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ロシアの「対独戦勝記念日に勝利宣言」はナンセンスの極み!そもそもロシアはドイツに勝っていない。

山田順作家、ジャーナリスト
5月9日、対独戦勝記念日になにを言うのだろうか?(写真:ロイター/アフロ)

■「(宣戦布告は)ナンセンス」とロシア政府

 ウクライナ戦争のターニングポイントとされる5月9日が近づいている。この日は、ロシアの第2次世界大戦の「対独戦勝記念日」にあたるので、ロシアの「勝利宣言」がある。あるいは「宣戦布告」があると、これまで西側メディアは報道してきた。

 これに対してロシアは、5月4日、大統領府のペスコフ報道官を通してこれを否定。宣戦布告をし、国家総動員を発令するとの観測を、「その可能性はない。ナンセンスだ」と一笑に付した。

 しかし、ロシアが「ナンセンス」と言うこと自体、もっとナンセンスである。なぜなら、ロシア(旧ソ連)は、第2次世界大戦でドイツに勝ってなどいないからだ。

■ヒトラーが目指したソ連南部資源地帯の征服

 第2次世界大戦において、ドイツの敗戦を決定づけたのが、スターリングラード攻防戦である。この戦いは、あらゆる点から見て、世界史上最大の地上戦、市街戦、野戦であり、動員兵力、死者数、経済損失などいずれも最大を記録した。

 ドイツのソ連攻撃は、1941年冬のモスクワ陥落失敗を教訓として、1942年半ばからは、目標をソ連南部に切り替えて行われた。同年6月28日に開始された、いわゆる「ブラウ作戦」である。

 ドイツ軍は、南方軍集団をドン川沿いを制圧するB軍集団と、ドン川を渡ってコーカサス地方の油田地帯を攻めるA軍集団に分け、スターリングラードに向けての進撃を開始した。

 短期決戦を断念したヒトラーは、長期戦に備えての資源確保を目指し、ソ連の資源地帯である南部を攻めることにしたのだ。コーカサス油田地帯を確保し、連合国からの補給ルートであるペルシア回廊を遮断してソ連の継戦能力を奪い、黒海の制海権を握ってトルコを枢軸国側に引き込むことを狙っていた。

■スターリングラードはドイツ軍の死体の山に

 ドイツ軍の進撃は早く、8月23日には、先陣がスターリングラード郊外に到達した。しかし、ソ連の反撃を甘く見たヒトラーが、軍団から装甲師団と自動車化歩兵師団を引き抜いたことが、その後の泥沼の市街戦の遠因となった。

 ソ連軍は、ドイツ軍をスターリングラードに釘付けにすることを決め、持久態勢を取った。ドイツ軍は空爆を繰り返して市街地への突入をはかった。しかし、市街地は空爆によって瓦礫の山となり、これを巧みに使ってソ連軍が応戦したため、戦闘は建物一つ、部屋一つを奪い合うかたちの完全な消耗戦となった。

 ウクライナ戦争では、この逆をロシア軍がマリウポリでウクライナ軍に対して行っている。

 11月29日、ソ連軍の持久策が奏功し、ソ連軍はスターリングラード市内にドイツ軍を封じ込めることに成功した。ここにやってきたのが、ロシアの厳しい冬である。市街地での攻防戦の模様は、映画『スターリングラード』に生々しく描かれている。ドイツ軍は次々に死体の山を築いていった。

■ドイツ軍にとって経験したことのない大敗北

 年が明けた1943年1月31日、フリードリヒ・パウルス元帥率いるドイツ第6軍と枢軸国軍約23万人のうち、生き残りの約9万人が降伏した。その結果、大量の軍需物資がソ連軍の手に落ち、ドイツ軍は壊滅状態になった。

 2月2日、スターリンは、スターリングラード攻防戦に勝利したと宣言した。

 このドイツ軍の敗戦は、陸戦で常勝だったドイツ軍にとって経験したことのない大敗北であり、北アフリカのエル・アラメインの戦いでのロンメル軍の敗北とともに歴史の一大転換点となった。

 スターリングラード攻防戦で、ドイツの総司令部は、兵員101万1000人を動員し、火砲1万290門 、戦車675両、戦闘機1216機を投入した。しかし、ソ連軍は持ちこたえた。

