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是枝裕和監督が映画業界に投じた一石 第一人者によるワークショップの意義

武井保之ライター, 編集者
客席の質問に答える是枝裕和監督とティルダ・スウィントン(写真提供:CHANEL)

是枝裕和監督、ティルダ・スウィントン、役所広司、安藤サクラ、西川美和監督。世界の映画界にその名を知られるトップ俳優、監督であるフィルムメーカー5人が集結し、お互いの知見を語り合い、現場経験からの学びや実践的なスキルやテクニック、教訓のすべてを、限られた時間目一杯を使って、若手クリエイターや学生へ伝えた2日間だった。

『CHANEL & CINEMA – TOKYO LIGHTS マスタークラス』

それは、これまで見てきたどの国際映画祭のフォーラムやセミナーよりも高い熱量とひしひしと迫りくるような緊張感に包まれる、稀に見る充実したイベントだった。

主催は、芸術文化の現代のパトロンであるCHANELと是枝裕和監督。この第1回の成功は、映画業界に大きな一石を投げかけた。ここに集まった映画への熱量をどうつなげていくか。それがこれからの課題だ。

ティルダ・スウィントンが挙げた日本の課題

本マスタークラスは、CHANELと是枝裕和監督による、日本映画の伝統を受け継ぐ次世代クリエイターの育成を目的にしたプログラム。会場となった早稲田大学のホールは、若手俳優、監督のほか、映画業界を目指す学生などで満席となり、客席の一部には現在のエンターテインメントシーンの第一線で活躍する俳優たちの姿も見られたなか、11月27日、28日の2日間、モチベーションの高い参加者たちによる濃密でインタラクティブなワークショップが繰り広げられた。

初日のトークセッションは、是枝裕和監督と西川美和監督によるティルダ・スウィントンへのインタビューからスタート。彼女の映画人としての活動や、ペドロ・アルモドバル、ジム・ジャームッシュ、デレク・ジャーマン、コーエン兄弟、ポン・ジュノなど世界の巨匠と呼ばれる監督たちとの協業による撮影現場でのエピソードと、そこからの学びなどが語られた。

ティルダ・スウィントン、是枝裕和監督、西川美和監督のトークセッション(写真提供:CHANEL)
ティルダ・スウィントン、是枝裕和監督、西川美和監督のトークセッション(写真提供:CHANEL)

印象的だったのは、国境を超えて広く世界で活動するティルダの外へ向ける意識やモチベーションについて是枝監督が聞くと、「意識的ではなく縁」と答えていたこと。

そもそも彼女が是枝監督、西川監督と出会ったのも国際映画祭だが、ティルダにとってそこは、映画を通してネットワークを広げ、組みたい仲間との関係性を築くパーティーの場とのこと。自然な形でお互いが引き合ったり、不思議な縁があったりする。そこから国境を超えたコラボが生まれてきたという。

ティルダが今回のイベントを通して訴えていたのは、フェローシップの構築。これまでにティルダ自身は、国際映画祭の場で仲間に恵まれ、グループで映画を作る家族を奇跡的に見つけてきた。そんな彼女が日本の課題として挙げたのは、海外のフィルムメーカーとのネットワーク構築など、世界へ向けた間口を広げていくことだ。

たしかに、これまでの日本映画業界は、作品や権利のセールスで国際映画祭には出ていても、企画ピッチングや映画人のネットワーキングの面では、インディペンデント系プロデューサーなどの参加に限られていた。ここ最近では、東映やアスミック・エースなどの大手も外へと動き出してはいるが、日本映画界としての大きな動きにはなっていない。個人としても、企業、業界としても、世界とのフェローシップの構築は、喫緊の最重要課題になるだろう。

役所広司へ質問が飛び交った熱量の高いセッション

次のトークセッションに登壇したのは役所広司。是枝裕和監督、西川美和監督と向き合い、役者人生のはじまりから、独自の芝居論にまで踏み込み、3人それぞれが辿ってきた映画人としての人生をぶつけあう、穏やかな空気のなかの白熱したトークになった。

役所広司、是枝裕和監督、西川美和監督のトークセッション(写真提供:CHANEL)
役所広司、是枝裕和監督、西川美和監督のトークセッション(写真提供:CHANEL)

質疑の時間は、新人俳優や役者志望の若者たちから、芝居の細かな技術的な部分や、メンタルのあり方など多くの質問が飛び交い、熱量の高いセッションが繰り広げられた。

芝居について役所が説いたのは、台本に縛られて自分を成約するのではなく、常にリラックスすること。ふだんから人は実生活のいろいろな場面で嘘をついたり、芝居をして生きている。それを台本にあてはめるという話には、会場中が頷いていた。また、若手監督からの「どうしたら役所さんに出演してもらえますか?」という質問には「脚本を読ませてよ」とフランクに答え、会場を和ませた。

