長野・菅平の夏。女子ラグビーのサクラ、はぐくむ
ラグビーの夏合宿のメッカ、長野県上田市の菅平高原の夏である。蝉しぐれ、澄んだ陽光。朝晩の涼しさ。日中にはラグビー選手たちの汗がほとばしる。8月6日、7日、中学校、高校の女子ラガーたちが躍動していた。強く、美しく。
菅平サニアパークで開かれた7人制ラグビーの『菅平女子セブンズ・オッペンカップ2022』だった。初めて門戸が開かれた中学生は全国各地から17チーム。高校生が31チーム。にぎやかだ。
女子15人制日本代表「サクラフィフティーン」のパフォーマンスディレクターも務めるアルカス熊谷ゼネラルマネージャーの宮﨑善幸さんはすそ野の拡大を歓迎しつつ、「日本中でサクラを育(はぐく)みたい」と言った。サクラとは日本代表の例えである。
「これから木をどんどん増やしていく。サクラの木を。(女子ラグビーの)すそ野が広がれば、それはサクラにつながるのです」
日本女子ラグビーの歴史は男子と比べると随分、浅い。日本ラグビー蹴球協会(現・日本ラグビーフットボール協会)発足が1926(大正15)年。その76年後の2002(平成14)年にやっと日本女子ラグビー連盟が日本ラグビーフットボール協会傘下に加わった。2009(同21)年、男女のセブンズが2016年リオデジャネイロ五輪の実施種目となったことで潮目が変わった。
宮﨑さんは2011年1月、女子セブンズの日本代表ストレングス・アンド・コンディショニングコーチに就任した。以後、11年間、ずっと7人制か15人制の女子日本代表に携わってきている。選手の発掘・育成から強化体制、環境の変化を肌で感じてきた。
この10年で国内の女子ラグビーの競技人口は2倍の約5千人に増えた。課題は小学生から中学生に移る段階だ。宮﨑さんによると、ここで協会登録の約60%の女子選手がラグビーを止めてしまうという。
「理由は、おそらくラグビーを続ける場所がないからだと思うんです。中学にはラグビー部が少ない。ラグビースクールは小学生が中心ですから、地域クラブで続けるしかないのです」
つまり課題は地域クラブ、とくに指導者と男子チームの女子選手の受け入れとなる。そこが緩やかながらも改善されているから、女子のラグビー人口は微増しているのだろう。
「地域クラブの人がすごく頑張ってくれています。少しずつですけど、女子ラグビーを教えてくれるコーチが増えているのです。男子チームのコーチが積極的に女子選手をチームに誘ってくれたら、もっと状況は変わります」
女子ラグビーの人気も隔世の感を禁じ得ない。7月30日の15人制女子日本代表のテストマッチ、南アフリカ代表戦はラグビーワールドカップ(W杯)会場の埼玉・熊谷ラグビー場で行われ、1千929人の観客が入った。
もちろん、単純比較はできない。新型コロナ対策や都市部からの距離、曜日など様々な要因があろうが、7月26日の女子サッカーの東アジアE-1選手権、日本代表『なでしこジャパン』の中国戦(カシマスタジアム)の観客は901人だった。宮﨑さんは「“なでしこ”を超える日がくるなんて」と漏らした。
「競技人口や人気、お客さんの微増をいかに継続するかが大事なのです」
そのためには、女子ラグビーの価値を高め、ラグビーをより多くの人の目に届くスポーツにしないといけないだろう。女子ラグビーの価値は?と聞けば、宮﨑さんは即答した。
「“強さと美しさ”です。強さは、人を吹っ飛ばす力強さではなく、粘り強さみたいなものです。そして、ひたむきに頑張っている姿はみんな、美しいのです」
女子ラグビーの試合や大会の増加、選手の練習環境の改善も、すそ野の拡大、代表強化につながっている。それも、苦難の歴史を築いてきた幾多の女子ラガーたちの奮闘、貢献があればこそだが。菅平での選手の頑張りを見ながら、女子ラグビーというスポーツの躍進を感じる。
最後に。
いま、サクラは何分咲きでしょうか、と聞いてみた。宮﨑さんは笑った。
「まだまだ。二分咲き、三分咲きでしょうか」
菅平の夏。いつか満開のサクラを。夢は高原を駆けめぐる。