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湯布院映画祭が人生そのもの…映画と酒と人をこよなく愛した伊藤雄さんを偲ぶ

壬生智裕映画ライター
「伊藤雄さんを偲ぶ会」会場に飾られた伊藤雄さんの写真(筆者撮影)

 映画の世界は“つくる人(映画製作者)”と“観る人(観客)”だけではなく、映画館や映画祭などで映画を“観せる人”がいないと成り立たない。現存する映画祭の中では、日本最古の映画祭として知られる大分県の「湯布院映画祭」で長きにわたって実行委員長、顧問を務めた“雄さん”こと伊藤雄さんも、“観せる人”として日本の映画業界を支えた功労者のひとりである。伊藤さんについて語るということは、湯布院映画祭について語ることと同義となる。それゆえ今年の1月14日に訃報が報じられると、多くの映画人、そして映画ファンがその死を悼んだ。

映画に恋して、湯布院に愛された“雄さん” 急逝に町内から惜しむ声

                 ――大分合同新聞2022年2月5日の記事

 映画館のない街・湯布院を“映画の街”として全国区にし、多くの映画人が「一度は行ってみたかった」と語る湯布院映画祭。立ち上げメンバーのひとりである伊藤雄さんは、実行委員長、顧問とその時々で肩書きは変わっていても、終始、東京からやってきた数多くの映画人をもてなし、飲み明かし、ともに語らいあう人だった。そのあたりの交流の詳細は、昨年発売された自身の著書「観るか 呑むか 湯布院映画祭酔狂譚」(大分映像センター)に詳しい。そこに記された日本映画界を代表する映画人たちとの本音の交流の数々は“もうひとつの日本映画史”という趣で非常に読み応えがある。興味のある方はぜひ一読をお勧めしたい。(購入の際の申し込みは大分映像センター【oitaeizo@po.d-b.ne.jp】まで)

■今年の映画祭で「伊藤雄さんを偲ぶ会」を実施

 毎年8月(昨年、おととしは11月に開催)に行われている湯布院映画祭だが、今年は伊藤雄さん不在の映画祭となった。8月26日には大分県由布市の乙丸公民館で「伊藤雄さんを偲ぶ会」が行われ、およそ100人近い観客、そして「第47回湯布院映画祭」に参加中だった女優の原田美枝子さん、高橋伴明監督、脚本家の荒井晴彦氏、評論家の寺脇研氏ら、ゆかりのある映画人たちが集まり、故人を偲んだ。こちらでは偲ぶ会における映画祭関係者のコメントを一部抜粋してみたい。

今年の映画祭で「凛として」と題した特集上映が行われた原田美枝子さんも「偲ぶ会」に参加(筆者撮影)
今年の映画祭で「凛として」と題した特集上映が行われた原田美枝子さんも「偲ぶ会」に参加(筆者撮影)

本映画祭の三宮康裕実行委員長:

わたしは雄さんの後を引き継いで実行委員長をやっておりますが、基本的に雄さんがいるからやってきたようなもので。だから悲しいとかよりも何よりも、自分で始めた映画祭を最後まで見届けなくてどうするんだと。どちらかというと憤りに近い感じがありました。

雄さんとは、メンバーも歳をとってきているし、いつまで続けられるか、という話をずっとしてきました。でもあと何年かなぁ、50回はどうかなぁという話はなんとなく濁してきたんです。具体的に話すと、終わりに向かっていくような気がして。なんとなくうやむやにしたままここ2、3年は過ごしていました。だから映画祭をどういう形で終わらせるのかは、自分で映画祭を始めた伊藤雄さんの決断にかかっているんだなと思っていました。なのにそんな大役を他の人に任せるなんてどういうつもりなんだ、なんでこの時期なのかと。

でも映画祭が人生そのものと言ってはばからなかった雄さんなんで。時間が経つにつれて、楽しいお酒を飲んで、楽しい人たちと出会って。しあわせな人生だったのかなと思うようになりました。ただ、なんせ伊藤雄がいない映画祭というのは、本当にいろいろな責任がみんなに負担となってくるので。今でもみんな大変な思いをしていますが、いろんな方から「映画祭がんばって」「雄さんの遺志を継いで」と言われるたびに、なんとか頑張ろうと。今回、映画祭史上はじめて伊藤雄不在の映画祭となります。

