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ヤングケアラー「働かない親」「学校に行かない」の連鎖…「ひらがな」「食べる練習」からサポート

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
家族全員が家にいる…そんな生活が当たりまえのヤングケアラーがいる(写真:イメージマート)

厚生労働省の今年1月の調査によると、介護や世話を担う18歳未満の子ども「ヤングケアラー」について、小学6年生の6.5%が世話をする家族が「いる」と回答した。

日本財団は、多様な困難を抱える子どもたちが安心して過ごせ、将来の自立に向けて生き抜く力を育む「子ども第三の居場所」プロジェクトを全国で進めている。関東地方のC拠点は、多子家庭やシングル家庭、障害のある親子が多いという。ヤングケアラーも少なくない。スタッフが子どもだけでなく、保護者とも丁寧に向き合ってきた。レポート前編は、困難な背景を抱えた家庭と、拠点のスタッフとの関わり方について紹介する。

貧困のループを絶てない家庭

 「子ども第三の居場所」C拠点は、子どもの学習支援に取り組むNPOが運営する。日本財団のプロジェクトとして開設し、現在は行政に移管して運営を委託されている。当初は低学年のケアはあまり経験がなく、保育士や社会福祉士からアドバイスをもらい試行錯誤したという。

 スタッフの石川さん(仮名)は、学習支援の経験があり、C拠点を支えてきた。プライバシーに配慮の上、特に困難を抱える家庭と、どのように関わってきたか聞いた。

 タロウくん(仮名)は、多子世帯の下から2番目で、C拠点につながった時は、小学1年生の後半。母親はタロウくんの下の子を妊娠中だった。

 「生活保護を受けていて、大人はほとんど働かない家庭でした。お母さんは結婚して子どもを産んで、また別れてということを繰り返しているようで、全員、父親が違いました。成人したきょうだいも、学校に行かないことが普通で、家事や下の子の世話をするヤングケアラー。拠点とつながった時は、ライフラインは全て止まっていて、お母さんも、公園で水を飲んだり体を洗ったりするのに抵抗がなく…。

 当時は、一番下の子のお父さんも、体が悪くて働けない状態でした。生活保護費や子どもの手当などを合わせると、月に数十万円になり、その生活から抜け出す必要性を感じないようでした。お母さん自身も生活保護世帯に育ち、働かず家にいることに慣れていました」

ダンスをきっかけに友達となじむ

 タロウくんは、学校には行っていなかったものの、コミュニケーション力があり明るい子だった。

 「小学校に入学して2、3カ月は行ったけれど、夏休み以降は行かなくなっていました。いじめなどの理由があるわけでなく、上のきょうだいも家にいるし、出かける動機がない。家族の仲は良くて、自宅に全員いても平気。違和感がないみたいでした。保育園に行っていないので、毎日出かけてお友達と学校に行く流れにもならず…。私たちから見ると特殊な家庭なのですが、本人たちは世帯以外の人と関わりがないので、それが当たり前と思っているようでした」

 スタッフは、タロウくんとコミュニケーションを取りながら、生活力や学力を確認していった。

 「初めは30分も座っていられなくて、ひらがなが書けない。拠点は午後からの対応なので、2時にタロウくんが来ると、線を引くところから練習しました。本人が『自分の名前は書けるようになりたい』と言い、それを目標にしました。2年生になって登校しても先生の話が分からないし、黒板に書かれている字が記号にしか見えない。周りとのギャップに気付いて、学校に行けなくなる時もありました。でも学校に行けば、友達はウェルカム。本人が、何もできない自分をつらく感じていたんですね。

文字が読めなくても、活躍できるタイミングを探しました。身体能力が高かったので、運動会をきっかけにしたいと、学校の先生に拠点に来てもらい、発表するダンスの内容を聞き、練習して当日に参加しました。タロウくんはダンサーのYouTubeを見て覚えるのが好きなので、それをコミュニティになじむきっかけにし、タロウくんがみんなにダンスを教える時間を作りました。他の子も含め、得意なことを教えたり発表したりして認めてもらい、自己肯定感を高めるようにと、私たちも努力しています」