 それを撃破できる武器を、アメリカから供給されたからだ。

■ソ連の勝利を決定づけた「レンドリース法」

 アメリカが連合国に武器を供給する「レンドリース法」(武器貸与法)が開始されたのは、1941年3月である。日本の真珠湾攻撃の約9カ月前だ。

 この法律により、総額501億ドル(現在価値にすると約7500億ドル)の物資が連合国に供給され、そのうち314億ドルがイギリスに、113億ドルがソ連に、32億ドルがフランスに、16億ドルが中華民国に提供された。

 1940年の暮れ、ルーズベルトは有名な“炉辺談話”を発表し、アメリカは民主主義国の兵器廠になると宣言した。

 これを受けて成立したのがレンドリース法で、同じことが、今年の4月6日、アメリカ議会で起こった。ウクライナに軍事物資を供給する「ウクライナ民主主義防衛レンドリース法案」が上院を全会一致で通過したのだ。

 この法案はその後、28日に下院でも賛成417票、反対10票で可決された。現在、ウクライナは、アメリカを中心にした西側から大量の武器の提供を受けている。

■アメリカ製の戦車やトラックで戦ったソ連軍

 次に示すのが、レンドリース法によって、1945年9月の終戦までの間に、ソ連がアメリカ中心の連合国から受け取った主な軍需物資の総数だ(「Wikipedia「レンドリース法」参照」。

航空機14,795機

戦車7,056輛

ジープ51,503輛

トラック375,883輛

オートバイ35,170台

トラクター8,071台

銃8,218丁

機関銃131,633丁

爆発物345,735 トン

建物設備10,910,000 ドル

鉄道貨車11,155輛

機関車輌1,981輛

 戦車、トラック、ジープから航空機、鉄道車輌にいたるまで、ソ連は徹底して供与を受け、それによって精鋭のドイツ軍と戦った。とくに戦車においては、アメリカの「シャーマン戦車」や「パーシング戦車」などの供与を受けなかったら、ドイツ戦車には対抗できなかったとされる。

 スターリングラード攻防戦時には、ソ連はトラック、ジープなどが徹底的に欠乏しており、アメリカ製のトラック、ジープがなかったから、兵站ができなかったとされる。終戦までにソ連軍に配備されたトラックのほぼ3分の2は、アメリカ製だった。

 航空機の約1万5000機というのも、膨大な量である。これは、第2次大戦中に日本海軍が失ったゼロ戦の全機に相当する。

 スターリンは後に、「アメリカの生産力なくしてはこの戦争には勝てなかった」と言ったが、これは偽りのない真実だ。

■「インド洋ルート」を断ち切ればソ連は敗北

 スターリングラード攻防戦を含めて、第2次大戦中にドイツと戦うソ連にアメリカから物資を運び込むルートは、三つ存在した。一つは、北大西洋から北極海に面したムルマンスクにいたる「北極海ルート」。もう一つが、米本土から北太平洋を横断してウラジオストックにいたる「アラスカルート」。このアラスカルートでは、アメリカ船がソ連国旗を掲げて偽装し、日本軍の監視をすり抜けた。

 そして、三番目のルートが「インド洋ルート」で、喜望峰を回ってインド洋を北上した船団がイランに行き、その後陸路のペルシア回廊でソ連に向かった。スターリングラード攻防戦で最重要だったのが、このインド洋ルートだったのは言うまでもない。

 つまり、インド洋ルートを断ち切ってしまえば、スターリングラードでのソ連の勝ちはなかった。スターリングラードばかりか、独ソ戦全体でソ連はドイツに敗北していただろう。ただし、歴史に「イフ」はない。

 とはいえ、インド洋ルートの鍵を握っていたのは、日本だった。もし、日本の連合艦隊がインド洋に進出し、連合軍の輸送船団を壊滅させていれば、ソ連は間違いなく敗北していた。

■ドイツからの連合艦隊インド洋展開要請を無視

 真珠湾攻撃によってアメリカの参戦が決まると、ドイツは日本に海軍による連合軍の輸送船団への通商破壊作戦を要請してきた。

 しかし、日本海軍はアメリカ海軍との艦隊決戦を志向し、英国東洋艦隊を壊滅させた後は、太平洋に専念していた。そうして、戦略的に意味のないミッドウェー海戦を行い、ガダルカナル島攻防戦を戦っていた。