これから映画祭も、雄さんがいないと当然変わります。いい方に変わるか、悪い方に変わるか分かりませんが、なるべくいい方向に行きたいと思っています。皆さんのお力添えで、なんとかちょっとずつでも進めていけたらと。(写真を見て)雄さんはそこで笑っていますけども、なんとかその笑顔に応えられるようにしたいと思いますので、皆さんご協力お願いします。

酒を愛した伊藤雄さんを偲び、献杯三唱の音頭をとる中谷顧問(左)。右は三宮実行委員長。(筆者撮影)
酒を愛した伊藤雄さんを偲び、献杯三唱の音頭をとる中谷顧問(左)。右は三宮実行委員長。(筆者撮影)

亀の井別荘相談役で、湯布院映画祭顧問の中谷健太郎氏:

こういう形で、もういっぺん雄さんの話をすることになるとは。本当にびっくりしました。亡くなる前の日の晩はわたしと弟と3人で呑んでいて。あの晩ね、やたら喜んでいたのは、映画祭も黒字にはならんけどやっと赤字がなくなったって。やっぱり真面目に心配しとったんですな。(中略)雄さんは本当にフィンランドの映画祭(※筆者注:ミカ&アキ・カウリスマキ兄弟たちが設立したソダンキュラ映画祭)に行きたがっていたから、いろいろ手をまわして行けるようにした。それがわたしが雄さんにしてあげられた唯一のこと。あとはしてもろうたことばかり。

湯布院としてという口幅ったいことは言いたくないけど、雄さんがおらんやったら、面白い祭りが次々に起こるようなことはなかったと思います。この映画祭のノリに乗って、湯布院はなんだか変な街になった。だから辻馬車が走ったり、だから音楽祭があったり、由布院牛喰い絶叫大会なんて馬鹿げたこともやった。それは映画祭のノリの延長でしたね。だから役場とかいろんなところとケンカするのが当たり前になって。だって(第一回映画祭では)いきなり公民館でロマンポルノを上映しようとしていたわけですからね(※筆者注:上映された作品は映画史を飾る傑作ぞろいだったが、当時、ポルノを上映するなんてけしからんと上映中止を求める声は大きく、この時は公民館ではなく、隣の体育館で上映することで場を収めた)。なかなか厄介ですよ。でもそれが当たり前みたいになっていった時から湯布院に自由の風が吹き始めたんですかね。

あとはもう皆さん方が良きにつけ悪しきにつけ、一緒に遊んでくれたんで。今日もこんなにたくさんの人が集まってくれました。雄さんとは映画のことはいろいろ喋らんやったけど、人生論みたいなのはクドクドクドクド。面白いのかどうかは分かりませんが。今はとてもなつかしいばかりです。それほど遠くないところでまた会えるような気もするんで、私はわりにいい気分でおります。どうぞ皆さんもこれからも雄さんのことを思い出すたびに湯布院に来て、一緒に遊んでください。

あとね、誰かがね、バンザイと間違って、乾杯三唱といったんですよ。だからどさくさにまぎれて献杯三唱でいきましょう。雄さん見てくれよな、献杯、献杯、献杯ッッ!

酒を愛し、映画を愛し、そして映画祭に集まる人たちを愛した伊藤雄さんを偲び、思い出を語り合った参加者たち。伊藤さんの人生は映画祭を起ちあげたことで大きく変わったが、そこに参加する映画人や観客もまた「人生が大きく変わった」という。参加者たちの間からは「映画祭を作ってくれてありがとう」といったコメントも多く寄せられた。

会場では、若かりし日の伊藤雄さんの映像が上映された。この映画祭がなぜここまで愛されてきたのか。伊藤雄さんはその思いをこう語っていた。

「どこにもないタイプの映画祭というのは、なるべく映画人と映画ファンが直に話すということ。普通は壇上から話をして、ちょっと質問を受けてという形だけど、ここだと同じ場で話ができるからね。それぞれ立場は違うけど、映画を介在して話ができる。そこが、映画ファンにとっても、作る映画人にとっても面白いんじゃないかな」(伊藤雄さん)

映画ライター

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。コロナ前は年間数百本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、特に国内映画祭、映画館などに力を入れていた。2018年には、プロデューサーとして参加したドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(長谷川亮監督)が第71回カンヌ国際映画祭をはじめ、国内外の映画祭で上映された。近年の仕事として、「第44回ぴあフィルムフェスティバル2022カタログ」『君は放課後インソムニア』『ハピネス』のパンフレットなど。

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