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気候市民会議から見える景色

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
(提供:イメージマート)

無作為抽出(くじ引き)で選ばれた市民の熟議を通じて気候変動対策を議論する「気候市民会議」が、日本の自治体で広がりを見せつつあります。

気候市民会議は、フランス、イギリス等の欧州の国々では二〇一九年ごろから国家規模で実施されてきました。参加者は、性別、年齢層等の属性が、できるだけ母集団の比率に近くなるように選出され、社会の縮図(ミニ・パブリックス)を構成します。参加者は専門家等からの情報提供を受けつつ、少人数のグループに分かれて熟議を行い、行政に対して気候変動対策を提案します。

気候市民会議について、岩波書店の『世界』では北海道大学の三上直之准教授がたびたび寄稿され、書籍『気候民主主義』も上梓されていますが、今回は、三上さんと一緒にいくつかの気候市民会議を見てきた筆者からも、思うところを書いてみたいと思います。

「行政主催」の広がり

日本で初期に行われた二〇二〇年の北海道札幌市、二〇二一年の神奈川県川崎市の気候市民会議は、専門家や市民を中心とする実行委員会により企画され、対象自治体の行政の協力を得て実施されるという形でした。

しかし、その後に広がってきたのは自治体行政主催の気候市民会議の流れです。二〇二二年には東京都の武蔵野市江戸川区、埼玉県所沢市の三自治体が実施し、二〇二三年には東京都多摩市が実施中、東京都日野市と茨城県つくば市が今後実施の予定です。また、神奈川県厚木市で実施中のものは、市民グループが企画した実行委員会形式ですが、市との共同事業となりました。(本稿転載時点では、多摩市が終了、日野市、つくば市、厚木市が実施中で、さらに神奈川県主催の逗子・葉山も実施中です。)

筆者は武蔵野市、多摩市、厚木市の各会議で初日に会場に伺い、情報提供者を務めさせて頂きました。そこで気が付いたのは、今後気候市民会議を実施予定の自治体の担当者や、今後の実施に関心のある市民などが、けっこうな人数、見学にいらしていたことです。先行事例を参考にし、横につながりながら、気候市民会議がムーブメントとして伝染していく様子を感じました。

魅力的な行政ツール

札幌と川崎の会議は、市の行政の協力を得ているとはいえ、行政の外部から企画された、ある意味「押し売り」の性格を持つものだったといえます。

それに対して、自治体行政主催の気候市民会議では、行政が最初から、市民からの提案を行政に活かすことを目的に、それを前提とした会議設計を行うことが特徴的です。

たとえば、既存の審議会などの会議体との関係の整理、今後の行政計画立案のスケジュールに合わせたタイミングでの実施などです。会議に必要な予算や人員の確保も、当然、行政が行います。

このように積極的な気候市民会議の実施が広がる背景には、「わが市でもやりたい」という提案を行政に持ち掛ける市民や議員に加えて、やる気のある行政スタッフ、そして何といっても、このような手法に関心を持ち理解を示す首長の存在が欠かせないようにみえます。

気候市民会議を積極的に行う自治体の首長は、この無作為抽出による市民会議という手法を、市民の納得感の高い参加型のプロセスで行政計画を立案できる、魅力的な行政ツールとみているのではないかと想像します。

気候市民会議の参加者は、これまであまり知らなかった気候変動や温室効果ガス排出削減の問題について学び、考えます。普段あまり話すことのない異なる世代、異なる属性の人たちと議論する様子は、どの会場でも活気にあふれています。少なくとも参加者自身にとって、会議が有意義な経験をもたらすことは疑いないでしょう。

市民提案の反映

ここまではよいのですが、では、そのようにして作られた市民の提案は、どのように、あるいはどの程度、行政に活かされるのでしょうか。日本の気候市民会議では、この部分は現時点で未知数であるように思います。

元祖であるフランス政府の気候市民会議では、この点は腹が据わっていました。市民の提案は政府がフィルターにかけることなく具体化を検討するとマクロン大統領が約束したのですから。

