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【座談会】山下文学と戦後農村(下)―小農の危機意識と土着の開き直り

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

大野 和興(農業記者)

菅野 芳秀(山形 百姓)

西沢江美子(ジャーナリスト)

◆山下文学のなかの女性

菅野 多分近所との付き合いもそういう感じだったのだろうな。また、親戚の数も多く、その付き合いにも手を抜かない。だからけっこう出かける日も多く、人の出入りも多い。その都度、農作業は中断だったでしょうね。それで西沢さんが冒頭に行った発言に戻るのだけど、妻やお母さんから、つまり女性から見た山下惣一とはー。

西沢 村の取材で、これはメディアの問題なのですが、みんな夫のことしか取材していないですよね。男も妻の存在を気にしていない反映でもある。私は必ず妻からも話を聞いて、写真も一緒に撮ることにしている。かなり昔の話ですが、ある時ある雑誌で山下さん夫婦の写真が出ていて、見たらだいぶん前私が撮ったものだった。それでその記事を掲載した新聞に問い合わせたら、夫婦の写真はそれしかないというので売ったということだった。いろんなメディアが山下さんを取材し写真も撮っているのに結局それしかなかった。菅野さんもよく取材を受けるけれど、同じだと思う。そこに村の男の駄目さ加減があらわれている。山下さんの本には夫婦の会話は出てくるけれどもやはり添え物という感じがする。妻や地域の女性について触れているところはあるのだけれど、どちらかと言うと類型的にしか捉えていない

山下さんが最後に出した本(『農の明日へ』(創森社、2000年)で、シャーマンマスカット作ったが、誰にも食わせないで妻と二人で食うというくだりがありますが、それくらいですかね。それは藤三郎さんも同じで、いま藤三郎さんがあるの奥さんに随分支えられたんじゃないかと質問したら、そんなことはないの一言だった。

大野 山下文学における女性というのはどのように描かれているのだろう。

西沢 女性はほとんど見えないと言っていい。農家とか農村の中の風景という感じで存在しているにすぎない。山下さんが女性を真面目にとらえるようになったのは農村に花嫁さんがいなくて外国から連れてくるという、ちょうど外国人花嫁が問題になっていたころで、各地の講演会で女性の話をするようになっていた。その時山下さんは妻とどうやって出会ったかとか自分はどうやって結婚したかったということも話してました。

大野 山下さんは農村女性論のようなものは書いてないですよね

西沢 山下さんだけでなく農民・農業・農村作家はほとんど誰も書いてない。残念ながら農村に住んでいて、ものを書いているのは男が圧倒的に多い。私は星さんも何度も取材したけれどもお連れ合いとお目にかかったのは一度しかない。木村迪夫さんは多くの詩を書いたけども女性のことを書いたのはひとつしかない。かろうじて女性の農民文学の書き手として吉野せいさん、一条ふみさん、遠山あきさんとかがいるのだけれども、私自身も含めて農村女性をきちっと論理的にとらえたものはない。

菅野 山下さんは一番目二番目ではなく三番目に好きな女と結婚したと書いている。一番好きな女に一緒に百姓をしようとはとても言えなかったという。それに甘んじしてくれる人を相手として求めた、そんな感じだったのかな。奥さんの須美子さんはステキな方だし、実際のところは分からないけど。後で須美子さんが「私にとっても彼は4番目の男よ」と返していたと知って笑ってしまった。

西沢 私もそれは直接聞いた。それは自分の仕事を含めすべての百姓をバカにしていないかと思ったのを覚えている。一番好きな女になぜ一緒に百姓をやろうと言えなかったのかといったら、山下さんはそんな綺麗事じゃないよと反論した。

菅野 俺も若い時代、もし好きになった女性がいたら、一緒に百姓をしてくれとはとても言えなかったなぁ。コンプレックスと百姓と・・複雑なんですよ。

西沢 突き詰めるとそこに行くんだよね。

◆農民文学から女性がすっぽり抜け落ちている

大野 山下さんの農夫也ものの小説を読むと、あれはやはり家の物語なんだよね。女性は家の一部でしかないという感じがする。長男の物語なんだよね。

西沢 どうして女を書かなかったんだろうかと思う。書く必要がないと思ったんじゃないと思うんだよね。書けなかったのかもしれない。

大野 山下さんは1935年生まれのはずで、敗戦の年が10歳、農地改革があって平和憲法が出てきて身近な民主化の時代を築いてきた世代ですよね。百姓が嫌で家出して、しかし戻ってきて百姓としての人生を歩んできた。青年団に入り、結婚を会費制でやり、しかし家と妥協して家どうしの結婚式もやる。つまり結婚式を2度やる。村に生きる物書きとして、その後の激動する農業と農村を書いてきた。そこには農村女性の物語もあるはずなんだけど。

