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慶大の四番・清原正吾はなぜ野球を再開し、いかにして6年のブランクを埋めたのか?

上原伸一ノンフィクションライター
慶大で四番を打つ清原は家族への想いを胸に野球を再開した(筆者撮影)

野球は家族にとって必要なツールだった

東京六大学野球は、今日(6月1日)から伝統の「早慶戦」が始まる。春のリーグ戦で大きな注目を集めている1人が、慶應義塾大学の清原正吾(4年、慶應)だ。開幕試合から「四番」に座り、早慶戦を残す4カード終了時点で、打率.273(リーグ13位)、打点6(本塁打はまだ出ていない)。チーム1の数字を残している。

清原は偉大なスラッガーだった清原和博氏(元オリックス。西武、巨人でもプレーし、歴代5位の通算525本塁打を記録した)を父親に持つ。清原和博氏の長男であること、「清原ジュニア」であることが、各方面から熱い視線を集めている理由なのは間違いない。

一方で、清原の経歴は異色だ。中学ではバレーボール部、高校ではアメリカンフットボール部に所属し、6年間、野球から離れていた。だが、それにもかかわらず、リーグ優勝40回を誇り、180人近い男子部員がいる慶大でレギュラーの座を射止め、四番打者を任されている。清原のような例は、1925年に始まった東京六大学リーグの歴史のなかでも、極めて稀だろう。

そこで筆者は、この部分にフォーカスし、前回の記事では、野球から離れていた6年間について書いた。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/45c985cfec9d625fa1c47989b1aa07c26318186a

今回は、清原がどのように6年のブランクを埋めていったか、その一端をお伝えしたい。

そもそもなぜ、清原は再び野球をしようと思ったのか?野球をしていたのは、慶應義塾幼稚舎に通っていた小学6年まで。学童チーム(オール麻布)では、長距離バッターで活躍していたが、あくまで小学時代の話である。硬式でプレーしたこともない。そこには相当な決意があったのだろう。

清原はこう話す。

「父親の一件があって、1度、家族がバラバラになりました。その後、父が社会復帰に向けて懸命に頑張っている姿を目の当たりにしまして…僕が大学でもう1度野球をすることで、父が元気になってくれたら、と思ったんです。父のためにも、絶対に神宮の舞台に立ってやる、と覚悟を決めました。(当時の)自分にとって、人生最大の決断でした」

理由はもう1つあった。

「学生生活は両親の庇護のもとに成り立ってますが、僕が恵まれた学生生活を送れているのも両親のおかけです。その両親に感謝を込めて恩返しをしたい、と思った時、それは野球をすることだったんです。(清原の)家族にとって、野球は必要なツールですから」

開幕戦から慶大の四番に座り、チーム1の打撃成績を残している清原。早慶戦では待望の一発が期待されている(写真提供 慶應義塾体育会野球部)
開幕戦から慶大の四番に座り、チーム1の打撃成績を残している清原。早慶戦では待望の一発が期待されている(写真提供 慶應義塾体育会野球部)

強い覚悟を持って選んだ道

とはいえ、大学で野球を再開するのは容易いことではなかった。まず、硬式ボールに慣れるところから始めたという。「恐怖心もありました。でも、当たっても、アメフトのタックルよりは痛くないだろう、と」

東京六大学のレベルも想像以上に高かった。「はじめの頃は打席に立つと、変化球は視界から消えてました(苦笑)」それでも必死に食らいついていった。「全体練習だけでは絶対に上手くならない」と、休日も返上して自主練習に励んだ。強い覚悟を持って、自分で選んだ道。やるしかない。毎日、少しずつ前に進んでいった。

「神宮デビュー」は早かった。清原は1年春から、リーグ戦の後に行われるフレッシュトーナメントに出場した(フレッシュトーナメントは、1、2年生のみでチームを構成する新人戦)。多くの部員がいるなかで、さっそく出番をつかんだのだ。秋になると(新人戦の)「四番」に起用された。

「清原ジュニア」の登場は、メディアの関心も集めたが、本人は「出させてもらっていた、という感じで…1年生の時は、打撃も守備もひどかったですね」と振り返る。

参考にした3人の先輩スラッガー

清原にとって大きかったのは、3学年上に正木智也(現・福岡ソフトバンク)が、2学年上に萩尾匡也(現・巨人)が、そして1学年上に廣瀬隆太(現・福岡ソフトバンク)がいたことだ。いずれも右打ちのロングヒッターと、清原とタイプが近い3人は参考になったようだ。