実際には、一四九の提案のうち三つは受け入れられず、残りは多くの修正を受けたものの、気候・レジリエンス法として成立しました。

有名なのは高速鉄道で二・五時間以内(提案では四時間以内でしたが修正を受けました)の国内航空路線の禁止で、これは今年の五月に施行されました。

しかし、市民からはどんな提案が出てくるかわからないのですから、それをすべて受け入れる前提では、行政は気候市民会議の実施に二の足を踏みそうです。

個人的には、フランスでの検討が結果的にそうであったように、権限の制約や予算の制約、関係者の利害調整等の結果、提案通りに実施できないものがあることは、仕方がないし、当然のことでもあると思います。

行政は、提案通りに実施できない部分に関して、その理由を筋道立てて透明に説明し、参加者の納得を得る必要があるでしょう。これが、行政が市民の信頼を維持し、気候市民会議の成果を前向きに今後につなげる上で重要な点だと思います。

市民提案の「突破力」

そもそも市民は行政的な知識を十分に持ちませんから、市民の提案には現実的な制約により実現困難なものが含まれることは想像に難くありません。しかし、それは裏を返せば、「大人の事情」を無視した、率直な発想としての「突破力」を秘めることでもあると思います。

たとえば、行政のプロが発想すると、口に出す前から予算制約や利害関係者の顔が目の前をちらついてしまい、明示的に議論したことがなかったようなアイデアがあるとします。それが市民によって提案されると、「改めて考えると、できない理由を明確に説明することは難しいし、むしろ、やろうと思えばできますね」となる場合があるのではないでしょうか。

市民の提案として堂々と議論のテーブルに上がってしまうと、行政が利害関係者を納得させやすいという場面も生じるかもしれません。

そのようにして、市民の提案が、関係者の相場観により暗黙のうちに形成された施策の停滞を突破する糸口になることを期待します。

熟議を経た市民の意見

もうひとつ、気候市民会議の成果で重要なことは、どの施策は市民にとって受け入れやすいか、どの施策は現時点では意見が割れるのか、それはなぜか、といったデータが得られる点です。

多くの気候市民会議では、会議の終盤において、それまでに挙がった提案に対して、参加者による投票を行います。自由記述のコメントを求める場合もあります。このデータが行政にとって、今後の計画や施策を設計していく上での貴重な参考資料になると思うのです。

そんなものはアンケートをとればわかると思うかもしれませんが、そうではありません。気候市民会議の終盤での投票は、情報提供と熟議を経た市民の意見なのですから、普通のアンケートの結果とは「質」が違います。

「市民は、よく話し合えば、この施策を支持してくれるはずだ」といった見通しを持つことは、行政が市民を信頼しながら施策を進められる効果を生むのではないでしょうか。

日本政府の気候市民会議?

最後に、フランスやイギリス等と同様の国家規模の気候市民会議を日本政府が実施する可能性について述べてみます。

筆者は環境省の審議会等で機会があるごとに「日本もやるべきだ」と申し上げていますが、正直に言って、今の日本政府が実施する可能性は高くないと思っています。

フランスが気候市民会議を実施した背景には、燃料税の値上げに端を発した政府への抗議運動「黄色いベスト運動」があります。政府が勝手に決めた気候変動対策で庶民が困窮するのは容認できない、という流れで市民の政治参加の要求が高まり、これにマクロン大統領が応えたのでした。イギリスが実施した背景にも、抜本的な気候変動対策を求める市民の不服従運動である「エクスティンクション・リベリオン」の抗議活動の存在が指摘されます。日本には、それらに相当するような社会的なプレッシャーは存在していません。

しかし、自治体の気候市民会議がこの調子で日本中に広がり、かつその成果が肯定的に受け止められていけば、そのうち日本政府が実施することもあり得るのではないでしょうか。

その際に重要なことは、行政から見た気候市民会議のイメージを「無理難題を提案されるかもしれず、提案を実施できないと批判される」といったネガティブなものでなく、本稿で述べたように「社会の納得感の高いプロセスで、突破力のある提案や市民の考えの貴重なデータが得られる魅力的な行政ツール」といったポジティブなものとして浸透させていくことでしょう。

日本は、福島第一原発事故後のエネルギー・環境政策の議論において、二〇一二年に「討論型世論調査」を実施し、ミニ・パブリックスの手法を既に国政に適用したことがある国です。これをもう一度できないということはないはずです。

あとは、この手法に関心を持ち、理解を示す国政のリーダーの登場を待ちましょう。いや、そのようなリーダーを誕生させること自体が、我々国民の仕事なのかもしれません。

(初出:岩波『世界』2023年8月号「気候再生のために」)

東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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