「おかずを食べる練習」をする

 タロウくんは、まともな食事をしていなかったため、拠点で食べる練習もしたという。

 「1年生の間は、ほとんどおかずを食べなくて苦労しました。菓子パンや、ご飯にバター・醤油で小1まで育っていました。野菜や苦いものを食べたことがなく、カレーは、いろんな味がするのが嫌だそうで。学校の給食も食べられない。みんなで一緒にいると、自分だけ違うって気付きました。拠点で食事をする際に、スタッフが寄り添い、おいしいよ、この食材は甘いよ、苦いものの後はお水を飲んだらいいよ、と声を掛け、煮物などは食材を1種類ずつ食べる練習をしました。

 給食みたいに、食べきれないなら最初に減らすんだよ、と教えました。保育園に行っていなかったので、しょっぱいもの、甘いものしか食べた経験がなく、味覚が発達していませんでした。おやつも、なるべく食事に近い焼きそばなどを出して、習慣をつけるようにしました。すると何でも食べられるようになりました」

母親の考えを変えていく支援

 これだけサポートしても、他のきょうだいも学校に行っていないため、母親の考えを変えるには時間がかかった。

 「一番のハードルは、お母さんが学校の必要性を感じていないことでした。お迎えはお姉ちゃんが来る日が多く、お母さんがたまに迎えに来た際に話しました。タロウくんが午後に拠点に来て、スタッフが一緒に学校に行き、職員室で先生に会ってみようとか、調子がいいから5時間目の教室に行っちゃう?とか勧めて実行できると、次の日はテンションが上がって、1人で登校できました。友達や先生が自分のことを思って優しくしてくれると分かったようです」

 石川さんが主に担当して、母親とも信頼関係を築いた。

 「お母さんがぐさっとくることも言える関係になり、面談でも話をしました。そのうちお母さんが、『本人が行きたいなら、学校に行ってもいい』と言うようになりました。タロウくんが拠点に来てから1年ぐらいかかりました。タロウくんは拠点を3年生までで卒業し、その後は私たちのNPOが運営する居場所や学習支援につながっています。気になることを自分で調べたり、好きな動画を見てひらがなを書き写したり。学校に行けない日もありますが、食事は取れるようになり、お母さんもやりたいことは応援する、という考えに変わりました」

 何より改善されたのは、タロウくんの姉が受験をして、高校に行くようになったことだ。NPOの活動と連携し、姉にも、学習支援や入れる学校を選ぶなどのサポートをした。

 「お姉ちゃんが学校に行くようになったことで、風穴が開いて、家庭を俯瞰して見られます。私たちがずっと、そばで支援するわけにはいかないので…。でも、拠点の利用を小学3年生まで、と区切るのは難しいと感じます。どこで手放して、本人が頑張る力を持ち上げていくか、意識しなければならないと思います。お母さんと本人とで、学校に行けるように支援していくことも重要です」

愛しているのに手を上げてしまう母

 小2の時に拠点に来たユウトくん(仮名)は、母親が厳しすぎて、虐待を受けていた。元夫のDVが原因で、離婚したという。

 「ユウトくんと妹と、お母さんの3人で生活していました。お母さんの見た目は、つけまつげに金髪と派手ですが、子どもへの思いを聞くと、すごく愛している。気持ちとしては大事にしているのですが、ひとり親家庭だからできないと思われたくなくて、厳しくなり、ドリルをたくさんやらせたり、約束を守らないと怒鳴りちらしたりしていました。けれど、自分の子に平手打ちまでいくと虐待です。お母さんは、愛情の表現の仕方が違うことに気付いていませんでした」

 ユウトくんは、優秀な子だった。スポーツ万能で成績も良く、学校でも人気者。 問題児とはされていない。ただ、母親の期待通りにしなければというプレッシャーからか、休み時間に、やんちゃし過ぎて他の子を蹴ったり、物を壊したりすることがあった。

