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「マツコの知らない世界」のケーキバイキング炎上を通して伝えたい3つの違い

東龍グルメジャーナリスト
(ペイレスイメージズ/アフロ)

SNSで関心

昨日寄稿した「マツコの知らない世界」のケーキバイキングでやってはならない5つのことという記事が、TwitterやFacebookなどのSNSである程度の関心を引き、問題を提起できたのはよかったと思っています。

しかし、まだ理解されていないことがあるので、振り返って追記したり補足したりし、改めて主張を伝えたいです。

大前提

大前提を述べます。

それは、前回の記事でも今回の記事でも、決して個人をターゲットにしていないということです。「ケーキバイキングの世界」に出演された方を通して番組が進行していますが、その方自身を否定したいわけではありません。

テレビ番組、それも、超人気のゴールデンタイムの番組であれば、担当ディレクタに決定権はなく、プロデューサーや放送作家など、多くの関係者の承認を得る必要があります。番組構成や出演者の人選に始まり、台本の作成、さらにはロケ撮影やスタジオ収録、編集、最終的な放送内容も承認を得てから放送されるのです。

つまり、放送された番組に批判があったとしても、決してその方個人の問題ではないということです。

SNSなどで騒がれているネガティブな反応は全て、番組の責任者へ向けられてしかるべきものでしょう。

3つの違い

ここからが本題です。私の主張を3つの違いで述べていきます。

  • 元の取り違い
  • 自由の食べ違い
  • 時代の撮り違い

元の取り違い

基本的にブッフェでは「元を取れない」「元を取れたか分からない」ことを理解しておく必要があります。

ファインダイニングから居酒屋、パティスリーやデパ地下の惣菜店を始めとして、経済活動を行う営利団体である株式会社は慈善事業を行っているわけではないので、客が何かを購入すると販売側が損をすることなどありえません。ブッフェでも同様です。

元をとるためには適正な原価を知る必要がありますが、原価を開示されていることなどありえないので、客が元をとれたかどうか分かるはずもありません。

ミシュランガイドで星付きのフランス料理店へ訪れてフォアグラの値段を訊いたり、頑固オヤジで有名なラーメン店でスープの値段を尋ねたり、そのような失礼なことは決して行わないのに、ブッフェになると、原価に対して執拗に関心が寄せられるのは不思議です。

単に原価率が高いものを選んで食べることはやめるべきだと考えています。原価が高くて興味がないものよりも、自身が好きな食べ物、作り手の想いがこもっているものなどを食べて、余裕をもって楽しんだ方が、よほど元が取れるのではないでしょうか。

必死になってまで、ブッフェで「元をとる」=「店を損させる」ことをしなければならないほど、日本人が精神的にも物理的に貧しくなっていると思えません。

自由の食べ違い

ブッフェは自由に食べられる食のスタイルですが、自由という言葉に無限や無条件が含まれているのではありません。何故ならば、他の客への気遣い、食べ物や作り手に対する尊厳が必要だからです。

自由に食べられるといっても、同じものばかりを一度に山盛りにして取ってしまうと、他の客が取れなくなって迷惑をかけてしまいます。ブッフェのもとになったスモーガスボードのマナーに逆らうことにもなるのです。

フランス料理やイタリア料理、日本料理や中国料理に独自のマナーがあるように、ブッフェにも独自のマナーがあることを理解していない方は、残念ながら少なくありません。店の中でマナーが明示的に記載されることはほとんどありませんが、記載されていないからといって、何でも好き勝手にしてよいというのは、浅薄すぎるのではないでしょうか。

完全な自由ではなく、ある定められた枠組みの中での自由なのです。山盛りにしたり、ぐちゃぐちゃに持ったり、他の客に迷惑をかけたりせず、食べる自由になります。

時代の撮り違い

主にテレビを中心として、ブッフェのコンテンツ製作において、時代の流れが止まっています。

つい先日、フジテレビが生み出したキャラクター保毛尾田保毛男氏が再登場したことについて、時代錯誤ではないかと議論が巻き起こりましたが、私はこれと同じような思いで、今回の番組を見ていました。

「元を取る」「大食い」という切り口でブッフェを構成するのは、もはや古くて下品です。

「元を取る」を煽ることは、客に不必要かつ無理に食べることを勧めることになり、食品ロスを含めたサステナビリティの観点から好ましくありません。「大食い」を美化したり武勇伝として語ったりすることも同様です。それに加えて、「大食い」は暗に摂食障害を肯定することにもなるので危惧しています。ブッフェと摂食障害・フードファイトの関係は大きな問題となっているので、いずれ述べたいと思いますが、ここでは主旨が異なるので深入りはしません。

テレビではインパクトのある映像や構成が求められますが、テレビがブラウン管から液晶パネルへと変わったように、ブッフェも変わってきており、昔とはだいぶ違います。今では、ホテルのブッフェであれば当然のことながら、町場のブッフェでさえも、元を取ろうと食べ物を漁っている客はいません。ブッフェが提供される空間で優雅に楽しんでいる人々しかほとんど存在しないのです。

それにも関わらず、あえてマイナリティである一部の「大食い」「フードファイター」に焦点を当てることは、ホテルを始めとしてブッフェを提供する飲食店のイメージを毀損しています。

もう時代は変わっているのです。目を覚まさなければなりません。

専用のブッフェ台が設けられ、そこに最新の什器が置かれ、料理人や菓子職人の創作的な食べ物がプレゼンテーションされているのです。テレビを始めとしたブッフェのコンテンツ作りは、これから変わる必要が求められます。

ブッフェは、ミシュランガイドの星付きフランス料理店で提供されるお任せ料理やバンケットで一斉に運ばれてくるコース料理、オールデイダイニングのプリフィックスメニューやアラカルトなどとは全く異なります。フェアに従って2~3ヶ月毎にほぼ全てのメニューとプレゼンテーションが新しくなりながらも、常にクオリティを保って提供しているのです。

こういったブッフェならではの裏側を特集した方が、不毛で意味のない「元を取る」や、飽食時代の副産物である「大食い」よりも、ずっと魅力的になるのではないのでしょうか。

意識を変えなければならない

ここまで3つの違いを述べてきましたが、ブッフェについては、客、店、メディアの3者が意識を変えなければならない時代がきたと考えています。

メディアは「元をとる」と煽らず「大食い」を美化するのでもなく、ブッフェならではの魅力を伝えなければなりません。客は「店が儲かってよい」と考えて「色々な食べ物を体験」して楽しみ、作り手と食べ物をリスペクトするべきです。店は一部の非常識な客に惑わされず、メディアの理不尽なコンテンツ作りに矜持を持って反対し、クオリティを向上させていかなければなりません。

三者が共に歩みを進めていったその先には、21世紀始めを境にして、洋菓子、フランス料理、ウィスキー、ワイン、チーズが世界的なレベルへと押し上げられていったのと同じように、日本のブッフェも世界的に注目される段階へと昇華すると、私は信じています。

「マツコの知らない世界」炎上事件の最終章。本当に「インスタ映えによる食べ残し」は起きているのか?では「インスタ映えによる食べ残し」について書いています

グルメジャーナリスト

1976年台湾生まれ。テレビ東京「TVチャンピオン」で2002年と2007年に優勝。ファインダイニングやホテルグルメを中心に、料理とスイーツ、お酒をこよなく愛する。炎上事件から美食やトレンド、食のあり方から飲食店の課題まで、独自の切り口で分かりやすい記事を執筆。審査員や講演、プロデュースやコンサルタントも多数。

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