シン・リジィ/フィル・ライノットのドキュメンタリーTV番組が海外で話題に
アイルランドを代表するロック・グループのひとつ、シン・リジィのリーダー、フィル・ライノットを題材としたTVドキュメンタリー番組『Phil Lynott: Scealta On Old Town』が熱心なファンの間で話題を呼んでいる。
(“Scealta On”のeとoの上にアキュート・アクセントが付く)
2018年12月30日にアイルランドRTE TVで放映されたこの番組はフィルが1982年に発表したソロ曲「オールド・タウン」のミュージック・ビデオを軸としながら、同時に“アイルランド人としてのフィル・ライノット”に焦点を当てた内容となっている。
「オールド・タウン」は大きなヒットは記録しておらず、この曲を収録したアルバム『フィリップ・ライノット・アルバム』は当時日本で発売すらされなかったが(後になってCD発売された)、現在ではフィルのソロ・キャリアを代表する名曲として愛されている。特にヘイペニー・ブリッジやグラフトン・ストリート、パブ“ザ・ロング・ホール”、ハーバート・パーク公園など、ダブリンの名所でミュージック・ビデオの撮影が行われたこともあり、アイルランドの音楽ファンにとってこの曲は特別な存在となっている。
30分枠のコンパクトな作りながら、世界各地のシン・リジィのマニアから絶賛されているこの番組。フィルを知る人々も多く出演、インタビューを受けている。母親のフィロミナ・ライノット、シン・リジィの初代ギタリストであるエリック・ベル、若き日のフィルが在籍していたスキッド・ロウのブラッシュ・シールズから、ホースリップスのジム・ロックハート、ホットハウス・フラワーズのフィアクナ・オブラニアン、メロウ・キャンドルのアリスン・オドンネルなども語っているが、番組の約半分が英語、約半分がアイルランド語で話されているのが面白い。
シン・リジィやブームタウン・ラッツ、ヴァン・モリソン他の作品でストリングス・アレンジなどを手がけてきたフィアクラ・トレンチも出演、ピアノで弾く「オールド・タウン」が涙腺を決壊させる。
<「オールド・タウン」ミュージック・ビデオのアイリッシュな事情>
「オールド・タウン」のミュージック・ビデオはアイルランドならではの内容だった。
この曲をシングル・リリースするにあたって、レコード会社の“ヴァーティゴ・レコーズ”はヒット性がないとして、ビデオ制作費を出すことを拒絶した。そんなときフィルに救いの手を差し伸べたのが、アイルランドのTV番組『エニシング・ゴーズ』のスタッフだった。
1980年10月から6年間、土曜の朝に放映されていたこの番組では独自にミュージック・ビデオを制作、オンエアすることがあった(アメリカでMTVが開局するのは翌1981年であり、ビデオを作らない音楽アーティストも珍しくなかった時代だ)。
ビデオの撮影は2日間をかけて行われた。フィルに三行半を叩きつけるガールフレンドの役には若手女優のフィオナ・マック・アンナが起用された。彼女はアイルランドで舞台女優として活動。父親の舞台演出家トマス・マック・アンナ、きょうだいでロック・バンド、ロッキー・デ・ヴァレラ&ザ・グレイヴロバーズの一員だったファーディア・マック・アンナのいずれもイギリスや日本ではほぼ無名ということもあり、彼女の“素性”をこの番組で初めて知ったファンも少なくないだろう。
「オールド・タウン」ビデオのハイライトのひとつは、ダブリンの目抜き通りグラフトン・ストリートをフィルが歩き、“女性ファン”とスレ違いざまにクルッと半周ダンスするシーンだ。フィルのダンディな伊達男ぶりが表れた名シーンだが、実はその“女性ファン”が前述のTV番組『エニシング・ゴーズ』に出演していたタレントのバーバラ・ジャックマンだったことも、この番組で語られている。
“仕込み”だったことに少しガッカリするファンもいるかも知れないが、その事実は特に秘されていたわけでもなく、彼女は当時のアイルランドのお茶の間ではそれなりによく知られたTVタレントだったそうである。
<知られざる事実の数々>
筆者(山崎)の目からウロコが落ちたのは、「シタモイア」についてのジム・ロックハートの発言だった。
