有名パティスリーのケーキ食べ放題でおしぼりやトレーの間に無残な食べ残し なぜ非常識が行われるのか?
パティスリーの投稿が話題に
あるパティスリーがFacebookページに投稿した内容が話題となっています。
東京都足立区にある「パティスリー ラヴィアンレーヴ」では、不定期でケーキ食べ放題が行われています。年明けに実施したところ、ルールを守らなかったり、マナーが悪かったりする客が複数いて、このような声明を発表したということです。
非常に残念に思うので、私も自身の考えを述べていきたいと思います。
ケーキ食べ放題の仕組み
このケーキ食べ放題はどのような仕組みになっているのでしょうか。
ケーキのサンプルがいくつかトレーに載せられてテーブルまで運ばれて来ます。その中から好きなものを選ぶと、お皿に盛られてテーブルまで運ばれて来るという流れです。1時間という制限時間の中で、好きなだけ食べられます。
有名なオーナーシェフのパティスリーであること、ショーケースに並べられているのと同じ店売りのプティガトーが提供されていること、そのどれもが非常に質が高いことが特徴です。
開催が不定期かつ5組限定で希少価値が高いことから、とても人気を博しています。
他のパティスリーでは
他のパティスリーでは、このようなイベントが開催されることはあるのでしょうか。
どのパティスリーでも行われているわけではありませんが、客へ感謝の意を表したかったり、自由に色々なスイーツを楽しんでもらいたかったりする際に、ケーキ食べ放題のイベントが実施されることはあります。
定期的に行われることもありますが、不定期であったり、単発であったりすることの方が多いでしょう。
デザートブッフェ専門店であれば、常にブッフェなので、それで利益を確保できるように工夫するものです。しかし、パティスリーのケーキ食べ放題は還元イベントという意味合いが強いので、特に利益は求めておらず、非常にリーズナブルなことがほとんど。
ブッフェ台を設置するスペースがないので、イートインのテーブルにサーブする形をとることが多いです。
ルール違反の理由
なぜ、食べきれなかったケーキをおしぼりに包み隠したり、トレーとトレーの間に隠したりと、ルールを違反したのでしょうか。
それは、食べ終えたように見せかけたかったからです。
お代わりするには、オーダーしたケーキを食べ終えてから、次のケーキをオーダーしなければなりません。
自分で取りに行くブッフェ形式とは異なり、テーブルにサーブするシステムが採用されているので、口頭でオーダーすることになります。スタッフが目の前で確認するので、食べ終えていないのに次のケーキをオーダすることはできません。
もしも食べ終えていなければ、次のお代わりができないので諦めるというのが、極めて常識的な感覚でしょう。
しかし、食べ終えていないのに、どうしても次のケーキをオーダーしたいので、食べ残したケーキをどこかに隠したり廃棄したりする必要があったのです。
無理してでも食べる
パティスリーのオーナーシェフが投稿したように、ケーキを無残に食べ残すことは、一生懸命に作ったパティシエに対して完全に敬意の念が欠落しています。
生産者の苦労に対する想像力が足りなかったり、食材に対する感謝も皆無であったりすることは確かです。もちろん、食べ残すことによって食品ロスにもつながることも忘れてはなりません。
食べ残すこと、しかも、ルール違反をして無残に食べ残すことは、とても許されるべきことではないのです。
メディアの罪
では、どうして、そこまでたくさん食べたいと思ってしまうのでしょうか。
それは、「元をとらなければならない」「たくさん食べないと損」「少しでも得をしたい」という思考が根底にあるからです。
そして、そのように至ったのは、個人の身勝手な考え方もありますが、メディアによる影響も大きいのではないでしょうか。
インターネット時代といわれて久しいですが、いまだにやはりテレビの影響力は非常に大きいです。
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テレビをはじめとしたメディアは、目先だけの「元をとれる」「原価が高い」「たくさん食べられる」ばかりを取り上げた企画が多いので、これに大きな影響を受けることもあります。
大食いや早食いを英雄視して称賛したり、面白おかしく取り上げて楽しんだりする企画も、深刻な問題をはらんでいるでしょう。
なぜならば、大食いや早食いを美化することは、作り手や生産者や食材への敬意や感謝を脇に置いておき、ただ意味もなくたくさん食べることを推奨することになるからです。
大食いや早食いの裏には、過食嘔吐などの摂食障害が潜んでいることも忘れてはなりません。大食いや早食いの番組はこういった病気を巧妙に隠蔽し、自身の視聴率のためだけに消費しているのです。
食べ放題という言葉
食べ放題という言葉も、少なからぬ問題をはらんでいます。
なぜならば、食べ放題は「食べ」と「放題」が組み合わされた言葉であり、「放題」は次のように、自己中心的で下品という意味をもつからです。
世界的に食品ロスが問題になっており、日本での食品ロスは最新の2016年度統計で643万トンにも上っています。国民1人当たりに換算すると、毎日お茶腕1杯分(139g)も捨てられているのです。
日本をはじめとした先進国では食品を余らせて捨てているにもかかわらず、他の国では飢餓に苦しんでいる人もいます。
そういった状況で、自分の都合で好き勝手に食べてもよく、しかも、食べ残してもいいというニュアンスを与えてしまう食べ放題という言葉は、この時代に相応しいとは思えません。
もちろん、食べ放題という言葉が使われているからといって、汚く食べ残してよいことにはならないでしょう。
しかし、食べ放題という言葉が与える印象は決して好ましくないので、できるだけ使用しない方が賢明です。
自分で自由に食べるスタイル
私は、自由に好きなように食べられるのは素晴らしいことであると信じています。
なぜならば、自分で考えておいしく適量に食べるのは、今の時代に相応しい食のスタイルであると思うからです。
人によって信仰や信念、哲学や思想、嗜好や気分が違っており、いつ何をどれくらいどのように食べるのかは異なっています。個人が尊重され、ダイバーシティが必要とされている現代では、自分で自身の心と体に相応しい食べ方をするのが適しているのです。
しかし、自由と責任が表裏一体になっていることは周知の事実。ただ自由に食べるだけではなく、食に関する全てのことに思いを馳せたり、感謝の念を寄せたりすることが必要です。
そして何よりも、自身に対して自制を働かせたり、他の客や飲食店と協調したりすることが大切ではないでしょうか。こういったことを学ぶための食育も重要です。
おいしいものを食べるための心持ちや教育
今回の件に関して、みなさんはどのような印象をもったでしょうか。
美食家であったブリア=サヴァランが1825年に記した「美味礼讃」には「君が何を食べるか言ってみたまえ。君が何者であるかを言い当てよう」という名言が残されています。何を食べるかだけではなく、どう食べるかというのも、何者であるかを示すのに重要な手掛かりとなるのではないでしょうか。
ミシュランガイドにおいて世界で最も多くの星を獲得していたり、ベストレストラン50で上位にランクインしていたりするなど、東京は世界屈指の美食都市です。10万以上もの飲食店があり、あらゆるジャンルの料理を食べることができ、質も高いのは周知のこと。
おいしいものを作る技術やストイックな哲学が評価されているだけに、次はおいしいものを食べるための心持ちや教育が必要となっているのではないでしょうか。