、加藤さんはともかくこうした職場の経験から、「無低」をよく知っていた。
案内したスタッフは、「女性のスペースもある」と見せてくれたが、ドア一枚で隔てられているだけで、とても安全が守られているとは思えなかった。
■町に広がる幻想的なロジック
厨房では、知り合いの地元の主婦が働いていた。彼女は、「採用時の条件とは違った」と不満を言って、辞めていった。その後もワンステは、地元の主婦たちを採用し続けた。
スタッフとなった彼女たちは、ワンステが地域に溶け込むための手助けをするようになった。加藤さんが個人的に手掛けていた、学校放課後支援ボランティアにもやってきて、「生徒たちにも手伝わせたい」と売り込んできた。しかし、ワンステが犯罪歴や非行歴のある人たちの自立更生も引き受けていたことから、児童たちへの性的被害のリスクが拭えず、簡単に受け入れることはできなかった。
2017年春、広岡氏が本を出版すると、今度は、「本を読んで」「講演会に来て」と、売り込みが激しくなってきた。広岡氏自身も、地元の商工会や自治会につながりをつくり、信頼関係を築いていた。
しばらくすると、ワンステのスタッフたちが町の人たちに働きかけ、生徒たちを、町の祭りの設営をはじめ、通学見守りや草刈りといったボランティアに積極的に参加させるようになった。そのうちに、畑を貸す人や農繁期の手伝いをお願いする農家も出てきた。
さらには、地元の幼稚園や小学校の行事に、ワンステのスタッフが「来賓」として招かれるようにまでなっていった。
「親を困らせる子を矯正させる良い施設」
「社会的に必要な施設だから、地域で支えるのは当然」
小さな町には、次第にそんな友好的な声が広がっていった。
しかし、「助けて」と言って脱走してくる生徒たちがいる以上、加藤さんにはそれらが幻想的なロジックにしか思えなかった。疑念を裏付ける情報をネットで検索してみたが、TVタックル問題の記事が出てくるだけで、よくわからなかった。
「ワンステと仲良くしろ」という周囲からの圧力は増す一方だったが、加藤さんが街の空気に同調しなかったのは、町のあちらこちらから、不可解な情報が寄せられていたからでもあった。
■「あそこには、人権なんてないっすよ」
ワンステには時おり、消防車や救急車が来ていた。なぜそんな頻度で来るのか、確かめても詳しく教えてもらえなかった。
さらに、町の外に向かって歩いていると見られる生徒らしき人が、追ってきたワンステの車に捕獲されるように引きずり乗せられていく場面を、何人もの住民が、あちらこちらで目撃していた。
「今日の朝ね、羽交い締めにされて乗せられていくところを見ちゃったんだけど……」
知り合いたちが、加藤さんにそんな風に電話をしてくるのだ。実際に筆者も、住民の一人から、「何も持たずに歩いていた男の子が、(町外れの)トンネルの手前でさらわれていった」という目撃談を聞いたことがある。
そこで加藤さんは、情報を集めるため、ボランティアで街に出てくる生徒たちに直接声をかけ始めた。
最初に話を聞けたのは、農業セミナーで出会った若者だった。
一人での外出が許されているというその生徒は、農家の祖父母のためにいつか役立てようと、勉強しに来ていた。ワンステでは、入所が長期にわたると、脱走の恐れはないとして、自由な行動が許される例がある。
「ワンステのことは、良くない噂も聞こえてくるんだけど、ぶっちゃけ、どうなの? あなたは大丈夫なの?」
加藤さんがそう尋ねると、その若者は、吐き捨てるように言った。
「あそこには、人権なんてないっすよ」
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本稿で同校を取り上げるにあたり、広岡氏に宛て「なぜ脱走者を連れ戻すのか」等を尋ねる質問を送ったが、期限の22日までに回答は得られなかった。翌日23日になって代理人弁護士から一部の質問に対する質問が届き、やり取りを続けているが回答はひとつも得られていない。