「よく、練習をそばで見てました。(長打を持ち味としていた)3人の先輩は、野球部内での僕の居場所を、どうやってチームに貢献すればいいかを、示してもくれました」

特に2年時に合宿所で同部屋だった萩尾からは大きな学びがあったようだ。萩尾は清原が2年生の秋に、戦後16人目の「三冠王」になっている。「萩尾さんはいまも最高の兄貴で、プロでの姿から刺激をもらってます」

ただし、3人の先輩は、リスペクトはしていても、目標ではない。「目標(の選手)を作るのは好きではないんです。自分と向き合えば、自ずと結果はついてくると信じてます。目標とされる選手になるのが目標です」

打撃フォームについては、父親と鈴木誠也(カブス)の打ち方を理想としている。動画などで研究をしながら、取り入れているという。

Bチームから這い上がる

リーグ戦で初めてベンチ入りしたのは、2年秋の「早慶戦」1回戦。翌日の2回戦では代打で初出場を果たした。他校でも4年間で1度もベンチ入りが叶わない選手が多いなか、野球を再開して2年足らずで、リーグ戦の舞台を踏んだのだ。

日進月歩で進化していった清原は、3年生になると、春のチーム開幕戦(対法政大学)で初先発。7番ファーストでスタメンに名を連ねた。そして、同3回戦でリーグ初ヒットをマークした。

ところが、すぐに試練がやって来る。2カード目となる明治大学戦は先発を外れ、同4回戦での代打出場を最後にBチームへ。秋は1度もベンチ入りができなかった。慶大の堀井哲也監督は「もしかすると、このまま終わってしまうのでは、と案じていた」と明かす。
清原はそうはならなかった。Bチームの誰よりもバットを振り、捲土重来の時に向けて、ひたむきに準備を続けた。もとより、ここで終わるくらいなら、野球を再開していない。

今春の立大4回戦。一時逆転の左越え2点適時二塁打を飛ばした清原は、2塁ベースに立つと、応援席に向かって、人差し指を掲げた。「ベンチに入れない、スタンドで応援してくれている選手への“ありがとう”という気持ちでした」。仲間への感謝を素直に表せるのは、それだけBチームで苦労し、人間的にも成長したからだろう。もしかしたら、みんなも続け!という熱いメッセージも含まれていたのかもしれない。

今春は一塁での守備でも進化を見せている。慶大の堀井監督は「ミットさばきが上手くなった」と評価している(写真提供 慶應義塾体育会野球部)
今春は一塁での守備でも進化を見せている。慶大の堀井監督は「ミットさばきが上手くなった」と評価している(写真提供 慶應義塾体育会野球部)

進化を促している修正能力の高さ

清原の進化のスピードには驚くばかりだが、これにつながっていると考えられるのが、修正能力の高さだ。

一例がある。今春の立教大学との1回戦。清原は1打席目で内野安打を記録したが、2打席目までは、上体が突っ込んでいた。しかし、3打席目はこれを修正。レフトへヒットを飛ばすと、4打席目は決勝点となるレフトフェンス直撃の適時二塁打をはなち、1試合3安打の固め打ちを見せた。

試合後、清原は言った。「(2打席目まで)上体が突っ込んでいたのは自覚してました。それで、タイミングの取り方を変えたんです」

試合中に、自分の状態を客観視しながら修正するのは高度なテクニックだ。それを中学、高校では野球から離れていたのにできてしまう。おそらく練習も同じ姿勢で重ねているから、成長が早いのだろう。ファーストの守備も、昨年と比べるとかなりレベルアップしている。堀井監督は「ミットさばきが上手くなりました」と目を細める。

野球を再開した時から「清原ジュニア」として注目され続けている清原も、「慶大の四番」として活躍することで、周囲からの見方も変わってきた。偉大な父親の背中はまだまだ遠いが、清原は、いつかは超えたいと思っている。

「清原和博の息子ではなく、父親が「清原正吾のお父さん」と呼ばれるようにしたいですね」

ただ、卒業後にどんな道に進むかは、明確になっていないようだ。

「ずっと父親を見てきたので、スポーツの素晴らしさを伝えたい、というのはあります。でも、具体的には…両親が人を喜ばす仕事をしているので、自分もそういう仕事をと、うっすらと描いてはいますが」

いまは、学生最後の1年を全力で駆け抜けるだけ。使い切れていないポテンシャルをいかに発揮するか―。プロからの評価も、その結果として受け止めるつもりだ。

将来どうするかはまだ明確になっていない。いまはただ学生最後の1年を駆け抜ける(筆者撮影)
将来どうするかはまだ明確になっていない。いまはただ学生最後の1年を駆け抜ける(筆者撮影)

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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