「拠点でも、物を壊したり、スタッフを蹴ったりしていました。暴力的なお母さんを見て、自分の感情表現=暴力になってしまって。拠点ではお山の大将になって、言うことを聞かない下の子や友達に暴力を振るっていました。お母さんに、態度として大切にされる経験がなかったんですね。抱きしめるとかよしよしされたことがない。私たちスタッフは、あなたはいるだけで素晴らしいんだよと伝えました。私と、男性スタッフが担当になり、向き合いました。

 それから、気持ちを適切に表現する方法を教えました。まず、自分で感情が分かっていなくて、イライラして当たる時は、何が嫌だったか、整理する練習を1対1の面談でしました。出来事を一緒に考えて、分析し俯瞰する練習もしました。人との関係で、互いに嫌にならない、解決できる方法を考えました。ユウトくんは、話をして受け止められる感覚を知り、スタッフと信頼関係を築きながら、自分の特性に気付きました。もともと頭が良く、すんなり受け入れました」

 スタッフが殴られたこともあるが、少しずつユウトくんの暴力は減った。

 「こう思ったと言葉で話すこと。手を出さずに、いったん部屋の端に行って10秒待つとか、手段や選択肢を具体的に教えました。それでも納得いかなかったら、私のところに来てね、相談に乗るからと声を掛けました。時々、手が出てしまうことはありましたが、怒りがコントロールできるようになりました」

 学校では、完璧でないといけないというプレッシャーが、低学年の時はあったユウトくん。肩の力を抜いて、気持ちを表現できるようになった。

 「優しさもあるし、リーダーのような役割が得意だと気付いて、自信が付くと満たされました。そうすると心に余裕が生まれ、自分の弱さも認め、他の子のことも認められるようになりました。それが一番大きな変化です。3年生で拠点を卒業する時に、下に見ていた友達に、『レゴがめちゃくちゃうまいね』と言えました」

母親の自己肯定感も高める

 石川さんは、ユウトくんの母親の自己肯定感を高める関わりもした。

 「ユウトくんと同じように、1対1のアプローチをしました。自己肯定感が低い人なので、子どもは責任を持って厳しく育てないと、と思っていて。ちゃんと育っているから大丈夫ですよと声を掛けました。お母さんは虐待だと通報されたことがあり、本人は良い親のつもりなのに、ショックで落ち込みました。そのことを拠点で相談してくれました。今の時代は、手を出したら虐待なんですよと伝えました。

 肩ひじ張らず、一緒に良い関係で生活できる方法を考えていきましょうと、度々話しました。どうやって叱ったらいいか、方法を聞かれました。嫌なことがあったら、いったん離れて呼吸するとか、書き出して手紙で伝えてみてはどうですかと、ヒートアップしない方法を伝えました。そういう話も、真面目にメモをしていました。アドバイスをすぐに取り入れてくれて、スタッフの自信にもなりました」

 ユウトくんは自分をコントロールしながら成長して、拠点を卒業後はNPOの居場所にも来ている。

 「今は妹さんが拠点に入ってきて、お母さんとのつながりは続いています。子どもに手を出すことがなくなり、座って目を合わせ、これが嫌だった、あなたはどうなの、約束だよね、次どうするの、と話し合えるようになりました」

 後編では、なぜ既存のサポートでは対応しきれないのか、他の支援と連携することの必要性について考える。

(日本財団ジャーナルに掲載の「学校に行かないヤングケアラー 困難な家庭に向き合う子ども第三の居場所C拠点レポート前編」に加筆しました)

なかのかおり

ジャーナリスト、早稲田大参加のデザイン研究所招聘研究員。早大大学院社会科学研究科修了。新聞社に20年余り勤め、地方支局や雑誌編集部を経て、主に生活・医療・労働の取材を担当。著書に、パラリンピック開会式にも出演したダウン症のあるダンサーを追ったノンフィクション『ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦』(ラグーナ出版)。調査報告書に『ルポ コロナ休校ショック〜2020年、子供の暮らしと学びの変化・その支援活動を取材して見えた私たちに必要なこと』『社会貢献活動における新しいメディアの役割』など。講談社現代ビジネス・日経電子版・ハフポスト等に寄稿している。

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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