西沢 あるある。女は男と同じ位置にいなければいけないと私は思うけど、そこのところがすっぽり抜けている。女性の農民文学の書き手も「家」の重みにつぶされそうになりながら、その不自由さを書くが、それをどう変えていくかまでは書ききれていない。例えば高度経済成長の中で男たちが出稼ぎで都市に出、そのあと女たちが村にやってきた工場で働くようになった。そこから家の中にそれまで戸主のサイフ一個しかなかった農家のサイフが二個になった。やがて年金のサイフ、パートのサイフ、家業(戸主)のサイフとサイフがどんどん分裂していった。それでも「家」は生き続けている。そのことをなぜ書かなかったのか。

大野 戦後の農民文学の一番の問題なのかもしれないな。山下さんもそこから抜け出せていない。

西沢 出稼ぎの詩を書いた福島の詩人草野比佐男さんはその典型かもしれない。夫が出稼ぎに出て村の女はそばに男がいなくて寂しくて眠れないという詩です。 NHKで報道されて一躍評判になったのだけれども、農協婦人部の女性たちからは不評だった。というより怒りをかった。  

農村女性はこれまでにおおざっぱにいって二波、村から男たちを奪われたことがある。一波はアジア太平洋戦争で兵士として。二波目は経済戦争のための出稼ぎで。その間、村の女たちは家と地域と国を守らされてきた。女たちは自分の代で家をつぶしてはいけないと悩み、苦しんだ。村の女が眠れないのはこの苦しさと悩みがあったからで、男と女の性の関係ではない、そこを怒ったのです。

農協婦人部の人たちは草野さんに抗議の手紙を送ったのだけどメディアはどこも取り上げなかった。メディアもまた男しかいなかったからだと思う。マスコミは女性記者が村を取材しても男中心の記事しか書かない。

大野 都会の生協や生協生活協同組合や安全な食物を求める消費者グループが農村に援農ということでやってくる。70年代80年代はとてもそれが盛んだったので、僕もよく取材で同席した。その時気づいたことがある。援農で来た女性たちを迎えて、有機農業の農家の妻たちは一生懸命を有機の食材を揃え、お勝手で料理を作って出す。都会から来た女達は交流会ということで座敷にどっかと座って、村の男たちと楽しげに飲み話をしている。村の女は料理を次々と出して、それを座敷に運び、そして後片付けをする。村の女の出番は交流会がお開きになる直前、呼ばれて今日の料理はこういう有機の素材で作ったということを説明するだけ。終わったらまたそこそこに腰を上げて後片付けに専念する。そういう中で農民文学にだけ女性の自立した姿を書けというのは無理だったのかもしれない。

◆家族農業という時の「家族」とは

菅野 俺の場合も認識は農家までなんですね。文章を書いても、かみさんのことは書いてこなかったし、書かなきゃダメだという認識もなかった。書いて来た対象も農家という単位までで、農家を構成する一人一人にまで意識が及んでいなかった。だから、その中での女性が抜け落ちてしまう。そこまで行きつければ違う表現の仕方もあったのだと思う。しかし実際の視点はと言えば、例えば農家、農業、農村がいかに大変か、で止まっている。その中の人間一人一人じゃなくて農民が都市からいかに収奪されているか、農家がいかに恵まれてないか、とか言うように、農家までなんですよ。家族農業と一言でいうけれども、家族の中の一人一人に焦点を当てなければならないのだろうけど、俺の場合はそこまでだった。その点で言えば、俺もそんな農家、農村の普通の男だった。

大野 研究者や農民運動組織でも家族農業こそが農業を救う、これからのあり方だという家族農業論が盛んなのだけれども、大きな問題があると思っている。そこには人がいない。

西沢 家族農業という家族の中には、無償の、あるいは安上がり労働力としての人がいるのだけれど、それが人間として見えていないといったほうがいいと思う。その無償労働力のほとんど「嫁」「姑」と呼ばれる女たち。すべてが戸主のところで止まってしまっている。

大野  さっき言った消費者と農家の交流会に話を戻すと、都市からは女性が来て、村からは男が出て、村の女性はお勝手にいて、都市の女性自体がそのことがおかしいと思わない。都市側の問題でもある。山下さんは「家族農業」とは言わなかったですね。「小農」という言葉を使った。彼は「家」の息苦しさを身に染みて感じているのだと思う。

西沢 1960年代に群馬から「ただ働き解消運動」という運動が起こった。今でいう家族農業を支えていたのは後継ぎの青年と女たちの無償労働だった。群馬の農協青年部と婦人部がそのことを取り上げ、運動を始めたのですね。青年と女性のただ働きが低農産物価格の基盤になっているいうことで、この運動は全国に広がった。欧米から新しい思想潮流として「アンペイドワーク」あるいは「シャドーワーク」という概念が入ってくるのは確か1980年代ですが、それよりはるか前、日本の農村でこんな運動があったのです。