続くワークショップでは、監督と俳優2人の3人1組の2チームが登壇。事前に渡されていた台本をもとに、監督が演出し、俳優はそれをもとに演じてシーンを撮影する一連の流れを行い、それに対して、役所、是枝監督、西川監督がそれぞれアドバイスした。

役所は、状況によるセリフの間や、感情による声のトーンなどについての意見を出し、是枝監督はカット割りや役者の配置の変化などによる見せ方のバリエーションのアイデアを指南した。

ワークショップでアドバイスをする是枝裕和監督(写真提供:CHANEL)
ワークショップでアドバイスをする是枝裕和監督(写真提供:CHANEL)

この日のワークショップ用の台本を書き、1組の監督として演出を行った寺田ともかさんは、社会福祉士として働きながら助監督を務め、まだ自主映画などでの監督経験はない。本格的なワークショップは今回が初めてになったが、与えられた時間内で俳優役の2人に演出をしながらシーンを撮り、役所からのアドバイスを受けた。

「役柄の背景や人柄など、私が意図していなかった部分まで汲み取ってくださる脚本読解の深さや視点が勉強になりました。役者さんの解釈によって、自分が思っていた以上のものが現場で生まれる経験をさせていただきました」(寺田さん)

一方、是枝監督からは設定と画作りへの指南を受け、「映像で画面に映ったときに何を語れるかということへの考えが足りていなかったことに気付かされました」。今回のワークショップを終えて「第一線で活躍されている方々に囲まれる緊張感はもちろんあったんですけど、私たちを育てようと思ってここに来てくれた仲間だということが実感できて、安心感を持って参加することができました」(寺田さん)と振り返る。

対照的なアプローチだった安藤サクラとティルダ・スウィントン

2日目は、是枝監督と西川監督はサポートにまわり、安藤サクラのワークショップからスタート。監督と俳優が組む3チームが登壇すると、裸足になって体を動かしたり、大声を出したりしてリラックスする、安藤サクラ流の導入からはじまった。

ステージと客席の垣根を取っ払った安藤サクラのワークショップ(写真提供:CHANEL)
ステージと客席の垣根を取っ払った安藤サクラのワークショップ(写真提供:CHANEL)

安藤は「大事なのは演技をすることではなく、そこに自然な自分の存在があること。そのために必要なのは、周囲の人とつながって、感情や感覚をキャッチできる状態を探すこと。ステージも客席も一緒にキャッチできる環境と体を作っていきたい」とし、会場全体の力を抜いてリラックスさせた。

そして、それぞれのチームのセッションには、安藤自身も役者のひとりとして加わり、台本通りだけではなく、アドリブのセッションを入れたり、役者同士の演じる役柄を入れ替えたりする。さらに、是枝監督がその場で客席から希望者を募り、即席の監督と俳優のチームもワークショップに参加するなど、自由度の高いワークショップになった。

続いて、ティルダ・スウィントンのワークショップ。会場中の参加者の顔を見ながら進めたいと、客席の照明を明るくしたティルダは「いままさにフェローシップの真っ最中です」。客席からの積極的な参加をうながした。

このセッションでも、監督と俳優の2チームが登壇。ここでティルダがテーマに掲げたのは、顔へのクローズアップの撮影により、俳優は動作や表情の芝居を意識の外に置き、内面的な感情面の揺れ動きに集中できるということ。俳優2人にクローズアップした映像がスクリーンに映し出されながら、英語でのシーンの演出と芝居のセッションが行われた。

ティルダはシーンの途中で細かく止めて、役者の感情や芝居の意図を確認。表情や仕草の意味を解説しながら進められた。2組目の役者のひとりが緊張でセリフが出てこない状況が繰り返されたときは、その役者の肩を抱きながら「緊張は活用できる。エネルギーの源でもあるんです。自分はできないと思ってしまうのは当たり前。みんな同じ」と話しながら緊張の理由を聞き、少しでもリラックスできる設定に変えて続行された。

ティルダ・スウィントンのワークショップの様子(写真提供:CHANEL)
ティルダ・スウィントンのワークショップの様子(写真提供:CHANEL)

安藤サクラの感覚的な部分を大事にする役者同士の反射や反響から生まれる芝居と、ティルダの論理的に詰めていきながらもセリフを超えた表情や感情で伝える芝居は、対照的なアプローチに見えるが、通底するものがあった。

