絆を大事にする男。インディアンスのフランコーナ監督が、病と闘う敵将を見舞う。
古巣レッドソックスとの3連戦のため、敵地ボストンに滞在中のインディアンス・フランコーナ監督は18日、忙しい1日を過ごした。早朝7時20分、同監督がブレッド・ミルズ三塁ベースコーチを伴って向かったのは、ナイターが行われるフェンウェイパークではなく、市内の総合病院だった。
10日に鼠径ヘルニアの手術を受けた際に、悪性リンパ腫が発覚。7日に治療専念のためシーズン途中の休養を決めたレッドソックスのファレル監督が、この日から、化学療法による治療を開始するからだ。よって、レッドソックスがワールドシリーズで優勝した07年の監督(フランコーナ)、投手コーチ(ファレル)、ベンチコーチ(ミルズ)が、病室という、必ずしも最高とはいえない場所で暫し団欒の時間を持つことになった。早期発見により、癌の進行は初期段階であり、極めて治癒率が高いと言われるファレル監督だが、化学療法が始まる直前に、僅かながらでも心和む時間を過ごすことができたことだろう。
「行って良かったよ。馬鹿話して大笑いしただけだけど。こういう状況でお見舞いに行けたことは、俺たち皆にとっていいことだったと思う」
フランコーナ監督というのは、こういう人だ。選手とスタッフを徹底的に大切にし、チームが別々になっても、かつての絆を大事にする。指揮官としては、結果が出ない選手を庇いすぎて記者会見で矛盾したことを言ったり、不振の選手の起用法を尋ねる記者の質問を無愛想に遮ったり、ある意味、不器用なところさえあるが、とことん選手を尊重し、コーチやスタッフに律儀に誠意をみせる姿勢はブレたことがない。06年に当時レッドソックスの若手有望選手だったジョン・レスター投手が悪性リンパ腫を患った時にも、何度もお見舞いに病院を訪れ、レスターを励ましている。データを駆使した頭脳采配というよりも、選手をその気にさせる手腕に長けていた。04年、07年の世界一チームでは、自由奔放なチームカラーを保ちつつ、アクの強い個性派軍団をまとめ上げた手腕が評価された。コーチへのサポートも手厚く、アストロズ監督を解任された後も、ミルズコーチを呼び戻しているし、控え捕手だったキャッシュ元レイズ監督も引退後、インディアンスのブルペンコーチに招聘した。このフランコーナ人脈は、大リーグの中でひとつのファミリーのような結束力を持っている。
ファレル監督の様子については、相手を尊重して深くは話したがらなかった。前日、ボストン入りした際に、ファレル監督から化学療法治療が火曜日から始まると聞いたフランコーナ監督は「行くよ。とにかく、そこに行くから」と即答したという。「友達だからね。友達がこういう状況になったら、どうする? 私にできることは、友達のままでいること。そういうことだ」
2人の出会いは現役時代が重なる88年のインディアンスに遡る。当時29歳のフランコーナは指名打者。24歳の若きファレルは14勝をあげて、ローテーションを守ったシーズンだった。以来、友好関係は続き、07年からは投手コーチにファレルを招聘して、ワールドシリーズ制覇を達成。昨年11月の日米野球では監督とコーチの立場が逆になったが、メジャー選抜チームの一員として来日している。
ちなみに、ちょっとしたトリビア・クイズ。1988年のインディアンスは78勝84敗。ア・リーグ東地区で7チーム中6位に低迷したチームだが、のちに大リーグの監督が5人輩出することになる。先述のフランコーナ、ファレル、ワシントン前レンジャース監督、バド・ブラック前パドレス監督、そして、「赤鬼」の異名で日本でも活躍したチャーリーマニエルが打撃コーチだった。「ひどいチームだった。とにかく、やられっぱなしだったな。5人も監督をするようになるなんて、誰も思わなかっただろうよ。少なくとも俺も、ジョン(ファレル監督)もね」とフランコーナ監督は笑う。
ファレル監督の病室でフランコーナ監督はいつものように冗談を飛ばしたそうだ。「彼に言ってやったんだ。友達だから来たんじゃないってね。以前20ドル貸したままだったから。万一、何かあったら20ドル払って貰わないと困る(笑)」ー。