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『ザ・ノンフィクション』が寄り添った死を選ぶ母と残される父娘 “テレビ”が映した家族の姿

武井保之ライター, 編集者
『ザ・ノンフィクション』フジテレビ公式X(@fujitv)より

毎週日曜午後に放送されているドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月2日放送の「私のママが決めたこと 命と向き合った家族の記録」では、スイスでの安楽死を選んだ母と、その夫と娘2人との最期の別れを映し、SNSなどで反響を呼んでいる。

死を選んだ母と残される父娘3人の期限付きの生活

がんを患い、3年の闘病の末、全身に転移。耐え難い苦痛に苦しんできた母は、脳に転移し、己がわからなくなる前に安楽死が認められているスイスに渡り、生を終えることを決意する。そこにあるのは、家族への深い思いだった。

「私だって生きられるなら死にたくない」という思いを抱えながら決断をした母。カメラが入ったのは、それから死を迎えるまでの高校3年生の長女(18)、小学6年生の次女(12)、夫との家族4人の生活。その様子は明るかった。

終わりの日が決まっている家族の生活に寄り添い、うちに秘める4人それぞれの思いをそっとすくいあげたドキュメンタリーだった。

ドキュメンタリー映像だから伝えられた家族の思い

どこにでもいそうな一般的な家庭の4人家族に見えた。しかし、そんな生活のなかで、母は自らの死を悟り、その日にちを決める。病と闘う母の姿を見てきた家族3人は、それぞれの思いを抱えながらも受け入れる。

そこに至った思いや感情は、誰にも理解されなくていいし、共感される必要もない。家族4人の結論だから、そこに賛否など必要ない。そう感じさせる力が映像に宿っている。

カメラは娘2人を映すが、母の安楽死への質問は一切しない。母にも残される娘への思いをカメラには話させない。そんなことをカメラに向けて言葉にさせる必要はないことを番組は理解していた。そして、周辺のあらゆる映像からそれを伝えてくる。そんな姿勢と視点が、視聴者に家族の気持ちを推し量らせ、母と父それぞれの決意について深く考えさせてくれた。

番組中で、気丈に母をオンラインで見送った娘は、涙ながらに父と「(母が)解放されてよかった」と話す。想像を絶する苦痛との過酷な闘病を見てきた家族にしか共有できない言葉だろう。両親を病で亡くしている筆者も、最期のときのあとに同じことを思ったのを思い出した。お別れのあとの深い悲しみのなかで、残された家族の心をお互いに支え合おうとする姿に心を打たれた。

SNSの発信などでは決して伝わらなかったであろう家族の思いと姿を、染み入るように伝えてくれるドキュメンタリーだった。

日々多忙な生活に置かれる多くの人にとって、家族や自分の死はいつの間にか遠くに置かれ、健康を害したとき以外になかなか意識することはないだろう。そんななか、ある家族の運命を通して、目を背けがちな死について考えさせた。

人は誰しも平等にいつか生の終わりを迎える。それまでにどう生きるか、そのときを知ったらどう死と向き合うか。そんなことを問いかける、社会におけるテレビの役割を果たす番組だった。

ライター, 編集者

音楽ビジネス週刊誌、芸能ニュースWEBメディア、米映画専門紙日本版WEBメディア、通信ネットワーク専門誌などの編集者を経てフリーランスの編集者、ライターとして活動中。映画、テレビ、音楽、お笑い、エンタメビジネスを中心にエンタテインメントシーンのトレンドを取材、分析、執筆する。takeiy@ymail.ne.jp

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