戦国武将たちのお酒のしくじりエピソード3選
日本でお酒は奈良時代には麹による醸造法が確立されたと言われています。平安時代までは特権階級が飲むものでしたが、鎌倉時代には庶民も飲むようになり私たち現代人もお酒を楽しむことが出来ます。
戦国武将たちもまたお酒をたしなみ、さまざまなエピソードを残しました。
そこで今回は、戦国武将たちのお酒にまつわるエピソードを紹介します。
上杉謙信は馬上でも酒を飲んでいた
上杉謙信がお酒好きなのは歴史界隈では有名な話。
行軍中の馬上で三合は入るといわれる『馬上杯』でお酒を飲んでいた逸話もあります。この盃は謙信を祭る神社に収められているといいます。
謙信は一人でチビチビ飲むのを好み、肴に梅干しやみそなどの塩辛いものをつまんでいました。たまに塩をつまみに日本酒を飲んでいる生粋の吞兵衛に出くわすこともありますが、まさに上杉謙信もこういったお酒の飲み方をしていたのでしょう。
死因も厠で倒れて意識を失い、そのまま昏睡状態で息を引き取ったとされ、専門家でない私でも長期にわたる塩分と酒の過剰摂取による脳出血ではないかと推測できます。
酒に飲まれていた福島正則
『酒は飲んでも飲まれるな!』とよく聞きますが、福島正則は大酒のみで酒に飲まれるタイプでした。
しらふだと情の深い人物といわれていますが、ひとたびお酒が入ると手が付けられなかったようです。
有名な話ではお酒の飲みすぎを注意した家臣に切腹を命じ、次の日に「昨日は言いすぎたから家臣を呼んできて」と言いますが、時すでに遅し…その家臣は切腹した後でした。
さすがにこの時はショックを隠しきれなかったみたいですが、その後も相変わらず酒癖が悪いままだったそうです。
また、いつものように飲みすぎて気が良くなりウッカリ浮気をしてしまった正則。朝帰ると妻にバレており、いくさでも敵に背中を見せた事のない正則が『薙刀を持った妻に追いかけまわされた』などのお酒の失敗話が尽きません。
正則のお酒エピソードには後世の話もありますが、きっとたくさんの話が生まれるほど酒癖が悪かったのでしょう。
お酒が辞められない長宗我部元親
四国の覇者・長宗我部元親も大酒飲みで、家臣たちも酒豪そろいだったそうです。
もちろんお酒を楽しむ分にはよいのですが、それが原因で仕事にも支障が出るようになったので元親が【禁酒令】を定めます。
- 身分に関係なく大酒を禁止
- 酒を飲んで事件を起こしたら罰金または死刑
- 人を傷つけたり迷惑を掛けたら首を斬る
ところが、ある日に重臣が城の外を歩いていたところ、酒樽を持って城に入ろうとした人を見かけたので「この酒樽はどうしたのか?」と声を掛けると「元親様が飲むんでないか?」と返答しました。
そして、その重臣はすぐに城に戻り元親に詰め寄ります。自分のために切腹覚悟で意見を言った重臣の思いに目が覚めた元親は猛省し禁酒令を説いたそうです。
「禁酒令は続けろよ…結局飲むのか…」とツッコミたくなるのは私だけでしょうか?
【番外編】酒を慎み長生きした毛利元就
毛利元就の父と兄は若くして亡くなっています。その原因を元就はお酒と考えて彼はほとんどお酒を口にしませんでした。
元就の父・兄の時代は大内と尼子の間で神経をすり減らしていた頃で、当主のストレスは相当なものだったと推測されお酒に逃げていたのかもしれません。
元就によるお酒の教えは子供たちにも伝えられ、隆元には「酒はわきまえて飲み、気を紛らわすために飲むな!」と言い聞かせていました。
とはいえ、お酒を全否定していたわけでもなく、適度の飲酒は良いことも知っており家臣たちにも飲みすぎはいけないことを伝えたうえで振る舞っています。
こうした節酒が功を奏したのか毛利元就は75歳で、この時代では長生きでした。