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識学のCM「部下の頑張りは評価すべきではない」は本当に正しいのか

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 2019年にマザーズ上場第1号を果たした組織コンサルティング会社「識学」は、創業からわずか4年の企業である。

 少なからぬ人は、識学のCMをインターネットなどで見たことがあるだろう。CMでは、識学のコンサルタントを演じる要潤が、企業の社長に対して質問する。「部下のモチベーションを上げるのは、上司の役割である。」「結果だけではなく、社員の頑張る姿を評価すべきである。」「社長は自ら現場に入るべきだ。」当然のごとく、社長はイエスと答える。

 しかし識学によれば、それは大間違いなのだ。この衝撃的なCMを観た社長は、理由を知りたいと思うだろう。これが、識学が業績を伸ばすことのできたマーケティング戦略である。最初に観たときから、うまいことをやるなと感心したものだ。

 ところで、これらの質問の答えは本当に正しいのだろうかと、疑問に思う人は多いはずだ。識学の回答とは異なるのかもしれないが、筆者の研究によれば、たしかに言っていることは正しい。あるいは、一定の条件を踏まえなければ正しいとは限らないと言ったほうが、より適切であろう。しかるにこれはCMなのだから、それでよいのである。

 当記事では、識学の三つの質問について、簡潔に解説することにしたい。

部下のモチベーションは上司の役割か

 ロチェスター大学のエドワード・デシ教授の著書『人を伸ばす力』には、次のような研究が紹介されている。

 マーク・レッパーとデイヴィッド・グリーン、リチャード・ニスベットの三人は、自由遊びの時間に絵を描いている幼稚園児を三つのグループに分け、実験を行った。

 まず「よくできました」と書かれたリボンのついた賞状を用意する。Aグループには事前に賞状を見せ、この賞状がほしいかと尋ねた。Bグループには、事前に賞状を用意していることを伝えず、絵を描き終えてから賞状を渡した。Cグループには、賞状があることを伝えず、渡すこともしなかった。

 二週間後、幼稚園児たちに同じように絵を描かせてみた。すると、BとCのグループは一生懸命に絵を描いたが、Aグループは絵を描くことに興味を失い、描く時間も大幅に少なくなってしまった。

 見返りがあることをちらつかせると、課題に対する純粋な興味が失われるのである。よって、頑張ったらごほうびをあげるような、おせっかいはすべきではない。もしも報酬をあげるならば、あらかじめ伝えるのではなく、後でサプライズとしてあげるべきだ。その場合でも、もしそれが定例化すれば、見返りがなくなったときにはやる気が失われてしまう。

 部下がやりたいと思うことが大事なのだ。だから、上司は部下のやりたいことに干渉すべきではない。上司のやるべきことは、部下に与えた仕事の意味づけまでで終わらせるべきであろう。

社員の頑張る姿を評価すべきか

 この質問に関して、重要なのは「社員」の頑張る姿、という点だ。よって学生ではないし、自分の子供でもない。

 会社員の仕事は、まずもって成果を上げることである。さらには、できるだけ少ない時間で、より多くの成果を上げることである。よって会社員は、生産性を意識して仕事をしなければならない。さもなければ、企業は立ち行かなくなる。

 もし社員の頑張りを評価することに注力すれば、社員には次のような意識が根づいてしまうだろう。すなわち、成果を上げなくても、頑張ってさえいれば、評価されるのだと。社員は、一生懸命頑張る姿を上司に見せようとし、定時で帰ろうとはしなくなる。長い時間働くことが美徳だと考え、仕事を工夫して、早く帰ろうとは思わなくなるのだ。かくして、コストはかさむのに、成果は上がらない組織が出来上がるのである。

 頑張る姿を認めてもよかろう。だが、成果に向けた頑張りであることは、意識させないといけない。識学では、部下を叱れない上司への批判もあるが、叱ることは成果を上げない行為に対してなされる行為だ。つまり、怒りは個人に対してなされるが、叱ることは行為に対してなされる。重要なのは、成果に向けた努力ではなく、適切なプロセスである。そしてプロセスは、客観的な評価の対象とすることができる。

社長は自ら現場に入るべきか

 英国のコンサルティング会社シンカーズ・フィフティーが発表した「世界で最も影響力のあるビジネス思想家ランキング」では、2017年の1位は、トロント大学のロジャー・マーティンであった。

 マーティンの著書『「頑張りすぎる人」が会社をダメにする』では、あまりに強く、またいびつなリーダーシップは、部下を無責任体質にしてしまい、組織を崩壊させることが明らかにされている。「無責任ウィルス」が蔓延し、部下が自分の役割を果たそうとしなくなるのだ。

 社員は個々の仕事における責任をもち、それを全うすることで、組織は機能する。組織のなかで社長は、全体の意思決定者であり、ビジョンや方向性を示すことが主な役割だ。それを踏まえ、社長以下のマネジメントは、戦略を策定し、組織を再編する。

 その社長が現場に入れば、どうなるか。一つひとつのことに指示を出したり、部下の仕事を代わりに行ったりするようになる。当然社員は、社長の意思を無視することはできない。よって社員は、社長がそうしたいのであれば、自分は社長に責任を託そうと思ってしまう。その状態が続けば、社員は自らの意思を発揮する機会が得られなくなる。自分の仕事に責任をもつ姿勢を育むことは、できなくなってしまうのである。

 例外はあるものの、近代的な経営において社長が現場に入ることは、よろしくないのだ。それよりも、社長は全体を俯瞰して、自社に何が必要なのかを日常的に考えておく必要がある。現場に入る暇があれば、もっと全体のシステムを機能させるためにやるべきことを考え抜いたほうが、組織に貢献することができる。

識学は正しいのか

 結論を言えば、CMで言っていることは正しいのだ。とはいえCMは、あくまでも一般化された状況に関して述べているに過ぎない。CMで間違いだと述べられたことは、時々の状況や条件によっては、正しいこともある。

 だからこそ、識学のマーケティング戦略は見事なのである。コンサルティングとは、一般化されたことから離れて、企業が直面する特定の状況において解決策を模索し、実行手段を提示することであろう。このCMを観た人は、さらに先の知識を求めざるを得ない。かくしてクライアントは、識学の考えを基礎として、その先に進むための方法を、識学に問わざるを得なくなるのである。

 今後の識学が伸びていくかどうかは知らない。しかし識学は、巧みな戦略によって、たしかに業績を伸ばしたのだ。それは、他社とは違う解決策を提示するという明確な意図を示し、それを裏づける各種の研究成果とロジックを踏まえてのことだと思われる。日本にコンサルを名乗る企業が乱立しているなか、識学のやり方は間違いなく成功しているのだと言わざるを得ない。

 売れないコンサルに、相談したいと思うだろうか。売れているからこそ、識学のやり方は今後も通用する。しかるにその手法は、背景にある各種のマネジメント研究を取り入れることでしか、成立しない。リスクを負いながらも成長を遂げてきた識学には、称賛の言葉を送りたい。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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