 このときひっかかったのが所得税法59条でした。農家や商家への所得税は世帯主義でかけられていて世帯員個々の所得は認められていない。この世帯主義はいまも続いています。しかしこの運動にブレーキが掛けられ、その代わりに出来たのが家族協定です。後継者や女性に給料を払うという協定ですが、法的にも実体的にもなんの保障もない、いまの農産物価格の元では単なる空文にすぎないのに、普及所などによって「家庭の民主化をすすめる」先進的農家として広げられていった。

菅野 わが家の話をすると、かみさんは外に仕事を持ちながら農家の嫁として台所をこなして来た。俺のところには外からよく人が来ていたので、食事を作り、布団を敷き・・と、やり続けてきた。

 やがて父親が亡くなり、おふくろも亡くなり、去年の8月からかみさんと二人きりになった。結婚してから46年後のことだった。半分冗談のつもりで「初めて二人きりになったなあ。もう一度結婚式からやり直すか。俺と結婚してくれないか。」と聞いたら、かみさんから予想せぬ応えが返って来た。「考えさせてくれ」。場の空気がいっぺんに変わってしまった。「いつまで」と聞いたら、「今年いっぱいかな」とまじめな顔でいう。昨年のことだからもう過ぎているのだけどね、答は恐ろしくて聞けないでいるよ。わが家にあっても、一人の女性が自己実現していくのに、決していい環境ではなかったのだろうなぁと今更ながら反省していますよ。

◆村と家と家族からの脱出の物語

大野 3,4年前、置賜百姓交流会の新年会があり、例によってぼくも置賜まで出かけて参加して飲んだのだけど、その時片平さんがいま農家の間で50代の離婚が増えている、女性の方が家を出て行ってしまう、という話をしてくれた。どうしてって聞いたら、自分のこれまでの人生は何だったのだろう、これから先の人生も見えない、ということに気づいて、まだ間に合うと出ていくのだと思うと片平さんはいっていた。このまま60代に入ったら身動きできなくなると思ったのだろう、と。

西沢 農村女性詩集というのがある。私も手伝ってまとめたのだけど、新聞や雑誌の投稿から「農村女性だからこそ」という詩を集めたもので、かなり分厚いものです。その中に、いまの話のような詩が出てくる。「ある日振り返ってみたら、私の道が見えなかった。これから私はどんな道を歩いていったらいいのだろうか」という詩でした。それを読んで、私も胸が苦しくなるくらいショックを受けた。その詩をあるシンガーソングライターに見せて曲をつけ歌ってもらったら、各地の農協婦人部から声がかかり、その歌を最初に歌ってくれという要望が強く、その歌で泣いている人がいたと話していた。たとえ嫁として大事にされてきたとしても、農家の嫁はこんな気持ちを持っているのじゃないかと思う。振り返ったら何もない。

大野 農民文学に戻ると、やはり戦後農民文学は家しか書いてないのかなあ。

西沢 長男と家。東京・町田で普及員をしながら農家を継ぎ、都市農業の変化を書き続けてきた薄井清さんの最後の作品は、都市のピカピカした若い女性が村に土足で入ってくるのを、胸をワクワクさせながら迎える中年農民を描いたものでした。どこかで家制度を切り崩さなければと悪戦苦闘していたのも事実だろうと思います。

大野 山下さんはかなり早い時期から小説を書いてないですよね。ぼくは何度も書いてくださいよ、といったのだけど、彼は書けないよ、といって書かなかった。農夫也ものは確か3部作で終わっている。最後は90年代だったか、農夫也は堂々たる壮年になっている。彼の友人の農民がフィリピーナと恋に落ち、駆け落ちする。ご当人も消費者運動の活動家の女性と不倫をする。その女性との濡れ場があるのだけど、これがめっぽうリアルで、本当にあったことじゃないかなと思わせるくらい。山下さんが濡れ場を書いたのは、後にも先にもこれだけじゃないかなあ。

 結局フィリピーナは周囲がよってたかって因果を含めて別れさせ、お金をもらって男から去り、男は村に帰っていく。消費者運動の女性は離婚してNGOに入り、アジアに活動の地を見つけて出かける。自己責任で生きてきた女たちは村を去り、男たちは何事もなかったように村の歴史に埋め込まれる。

 さっき農夫也ものは長男の物語だといいましたが、こうやって見てくると、農夫也物語はもしかするとひとりの男の村と家からの脱出の物語なのかもしれない。彼は若いとき2度家出して連れ戻された。山下さんとって家とむらは脱出の対象でしかなかった。その底には、百姓という資本主義社会の中でいずれ滅びるものの危機意識があった。その危機意識を小説やエッセイで笑いや皮肉にまぶしながら書きまくった。彼の笑いや皮肉は土着のものがもつ強さの彼一流の表現なのかもしれない。滅びの危機意識と土着の強さ、それは開き直りの強さなのだけど、それらを丸めて団子にしながら、脱出口を求めて悪戦苦闘したのが、うまく言えないけど、山下文学ではなかったのか。その意味では山下さんの戦いは決着がついていない。(終わり)

初出 『百姓は越境する No41』(アジア農民交流センター発行、2022年12月18日)

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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