そんな世界的女優2人の芝居の根底にあるクリエイティブに触れることができたこれ以上ない貴重な時間は、あっという間に過ぎ去った。その場の誰もがこの日の体験と2人の言葉を胸に深く刻みつけたに違いない。

若手監督の現在の日本映画への問題意識

この場には、日本映画界の未来を背負う意識を持つクリエイターたちが集結していた。各セッションの質疑では、客席から大勢の手が上がり、熱心な質問や意見が投げかけられた。

トークセッションのあとの質疑ではステージと客席の活発なセッションが繰り広げられた(写真提供:CHANEL)
トークセッションのあとの質疑ではステージと客席の活発なセッションが繰り広げられた(写真提供:CHANEL)

参加者の若い男性監督からは、現在の日本映画への問題意識として「ストーリーの進行をセリフに頼っていたり、演出や演技が台本の設定をただスムーズに伝えるものになっている。小津安二郎監督や今村昌平監督は、台本をいかに撹乱し、いかに逸脱するかを掲げていた。世界的評価を得た古き良き日本映画が持っていた魅力が廃れているのではないか」という声もあった。

それに対して是枝監督は「範囲が広すぎて答えが難しい」としながら、「誰もが試行錯誤をしながら、すでにあるものとは違う何かを目指している。たとえば、今日のワークショップの芝居が映像になれば、また違うものになる。セリフをなくすなど現場でできるアプローチはいくらでもある。実験をしていけばいい」と会場全体に投げかけた。

ティルダも「台本に忠実でいるかは、ワークショップで大いに活用すべき題材。台本がどう作用するのか。それ以外の要素がどう影響するのか。役者の言葉と意図は一致するのか。ワークショップは、演出で可能なことを探ろうとしている。今日だっていろいろなアイデアが浮かんできた。疑問が答えにたどり着かなくても、実験することに意義がある。直接的に映画作りにつながらなくてもいい。大胆なエクササイズをしていきましょう」と前向に唱えた。

意気投合した是枝裕和監督とティルダ・スウィントン

ワークショップを終えて、2日間を振り返った是枝監督は「自分にとってもいろいろなことが初めてだった。ティルダさんのワークショップがおもしろすぎて、これをシリーズにしたい」。それに対してティルダは「ぜひやりましょう。1週間くらいのプログラムを作ります(笑)。私にとっても特別な体験でした。私のほうが是枝監督より楽しみました」と満足げに返した。

おもしろいと感じて楽しむことがすべての根底にある。それが映画という文化であることも改めて感じさせられた。

客席には、宮沢氷魚、小松菜奈、清水尋也など第一線で活躍する俳優たちの姿も見られた(写真提供:CHANEL)
客席には、宮沢氷魚、小松菜奈、清水尋也など第一線で活躍する俳優たちの姿も見られた(写真提供:CHANEL)

映画が好きで参加したという早稲田大学1年の女子学生2人組は「これだけの人に会えるワークショップは一生に一度あるかないか。こういう機会に恵まれて、本当に幸運だと思っています」と笑顔を見せた。

2日間を振り返ると、役所が自分や身近な人の記憶や出来事を芝居に取り入れていることや、是枝監督が役者が緊張しない環境を作っているのに対して、安藤とティルダは緊張をコントロールし、緊張すら演技に取り込んで活かしている話が印象に残ったという。

そして、2日間参加して、文化構想学部の1人は「映画業界志望というわけではないんですけど、いろいろな話を聞いて興味を持ちました。文化としての映画産業を支えていきたいみたいな気持ちも芽生えました」。文学部のもう1人も「映画業界って格式高くて近寄りがたいイメージがあったんですけど、今回のワークショップは映画制作に幅広い人に携わってもらいたいというメッセージが根底にあると感じました。2日間の話を聞いて、もっと聞いてみたくなりました。いまは私もやってみたいなとも思っています(笑)」。

ここに生じた映画への熱量は、映画業界の外の若い世代にもしっかりと届いているようだ。

CHANELと是枝裕和監督から映画業界へ問いかけ

今回のワークショップが、従来の一般的なそれと大きく異なるのは、世界のトップスターとクリエイターが講師になることで、自らの成長と映画界の発展への学びのモチベーションが高い若い世代のクリエイターが集まったことだ。そこには、稀に見る熱量の高いセッションが自然に生まれた。

