10代の孤立を防ぎたい…3.11経験した福島のママ、対面活動も再開・658グラムで生まれた娘と歩む③
658グラムで生まれた長女と共に、震災後とコロナ禍を生き抜く福島市の斎藤真智子さんの歩みを紹介する。(2023.3.11、講談社フラウの記事を再掲)
現在は能登半島地震の被災地に思いを寄せながら、「まず自分にできることをする」と決意した斎藤さん。子ども食堂や、小さく生まれた子の家族サポート、学習支援など地元での活動を継続している。#知り続ける
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子どもたちの自主運営も
継続してきた活動についても、マスク外しやコロナの扱いの変化、コミュニケーションの多様化、物価高などの社会状況も考え、リニューアルしたいという斎藤さん。
658グラムで生まれてNICU(新生児集中治療室)に入った長女が小学生になる頃に入会し、今は斎藤さんが運営委員を務める「Nくらぶ」も、転換の時だ。
「コロナになって、当事者の交流をオンラインにすぐは切り替えられず、課題です。福島では年間、100人ほどのNっ子が生まれて、大変なお母さんがいるけれど、新規会員は増えていません。会員に向けて紙の会報を作ってきましたが、若いお母さんはSNSで情報を集めています。インスタやFacebook、Twitterで発信しないと、受け取れないのかもしれません。今年は、対面のミーティングも、工夫して再開できたらいいなと思っています」
一堂に会する子ども食堂や学習支援は、どのように再開するか悩んでいる。コロナ禍は、お弁当を配布したり、夏休みに屋外でラジオ体操をしたり、つながりを作ってきた。
「コロナ後、中高生の利用が一気に増えました。集まるなら小学生がメインになるけれども、中高生とお弁当でつながったので、サポートを続けたい。生活が制限され、急につながりが減っている。子ども食堂を始めた頃に来ていた子や娘も高校生になるし、学校がバラバラになってしまう。娘も寂しいと言っているので、月1回でも中高生が集まる機会があればと思っています。
7人のボランティアメンバーは、昼の仕事を持っている人がほとんど。お弁当は月1回から2回、発注して配るか、いただいた食材で作るかしています。今は150から200食を用意していて、3年間で3倍になりました。皆さん、生活も大変なので、寄付集めも難しい。お弁当は子ども100円、大人200円をいただきますが、容器代もかかるし数も増え、持ち出しになります。コロナの緊急支援で、公的な補助はありました。子ども食堂ネットワークからは物資でいただきます。県のスタートアップ事業として初年度は補助を得て、企業の助成金もいただきました。でも今年の4月からは、助成金申請をしていません。
子ども食堂の運営は20代の若い人に任せて、自分たちで回せるように変えていきたいです。例えば、地域のコーヒー屋さんの豆を購入し、オリジナルブレンドにして販売したり、飲んでもらったり、その売り上げを活動に充てる。畑で野菜を育てて、作物を売る。そういう仕組みを作りたい。去年から、小学校高学年〜中学生の子にイベント企画と運営をやってもらっています」
困っている人のために奔走する斎藤さんが素になれるのは、カフェで大事な友達とお茶を飲む時間。地元でも、コロナ禍に新しいお店が増え、形を変えてリニューアルしたところもあるという。おしゃれなメニューを楽しめて、活動の参考になるし、お店の応援にもなる。
「もともと、社交的ではないんです。NPOや財団にすると、理事の総意が必要とかやりたいことがやれないデメリットがあり、でも大きい支援を受けられるメリットはあります。私たちが任意団体でいる理由は、すぐ動きたいから。3年前にお弁当を配布する時も、自分ですぐに決められました。家族との時間、かけがえのない人との関わりを大事にしながら、自分が体験して必要だと思う活動を続けていきたいです」(斎藤さん)
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その後、コロナがインフルエンザと同等の5類となり、斎藤さんの活動も対面を復活させたり、再開したり、悩みながら前進してきた。子ども食堂や学習支援、ひとり親への食材配布、DVシェルターなど、斎藤さん自身の家族のサポートをしながら奔走している。またいつか、その声をお伝えしたい。