伊藤詩織さん止まらぬ涙に映る絶望と希望 性暴行被害の詳細も記録するドキュメンタリーに宿る気迫と覚悟
ジャーナリストの伊藤詩織さんが自身の性暴行の被害と、その日からの闘いを自ら監督して映像に収めたドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』(英米日合作)が10月25日からイギリスで公開される(日本公開日未発表)。
伊藤さんが自身の性暴行被害を綴ったノンフィクション小説『Black Box』(文藝春秋社)は、『第1回本屋大賞ノンフィクション部門』にノミネートされ、『第7回自由報道協会賞』で大賞を受賞。世界9ヵ国・地域で翻訳されている。
その映像版となる『Black Box Diaries』は、自身の被害の調査に乗り出していく姿を自ら記録したドキュメンタリー映画であり、5年間にわたる法廷闘争を追う伊藤さんの初監督作となる。
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ホテルで引きづられるように連れて行かれる映像も
ドキュメンタリーは、伊藤さんが元テレビ局員の記者からの暴行被害を訴えた2017年の記者会見の直後に遡る。2015年の被害発生直後に警察に通報したにもかかわらず、その捜査は2年もの間、停滞していた。
同会見で伊藤さんは、性暴行被害者として顔を出して名乗り出て、本格的な法廷闘争へと乗り出す。その過程を描く本作のなかでは、生々しい実際の音声や映像が多く使われている。
たとえば、被害の当日に、伊藤さんと加害者をホテルまで乗せたタクシー運転手は、記憶のない伊藤さんが「駅で降ろしてください。帰らせてください」と加害者へ繰り返し訴えていたと証言する。
そのタクシーがホテルへ着いた際のホテル車寄せと、ホテル内の防犯カメラと思われる映像も映し出される。そこには、タクシーからなかなか降りない伊藤さんを抱きかかえるように降ろしてホテルへ入る加害者と、ホテル内を引きづられるように連れていかれる伊藤さんがいる。
その映像のおぞましさに戦慄する。そして、それに追い打ちをかけるように、当時の警察の捜査官との、確実な証拠はない、諦めることが自身のため、という脅しのようにも聞こえるやりとりの音声が流される。
さまざまな記録音声、映像から、当時の彼女の悔しさ、悲しさ、絶望が沁みるように伝わってくる。
世間の心無いバッシングにも苦しめられる
しかし、会見後に伊藤さんはそのときの服装からバッシングを受けるようになる。そこには、世間だけではなく、マスメディアからの声もあったという。伊藤さんは「娼婦と言われた」と法務省の記者クラブの手ごわさと恐ろしさを語っている。
また、インターネットやSNSでの中傷、誹謗中傷だけでなく、売名行為と彼女を怒鳴りつけにくる人もいた。そんなネガティブな世の中のリアクションのすべても作品のなかで映す。
そこからさらに事件とは無関係なことでの彼女へのバッシングは加熱していく。そんな日々に、PTSDを患う彼女は、睡眠導入薬がないと眠れない生活を送っていた様子も明かされる。
それでも彼女は、気丈に自らカメラをかついで駆け回る。逮捕状が出ていた加害者の逮捕にストップをかけた当時の検察責任者の自宅に取材をかける果敢な姿も映された。
加害者の周囲の関係者への取材では、謝罪があった一方、どこか他人事のような意識がにじむ発言もあった。人生をかけて闘っている伊藤さんとはかけ離れた姿勢を感じさせるメディア関係者と彼女の温度感の対比も印象的だ。
心の痛みへの耐え方がわからなくなったときに起きたこと
当時の心境を伊藤さんは「被害者として自分に真正面から向き合うと、押しつぶされてしまう」と、事件を追求することで自分を無理やりにでも奮い立たせていたことを明かす。その根底には、被害者になってわかったことや、被害者が弱い存在であることに対する違和感がある。それが彼女を支えていた。
しかし、そんな彼女もひとりの女性であり、限界に追い込まれたときもあった。あるところで、スクリーンがブラックアウトする瞬間がある。
加害者だけでなく、警察や司法、顔のない世間の声と闘うなか、心の痛みへの耐え方がわからなくなった。そのときに起きていた出来事も赤裸々に映像で綴られる。涙する彼女の姿に心をえぐられるようだった。
被害の日の詳細を映像に記録する覚悟
本作の後半、民事裁判への出廷の前日に家族と過ごす時間が映される。そこでは、被害の日に起きたことの詳細が語られる。そのときの彼女の姿からは、どれだけ時間が過ぎても決して癒えぬ心の傷の深さを痛感させられ、胸が痛む。
法定に立った伊藤さんは、加害者との間についたてを置かない。それは「私はここにいる」と示すためだったという。
彼女はいまでも、日々の生活のなかで、被害当時と重なるシチュエーションに遭遇すると、無意識のうちに体調が悪くなる。そんなトラウマを発症するトリガーが日常に潜んでいるなか、その根源である加害者と向き合い、目を合わせ、彼が目をそらすまで視線を外さなかった。
過去の傷のひとつを乗り越えたように見えた。しかし、伊藤さんはそこから「また新しい悪夢は生まれる」とも語っている。
いくつもの涙を流してきた壮絶な闘い
本作のなかでは、何度も彼女の涙が映される。それは、悔しさ、悲しさ、やりきれなさ、憤りであり、後半には喜びや安堵もある。スクリーンからはそのすべての感情があふれ出してくる。
伊藤さんの母は、民事訴訟での勝訴のあと、顔を出して活動することに反対していた彼女の妹、弟との再び家族へ戻る道がはじまると語っている。それほどまでに壮絶な闘いを強いられてきたのだ。
ただ、彼女の闘いは終わっていない。判決後、加害者は外国人記者クラブで会見を開き、彼女がいるその場で、犯罪行為はないと主張した。彼女にとって2019年12月18日の勝訴は、ひとつのピリオドではあるが、終わりではなかった(加害者側の上告から裁判は続くが、2022年7月に最高裁判決で勝訴が確定。本作の記録は2019年の判決まで)。
ドキュメンタリーが社会に与える希望
本作は彼女の25歳から33歳までの闘いの日々の記録であり、ひとつのマイルストーンまでの軌跡。裁判は終わったが、それで彼女の心の傷が消えることはない。これからも向き合いながら生きていかなくてはならない。彼女が一生背負っていく十字架になるのだろう。
女性だけに限らず、このドキュメンタリーを見た誰もが彼女の苦しみを自分ごととして感じるはずだ。もし身の回りの家族や親戚、友人、知り合いが被害にあったら、自分には何ができるのかと思いを馳せる。同時に加害者への怒りが湧き上がる。
観客は心からそれを感じさせられ、考えさせられたに違いない。『第29回釜山国際映画祭』での上映後、満席の劇場は拍手に包まれた。
彼女の勇気ある映像への記録は、同じ境遇の人や声を上げられない人、この先試練に直面するかもしれない人にとっての希望になることだろう。
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