 この時期、ドイツ陸軍はスターリングラードにソ連軍を追い詰めていた。

 1942年の夏から秋にかけて、ドイツとイタリアは、日本に対して何度も海軍をインド洋に出すように要請してきた。

 「日本はなぜインド洋に空母機動部隊を出して、通商破壊を行わないのか」と、矢のような催促が続いた。

 ドイツ駐日武官ヴェネカーは、日本政府に対し、「艦船の量産や航空機増産の競争では、日本はアメリカに勝てない。それならば、艦隊決戦に執着せず、 海上補給路の攻撃に乗り出すべきである」と進言し、「ソロモン地域は主要交通線および防御線から遠く、三国共同の作戦地域であるインド洋の重要性に比べれば問題とならない」とまで訴えた。

  しかし、日本はドイツの要請に応じなかった。

■アメリカはソ連と中国を倒すべきだった

 第2次世界大戦とは、アメリカが全世界と戦っても勝てる、唯一の世界覇権国であるということを証明した戦争だった。第2次世界大戦で、アメリカは枢軸国側と戦うすべての国を援助し、日本、ドイツを打ち負かした。日本やドイツに勝ったのはアメリカであり、ソ連、まして中国(共産党政権)ではない。

 つまり、事実上の戦勝国はアメリカだけであり、ソ連や中国はアメリカに助けてもらったうえに、“漁夫の利”として領土や主権拡張を得ただけである。

 本来なら、アメリカはドイツと日本に勝った時点でただちにソ連や中国共産党と開戦し、スターリンと毛沢東を歴史の表舞台から葬るべきだった。欧州ではソ連軍が占領した東欧諸国に軍を進め、アジアでは朝鮮、中国に軍を進めるべきだった。

 そうすれば、無用な「冷戦」は起こらず、核兵器による安全保障の変質も起こらなかっただろう。

■ロシアにも中国にも「戦勝」を祝う資格はない

 ロシアが毎年盛大に祝う5月9日は、第2次世界大戦の欧州戦線が終結した日である。この日、ヒトラー亡き後のドイツ政府は、アイゼンハワー連合国最高司令長官との間で降伏文書に調印した。その時間は、ベルリン時間で5月9日午前0時15分、モスクワは夏時間で5月9日午前2時15分だった。

 ロシアは、毎年この日に、モスクワの赤の広場で盛大な戦勝パレードを行う。ロシア国防省によると、今年は核搭載可能な戦略爆撃機「ツポレフ160」のほか、空中指揮機「イリューシン80」などが聖ワシリイ大聖堂の上空を飛行するという。「イリューシン80」は核戦争勃発時に大統領らが乗り込むことから「終末の日の飛行機」と呼ばれ、プーチン大統領は「終末の日」を示唆する警告演説をするのではと、西側メディアは伝えている。

 しかし、どう見てもロシアには、対独戦勝を祝う資格などない。ロシアと同じく、中国もまた、9月3日を「対日戦勝記念日」(中国では「抗日戦争勝利記念日」と呼ぶ)として、日本に勝利したことを祝う資格などない。

 第2次世界大戦の本当の戦勝国アメリカは、ロシアや中国のように、戦勝記念日を祝わない。アメリカは、欧州における終戦日(ドイツの降伏日)の5月8日を「V-Eデー」(Victory in Europe Day)とし、アジアにおける終戦日(日本の降伏日)の9月2日を「V-J デー」(Victory over Japan Day)としているが、盛大な記念式典などは行っていない。

■「歴史の終わり」が訪れるかはアメリカ次第

 1989年、米ソ冷戦が終結するのと前後して、歴史学者のフランシス・フクヤマ氏は、有名な『歴史の終わり』(The End of History)という論文を書いた。冷戦終結で、アメリカ1極世界が訪れたとされた時代のムードに、まさにぴったりの論文だった。

 『歴史の終わり』の主旨は、民主制が政治体制の最終形態であり、民主主義と自由経済が最終的に勝利して歴史は終わり、平和と自由と安定が訪れるということだった。

 しかし、それから30年以上もたったというのに、欧州では戦争による殺戮が続いている。

 為政者が間違った歴史認識を持つ国の横暴を、アメリカはこれ以上放置し続けるのだろうか。世界最大の民主国家で、最大の経済的、軍事的パワーを持った国がその力を使わなければ、歴史は永遠に終わりを迎えない。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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