『スッキリ』におけるアイヌ差別表現から考えるテレビの未来──電波返上に向かうテレビ局
東京オリンピックが始まる直前の7月21日、BPO(放送倫理・番組向上機構)が日本テレビ『スッキリ』におけるアイヌ民族への差別表現に関する報告書を公開した。そこで放送倫理検証委員会は、同番組に放送倫理違反があったと判断している(BPO「日本テレビ『スッキリ』 アイヌ民族差別発言に関する意見」 2021年7月21日)。
それはきわめて妥当な判断で、日本テレビ側にとっていっさいの反論の余地はないものだろう。以下、調査を踏まえて出された報告書を参照しながら、テレビ局の未来を考える。
知識不足と緩いチェック体制
問題となる表現があったのは、3月12日の放送でのことだった。番組後半の「スッキりすの週末オススメHuluッス」という2分ほどのコーナーで、アイヌ女性のドキュメンタリー映画を紹介する際に、芸人が「謎かけ」として差別発言をした。
報告書には、この発言が公開されるまでの経緯が記されている。制作に直接かかわったのは、A演出(制作会社P社)、Bディレクター(制作会社Q社)、Cアシスタントプロデューサー(制作会社R社)、Eプロデューサー(日本テレビ)、そして演者である芸人の5人だった。
「謎かけ」として出された差別発言は、4稿まで創られた台本にはなく現場で芸人から提案され、それを採用したものだった。この5人全員は当該発言が差別表現であることは知らず、Eプロデューサーは番組内容のチェックをする考査部(新聞・出版における校閲にあたる部署)に確認することを失念していた。また、統括プロデューサーも事前に内容をチェックしていなかった。
つまり完全な過失だった。こうしたプロセスは、BPOがしばしば対応する捏造(いわゆる「やらせ」)などの案件と比べると複雑性はない。チェック体制が緩く、全員の知識が不足していた。そもそも、コーナー自体がほぼ番宣ということもあって、番組全体における重要度も高くなかった。
感度の低さを指摘するBPO
この報告書でもっとも気になるところは、かかわった全員がアイヌ民族に対する知識が乏しいことだ。Eプロデューサーは「アイヌ民族とはエスニックでかっこいい人たちと認識していたぐらいで、差別されてきた人々であるという知識はゼロ」だったという(報告書p.11)。
以上を踏まえて、BPOは以下のように説諭する。
一方、日本テレビの幹部のひとりは、BPOの調査に対して 「信頼回復のためには研修を繰り返し、繰り返し、そして番組でもきちんと差別問題に取り組むしかない。これまで、私たちは逃げていた、避けていたところがあったと思う。これからは踏み込んでいき、社会に正しいことを知らせていく」 と述べている(報告書p.14)。
7月26日の社長の定例会見において、日本テレビは8月26日放送の『スッキリ』内でこの差別表現についての検証を行うと発表した。よって、そこでは前述した「避けていたところ」に踏み込む姿勢が問われてくる。
日テレ社員12人・外部スタッフ170人
ただ、こうした知識不足やチェック体制のエラーは、実は頻繁に生じている。とくに民放の情報番組やバラエティにおいて、表面化していないトラブルも多数発生している。その根本的な要因は、番組制作の劣悪な労働条件(少ない予算と長い労働時間)にある。
なかでも疲弊しているのは制作会社だ。テレビ番組の実働部隊は外部の制作会社だが、このスタッフに有能な人材が集まらないことは、かねてから指摘されている。大卒は以前から集まらなくなっており、最近では専門学校卒もなかなか来ない状況だ。
有能な人材が集まらないことは、2019年放送のテレビ朝日『スーパーJチャンネル』の不適切演出の際に強く指摘されていたことでもある。BPOによる「放送に夢を持ち力のある人材が自然と集まってくる幸福な時代の終焉を直視」せよとするその意見は、かなり厳しいものだ(「テレビ朝日『スーパーJチャンネル』「業務用スーパー」企画に関する意見」2020年9月2日」)。
現場では、高給取りのテレビ局員が、過酷な労働条件の制作会社のスタッフの多くを指揮している。BPOの報告書でも『スッキリ』のスタッフは、日本テレビの社員は12人で、170人は外部スタッフだと記されている(報告書p.4)。
正直、テレビ番組はかなり限界のところまで来ていると感じることが多い。こうしたなかで、現状のような制作体制を続ければ、今後テレビでは人が亡くなるような重大な事案が生じる可能性もある。
日本テレビの幹部は「研修を繰り返す」と述べているが、制作会社のスタッフに必要なのは、やはり豊かな労働条件と余裕のある制作時間ではないか。まだ具体的な対策は発表されていないが、制作スタッフの時間をさらに奪う研修をするだけでは、むしろ状況を悪化させる可能性もある。
そして、現状の予算で「豊かな労働条件と余裕のある制作時間」を準備できないのであれば、制作スキームのスリム化か、コンテンツそのものの見直しをしていくほかない。
電波返上の未来が待ち構えるテレビ
テレビ“放送”自体にも、明るい未来はない。それほど遠くない未来に、映像コンテンツを電波を使って流すこと自体が必要とされなくなる可能性が高い。すでに多くの動画配信サービスが存在するように、通信(インターネット)を使えばいいからだ。
事実、イギリスの公共放送・BBCは、2034年を目標に放送用電波の返上を議論し始めたと報道されている(内田泰「遅延もはや地デジ並み、「NHK同時配信、BBC電波返上」議論の裏に映像配信の急速進化」『日経 xTECH』2019年11月21日)。
これは不思議な話ではなく、電波以外の映像のインフラが整っているのだから、電波を使う必要はなくなる。むしろ電波を使うコスト(放送料)や免許制による制約がなくなるので、表現の幅も広がる(もちろん放送が免許制だからこそ、今回の差別表現が審議対象となる効果もある)。
実際、民放は今後さらに広告費が減っていき、すでにコンテンツホルダーとしても海外勢(韓国ドラマやNetflix)との激しい競争に晒されている。
現状のままでは、ゆっくり沈んでいく未来しかないことは、おそらくどこの局の幹部も頭では理解している。だが、電波利権にあぐらをかき国内マーケットに過剰に適応してきた結果、インターネットによって相対化された現在は非常に厳しい立場に立たされている。今回の一件も、マクロに捉えれば大きなメディア産業構造の変化から生じたものだ。
どのようにソフトランディングし、未来を打開するか──テレビ局はすでに大きな課題に直面している。