各国外交官が驚いた北朝鮮新外相・崔善姫氏の「下剋上」エピソード
北朝鮮で新外相に抜擢された崔善姫(チェ・ソニ)氏は2000年代、北京で北朝鮮情勢を取材していた記者たちの前に最もその姿を露出した北朝鮮外交官といえる。国際会議の場では、通訳の立場でありながら自らが発言するというエピソードもあり、「通訳ではなく監視役」「彼女に実権がある」という説につながっている。北朝鮮初の女性外相もまた、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の「強対強」姿勢を体現したような人物といえる。
◇職位も2ランク引き上げられ
朝鮮労働党中央委員会第8期第5回総会拡大会議(今月8~10日)で真っ先に取り上げられた議案が「組織(人事)問題」だった。
その中で崔善姫氏は党中央委員候補から党中央委員に引き上げられ、そのままさらにひとつ上の職位である党政治局委員候補に選ばれている。同じ人事で外相にも抜擢されている。
北朝鮮外務省は中央行政機関でありながら、内閣ではなく、国務委員会の指導を受ける特別な組織だ。国務委員会委員長は金総書記であるゆえ、崔善姫氏は直属といえる。
韓国紙・中央日報によると、崔善姫氏は1964年8月、平壌生まれ。1976年に中国・北京外国語学院で中国当局が提供したエリート教育を受けたそうだ。1980年からの平壌国際関係大での外交官養成教育を経て外務省に入り、指導員になったという。
1990年代に党幹部のハン・ヨンクォン氏と結婚したと伝えられる。ハン氏の素性は明らかにされていないが、「崔善姫氏の出身成分からみて副部長級以上である可能性」(中央日報)とされる。
北朝鮮当局者によると、崔善姫氏は崔永林(チェ・ヨンリム)氏(のちに首相)の養子といわれる。一方で、西側情報関係者の中には「本当の娘のはずだ」と主張する人もいて、さらなる確認が必要なようだ。
朝鮮戦争停戦68周年を迎えた昨年7月27日に開かれた「全国老兵大会」では、親子そろって金総書記の前に姿を現し、挨拶を交わしていた。
同関係者によると、崔善姫氏は日本海側の元山(ウォンサン)に別荘を与えられ、そこに米国側の研究者らを招待したことがあるという。元山は金総書記の招待所(別荘)がある場所だ。
◇「この人はいったい何者だ?」
北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議が活発に開かれていた2000年代中盤、崔善姫氏は頻繁に北京に姿を見せた。6カ国協議の首席代表を務めていた金桂冠(キム・ゲグァン)外務次官(当時)の通訳として金桂冠氏とともに行動し、その姿をメディアが昼夜問わず追いかけた。
6カ国協議に出席していたある外交官は、崔善姫氏にまつわる次のようなエピソードを語っている。
「2005年9月、6カ国協議で共同声明が採択される際の全体会合だった。通訳であるはずの崔善姫氏が、ある瞬間、首席代表である金桂冠氏を差し置いてグワーッと発言したことがある。当時、会場には煮詰まった空気が漂っていて、沸点が迫っていた。どこかの国から、北朝鮮側の神経を逆なでするような発言があったようで、金桂冠氏が反応するのを待たずに、彼女がものすごい剣幕でまくし立てた。ともかく迫力があった。私を含め、北朝鮮以外の参加国の外交官は『この人はいったい何者だ?』『いったい、何が起きたのか?』と目を丸くしていた」
別の外交官は、崔善姫氏が2006年4月、北朝鮮代表団に交じって来日し、東京に滞在していた時の様子を語った。
「たまたま金桂冠氏や崔善姫氏と同じバスに乗り、移動することになった。何かのチームが動く時、監督が座るような場所に金桂冠氏が座り、その横に甘えん坊の娘のように崔善姫氏が寄り添った。ふたりは目を見合わせ、金桂冠氏がにこっと笑顔を浮かべていた。その雰囲気だけをみていると、ただの『次官と通訳の関係』ではないと思った。少なくとも、普通ではない何かがある」
かつて、こうした話を北京の北朝鮮当局者にぶつけたことがある。前者について「崔善姫氏が金桂冠次官より力があるはずがない」といい、後者については「論評に値しない」と一蹴された。
◇「コントロールタワー」
北朝鮮の外相は、先代の金正日(キム・ジョンイル)総書記の時代には「お飾り」「かかし」などと揶揄されてきた。当時は、白南淳(ペク・ナムスン)氏や朴宜春(パク・ウィチュン)氏といった外相ではなく、姜錫柱(カン・ソクチュ)第1次官が外交の司令塔となって、金正日総書記に仕えていたという状況にあった。
だが、金正恩総書記の時代に入ってからの李洙墉(リ・スヨン)、李容浩(リ・ヨンホ)の両外相には比較的権限が与えられるようになり、2018年以降は対米交渉の実務を担うようになる。
その流れで崔善姫氏も外務次官、第1外務次官とキャリアを積み、2018~19年の米朝首脳会談に至る実務交渉を取り仕切るようになった。その際、崔善姫氏の本人名義で対米関係の談話を出したり、米国側に金総書記の意向を伝える役割を担ったり、記者会見で金総書記の考えを発表する「報道官」の役割を果たしたりして、活動の幅が広がった。
ただ、米朝対話が不調に終わったことから、崔善姫氏も責任を問われ、2020年7月から約3カ月間、処罰に相当する「革命化教育」を受けたといわれる。
それでも今回、外相に引き上げられ、金総書記の厚い信頼を得ていることがさらに明確になった。崔善姫氏は今後、対米交渉「コントロールタワー」として、また多国間外交の場で、いままで以上に露出することになるだろう。