シン・リジィが1974年にレコーディングした「シタモイア」(オリジナル・アルバム未収録曲)で繰り返される“シタモアイア・シタモアイア・シタモアイア・ギリガナリガ♪”というフレーズの意味について、世界中のファンが論議を交わしてきた。ネット上のアンオフィシャルな歌詞サイトでは“Gidda gadda aga”など、かなりテキトウな聞き取りがされているが、筆者は“Cine gan airgead-a”説を支持してきた。ケルト語でCineはrace・tribe、ganはwithout、airgeadはmoney・silverの意味で、最後にオマケで-aを付けて、“富を持たざる部族”という意味で“キネガナギダ”ではないか?...とする解釈が正しいか否かは、フィルが亡くなった今ではもはや知ることが出来ない。
だが、番組中でロックハートは「シタモイア」が「Si do Mhaimeo i シ・ド・マモーイ」をフィル流に改作したものだと主張している。このアイルランド民謡はケルティック・ウーマンやアルタンなどもレコーディングしているが、“Si do mhaimeo i cailleach an airgid"というフレーズは“彼女はあなたのおばあちゃん、金持ちの夫を亡くした女性”という意味。確かに両曲にはかなりの類似点があり、フィル(日常生活ではアイルランド語を話していなかった)がこの歌詞を聞こえるままに歌ったという説にも納得がいく。
番組中では、さらに知られざる事実が明らかにされている。
フィルが1983年のシン・リジィ解散後に結成したグランド・スラムで発表した「ハーレム」は後に「ワン・ウィッシュ」と改作され、ヒューイ・ルイスのプロデュースでデモがレコーディングされたが、フィルが1986年1月4日に亡くなったため、公式リリースはされなかった。スキッド・ロウのブラッシュ・シールズはこの歌詞の一節について「1968年に自分が書いたもの」だと語っている。
また、「オールド・タウン」で聴かれる印象的なトランペットのパートがビートルズの「ペニー・レイン」へのオマージュだというのも、言われてみればきわめて納得であった。
<ライノット vs リノット 再び>
なお興味深いのは、フィルの名字“ライノット”が番組中の随所で“リノット”と発音されていることだ。
シン・リジィのドラマーで、フィルと少年時代からの友人だったブライアン・ダウニーは筆者とのインタビューでこう語っていた。
「アイルランドではフィルは国民的ロック・ヒーローだったから、誰もが彼が“ライノット”であることを知っていた。でもイギリスでは誤って“リノット”と発音されることもあったんだ」
だが番組が始まる前、アイルランドの半官半民のTV局であるRTEのナレーション(英語)では“リノット”と発音しているし、番組内でフィアクナ・オブラニアンはアイルランド語で話しているにも拘わらず“リノット”と呼んでいる。
フィルは1984年、アイルランドのTV番組『ザ・レイト・レイト・ショー』に出演、クラン・エアダーと「ア・トリビュート・トゥ・サンディ・デニー」を共演しているが(番組中で一部見ることが出来る)、このときも司会者に“フィル・リノット”と紹介されている。ただフィルは特にそれを気にしている様子も見せていない。
結局のところ、正しい発音は“ライノット”だが、フィル本人は“リノット”と誤った発音で呼ばれてもあまり気にしていなかった...ということだろうか。
世界のどこかのライヴ会場で、今日もシン・リジィの名曲が演奏されている。アイルランド・アカデミー賞受賞監督のエマー・レイノルズがドキュメンタリー映画『Phil Lynott: Songs For While I'm Away』を監督するというニュースも報じられるなど、シン・リジィの音楽はこれからも永く聴き継がれるだろう。
『Phil Lynott: Scealta On Old Town』はシン・リジィの初心者からマニアまで楽しむことが出来るTV番組だ。本稿を書いている時点では日本での放映の情報は入ってきていないが、ぜひ公式な形で放映、あるいはソフト化していただきたい。