【TPPへの視角その1】三農問題という視点 大野和興
TPP交渉の大筋合意を受けて、政府や経済界、エコノミストと称する人たちは、「強い農業」「攻めの農業」「大規模農業」「農業は輸出で活路」「いまこの農業のビジネスチャンス」と騒がしいこと、この上ない。これまで数十年、聞かされてきたお題目で、その結果が今の農民の高齢化だったり耕作放棄だったり、といった反省はまるでない。
ではどうすればいいのか。答えはおのずから明らかだ。その反対をすれないい。「強い農業」ではなく「弱い農業」、「攻めの農業」ではなく「攻めない農業」、「大規模」ではなく「小さい農業」、「輸出」ではなく「地産地消」、「ビジネス」ではなく「なりわい」。そして、競争ではなくて共生。
なぜそうなのか。この列島においては農業は農業だけで存在しているのではないという現実があるからだ。ここでは農業と農村、農民は一体のものとしてとらえないと現実を見誤る。何百ヘクタール、何千ヘクタールという規模を持つ米国やオーストラリアの農業であれば、農業問題は農業だけの問題として語ってもよい、しかし、たかだか1ヘクタール台の農業が併存するところでは、その農業を営む人と、その人がくらす地域を抜きに農業を論じることはできない。
その1ヘクタールを何百ヘクタールんすればよいではないか、というのが今の農業論議であることは承知している。しかし、その1ヘクタールは、その地域の自然条件や地形、つまりは風土とそしてそこに住む人びとが長年かけて培ってきた歴史がつくりあげたものなのだ。農業と農村と農民を丸ごととらえ、具体化したのが百姓という存在だと考えている。「強い百姓」などいない。しなやかさ、あるいはたおやかさといった表現が似合う存在が百姓という主体なのだと思う。
カンボジアの村あるきに出かけた2010年、田舎町のホテルの薄暗い灯りの下で、ベッドにもぐりこみ、温鉄軍さんの『中国にとって、農業・農村問題とは何か?―<三農問題>と中国の経済・社会構造』を読んだ。温さんは中国人民大学の先生で、「三農問題」という中国農業問題を解き明かす新しい概念と分析に武器を提起し、大きな論争を巻き起こした人だ。
三農問題とは,中国においては農民の抱えている問題は、農民,農村社会,農業の問題を統一的・総合的かつ重層的ににとらえなければ、問題の所在も本質も、解決策も見えてこないという提起である。1996年、温さんは「『三農問題』の世紀的省察」と題する論文を書き、いま(自分たちが直面しているのは)「農民の生計、農村の持続可能性、農業の安定」のいわゆ「三農問題」だと提起、「東アジア国家がもし、米国のように数百ヘクタールも所有する農場主(farmer)のあり方を私たちのように兼業化した小農経済を条件とする零細「農民」に当てはめ続けるなら、このような基本的概念の取り違えは必然的に一連の理論と政策との間のひどい齟齬を招くことになるだろう」と述べた。
この分析はそのまま東アジアに通底する。TPPが日本の農業を直撃しようとしている今、農業問題を単なる「(産)業」の問題としてとらえるのではなく、村の景観を含む地域の問題、そこに「人」がいるのだという人の生存の問題をしてとらえ返す視点が、とても大事だと思う。そこにTPPへの対抗軸を見つけ、構築したいと考えている。