VIPO(映像産業振興機構)でもアクターズワークショップや若手プロデューサー向けのセミナーが行われているが、それとは規模も予算も、その成果さえも、従来のものとは一線を画する大型イベントだった。それは世界的な芸術文化のパトロンであるCHANELだからできたことでもある。

ティルダ・スウィントン、是枝裕和監督、西川美和監督のトークセッション(写真提供:CHANEL)
ティルダ・スウィントン、是枝裕和監督、西川美和監督のトークセッション(写真提供:CHANEL)

CHANELが是枝裕和監督の活動に共鳴し、彼らの文脈がありながらそこにコミットしたことは、日本映画にとってプラスになったのは間違いない。

ただ、それは本来、映画業界が自らやるべきことだろう。一部の有志の映画人たちが現状の危機感を声高に訴え、政治にもアプローチし、文化芸術のパトロンとお互いの未来を豊かにすべく動き出したなか、映画業界はその成功を横目に見るだけでいいのか。

本イベントは、学びの場であるのと同時に、世間の注目を映画に集めるための打ち上げ花火的な役割もあった。その成果を、映画業界は自らへの問いかけとして捉えられるか。そこには日本映画の未来がかかっていると言っても大げさではないだろう。

ワークショップの継続に言及した是枝裕和監督

繰り返しになるが、今回のワークショップが唱えていたのは、横のつながりを広げるフェローシップだ。その輪には、個人だけでなく、映画業界が中心的な存在として加わり、未来へ向けたアクションを起こしていくことが期待される。

映画業界が中心になれば、現在のトップシーンの第一人者をフル稼働させて、今回のワークショップのような若手育成や産業発展のためのプログラムを定期的に組んでいくことも夢ではないだろう。そこからの発信は、世間一般へのアピールにもなり、日本映画の市場を拡張する新しい未来につながっていくかもしれない。

韓国の国際映画祭でのティーチインやマスタークラスでは、常にこうした熱量の高いセッションが生まれている。その背景には、映画をはじめとするエンターテインメント民度の高い韓国人の国民性とともに、スターが積極的にイベントに参加し、観客と触れ合いながらコミュニケーションを深めて対話するイベント文化が定着していることがあるだろう。

今回のCHANELの参画により、日本でもその場があれば、モチベーションの高い参加者が集まり、そこには熱量が生まれることが示された。そして、それが定期的に繰り返し行われていくことで、映画文化がより醸成し、映画民度は高まっていく。

熱いセッションを繰り広げた是枝裕和監督とティルダ・スウィントン(写真提供:CHANEL)
熱いセッションを繰り広げた是枝裕和監督とティルダ・スウィントン(写真提供:CHANEL)

前出の寺田さんは、志の高い仲間たちと出会えたことがこの2日間のいちばん大きな収穫と話していた。場は人を集め、そこからつながりができて、大きくなっていく。それが文化と産業の発展につながり、明るい未来を作り出す。

フェローシップを掲げたティルダは「こういう共同体験から、コミュニティ的な感覚を日本で育てていくことが大事」とメッセージを送り、最後に是枝監督は「次回に向けて準備をしていきたい」と継続を言及していた。

CHANELが起こした波を受けた日本の映画業界。それを独自のアクションにつなげていくことが期待される。

<ワークショップ参加者>

●役所広司のワークショップ

台本「離婚届」(作:寺田ともか)

・監督:寺田ともか/俳優:財田ありさ、大下ヒロト

・監督:葉名恒星/俳優:中田クルミ、町田悠宇

●安藤サクラのワークショップ

台本「マンション内見」(作:山浦未陽)

・監督:首藤凛/俳優:大場みなみ、長岩健人、安藤サクラ

・監督:山浦未陽/俳優:瀬戸真莉奈、楽駆、長谷川七虹

・監督:田中大貴/俳優:原舞歌、奥村秀人、鎌滝恵利

※ほか会場からの飛び入り参加2名

●ティルダ・スウィントンのワークショップ

台本「法律事務所」(作:古川葵)英語版テキスト使用

・監督:松林うらら/俳優:佐津川愛美、仁科貴

・監督:長谷川安曇/俳優:池田良、晃平、NIKO

CHANEL & CINEMA – TOKYO LIGHTS公式サイト

ライター, 編集者

音楽ビジネス週刊誌、芸能ニュースWEBメディア、米映画専門紙日本版WEBメディア、通信ネットワーク専門誌などの編集者を経てフリーランスの編集者、ライターとして活動中。映画、テレビ、音楽、お笑い、エンタメビジネスを中心にエンタテインメントシーンのトレンドを取材、分析、執筆する。takeiy@ymail.ne.jp

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