18歳成年の民法改正で「成人式」はどうなるのか
法務省は2018年1月の通常国会で成年の年齢をこれまでの20歳から18歳へと引き下げる民法改正案を提出する予定です。すでに選挙権(公職選挙法)は18歳以上と変更され、6月からは憲法改正の国民投票ができる権利も18歳となります。なお世界の主要国のたいていは「18歳成年」。
民法改正して一番不安なのは
実現して最も心配なのは「契約」です。今は未成年の18、19歳がローンやクレジットカードの契約をしても保護者が未成年者取消権を行使して白紙に戻せます。高額商品やサービスも同じ。塾や予備校に通う際に保護者同意欄があるのはそのためです。18歳とは高校3年生。「高校生にそうした契約を委ねて大丈夫か」という心配が消極派の根拠になっています。不安をぬぐうために「若年成人」という概念を新設してカバーしようという動きも出てきました。
民法が「成年」を「年齢二十歳をもって」と定めているのは4条です。契約以外で変わると予測されるのが結婚年齢です。ただ平均初婚年齢が30歳という時代ですから「18歳結婚(親の同意なし)」と修正されても大きな変動はなさそうです。
民法の改正で自動的に成年(成人)が18歳に下がる法律は200本以上あるとされています。影響があるとすれば馬券(競馬法)や舟券(モーターボート競走法)の購入あたりでしょうか。
成人の日の定義は「成年」「成人」ではなく単に「おとな」
民法の成年と連動しないけど意識はしていそうな法律も多々あります。今回のテーマである「成人式」もその1つ。根拠法は「国民の祝日に関する法律」で「成人の日」(成人式を行う慣例がある)は「おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」と書かれています。単に「おとな」としか定義されていません。
そこで「まあ、大人といえば成年だろう」と解釈して成人(ここでは成人と成年は同義と考えて下さい)年齢の20歳を、今年(1月8日)であれば2017年4月2日から18年4月1日までに迎える者を「祝いはげます」わけです。
成人式直後に受験
成年=成人式の年齢との慣例を維持した場合、18歳へ引き下げられると高校3年の1月が該当します。するといくつかの課題が生じてくるのです。
まず切り替え初年度は「20歳、19歳、18歳」の3世代をまとめて祝わなければなりません。ほぼ3倍の規模にふくれ上がります。「先輩や後輩のいる成人式」ってどうなんでしょうか。会場も3倍のキャパシティーを用意する必要がありそうです。
次に高3の場合、直後に大学受験を控える者が半数以上という難点が指摘できます。今年だと8日に「成人の日」を祝った直後の13日から大学入試センター試験が実施されます。センターは20年までに廃止ですが代わって登場する新テストもおおよそ同日程になりそうなので課題は解消せず。「祝いはげま」されたらすぐに「みずから生き抜」く手段でもある入試本番というのも過酷ですよね。
式翌日からも「毎日が同窓会」
一方、現在の20歳成人式は高校を卒業して上京するなど地元を離れた者が帰省するなどして久しぶりに再会する同窓会的な役割も果たしています。18歳だと同窓会も何もありません。翌日から相も変わらぬメンバーが集まるわけで。
反対にいいところもありそうです。いわゆる「荒れる成人式」「暴れる新成年」が激減しそうだから。ほぼ100%が高校へ進学する現在、卒業間際の1月に暴れて停学や退学を食らうのは何としても避けたいでしょう。
もっともこの「荒れる成人式」は多分にメディアが創出している部分もあります。大半の成人式は静かなものでむちゃをする乱暴者が出てくるのは特定の一部。報道には「犬が人を噛んだらニュースではなく、人が犬を噛んだらニュースだ」という金言があります。「おとなになつたことを自覚」する成人式でおとなしくしていたらニュースではありません。暴れてもらってナンボなんですな。
そう「期待」されたら一丁やるかという者どもが就職先での不利益や、大学・専門学校での処分など顧みずにバカをやってくれるから絵になるわけです。
日本では「高校までは地元で」というケースが主流です。「成人の日」のイベントへの招待は住民票のある自治体から。住民基本台帳法は転入したら14日以内に市町村長へ届けなければならないと定めます(罰則あり)。大学進学を機に上京した場合も原則として適用されるルールで、現にそうしたら成人式は移り住んだ自治体から招待状が届きます。当然、見知らぬ者ばかり。
そこで民法22条「各人の生活の本拠をその者の住所とする」が生きてきます。あくまで地元が本拠で今の住まいは大学通学のため一時的なものと解せば許されます。ただ住民票を移しても地元の自治体に「式はやっぱり地元がいい」と頼んで断られる可能性はまあゼロでしょう。
18歳成人式だとこうした心配もほぼ消滅します。
式が先にあって祝日が生まれた歴史
ところで「成人の日」に何で自治体がお祝いをするのでしょうか。勤労感謝の日に全労働者を集める式典をやったりはしませんよね。
歴史を調べてみると「成人の日だけ式典を催す」ではなく「式典を催したのが成人の日の発祥」とわかります。現在の成人式のルーツは、埼玉県蕨市が敗戦直後に行ったあるイベントです。「蕨市は成人式の発祥地です。終戦直後の混乱と虚脱感が大きかった昭和21年11月22日、当時の蕨町青年団が、20歳を迎えた成人者を招いて、今こそ、青年が英知と力を結集し、祖国再建の先駆者として自覚をもって行動すべき時と激励し、前途を祝しました。その趣旨と意義が高く評価され、昭和23年7月、国民の祝日として成人の日が制定されました」とのこと。要するにまず成人式があって、その意図をくんで祝日が生まれたという順なのです。
原点を見直してみると現代との差を感じざるを得ません。村上龍著『希望の国のエクソダス』の一文を引用すれば「戦争のあとの廃墟の時代のように、希望だけがあるという時代」に新日本建設を託された「再建の先駆者」たる若者が「自覚」し「英知と力を結集」すべきであるとの背景がもはや失われたのではないかと。
敗戦直後と現代との差
敗戦は若者と対置される大人、とくに実力者の大失敗という状況が焼け野原、連合国軍による占領、戦争犯罪人の逮捕や公職追放などという目に見える形で存在し、否応なく若者は「再建の先駆者として自覚をもって行動す」るしかなかったのに比べて、今日はどうでしょうか。少なくとも若者に将来の日本を委ねようという気持ちが大人の側にあるのかという疑問は消えません。そういう構想を明確に掲げた政治が行われているとも思えません。
敗戦時の若者が幸福であったとは客観的にはいえません。少年犯罪も非常に多かった時期です。ただそんなときに、「バカをやっている場合か。こっちに力を貸せ」という期待だけは大いにあったわけです。この点は非常に重要で、成人式でバカをやるというお気楽な心理とは正反対といえましょう。
なお「酒はどうなんだ」という点については未成年飲酒禁止法が「満二十年二至ラサル者ハ酒類ヲ飲用スルコトヲ得ス」としていて民法に連動しない側です。つまり18歳成年になっても禁止法が改正されない限り「お酒は20歳から」は変わらず。勘違いして悪酔いしないように。ちなみに今の20歳成年でも成人の日以降に生まれた早生まれの方はまた飲酒してはいけません。