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世界史に残る3.12を振り返る 福島第一原発事故は社会の価値観を転換できる出来事になっただろうか 

吉川彰浩一般社団法人AFW 代表理事
次世代の若者と原発事故からの学びを共有。画面中央筆者。(筆者所有画像)

3月12日、この日は東京電力福島第一原子力発電所が事故より地域住民避難を生んだ、世界史的出来事が起きた日です。

あの時誰もが、家族を友人を愛する人達を守れるだろうかと不安にかられていました。

それからの混乱を救うべく、多くの人達が人としての美しさや優しさにより動き、このような事故は二度とあってはならないと決意しつつ

生き方の価値観が変わった日ではないかと思います。

あの日から9年が経ちました。

それは当時の小学高学年生が大学生・社会人になるほどの年月、原発事故を知らない人達が沢山生まれている年月でもあります。

原発事故は日に日に風化しています。風化していく現状はあの日が活かされていないという答えを見せているように思います。

あの日の意味を問い直したい

現在、新型コロナウィルスが起因とする社会問題が続々と報じられています。

見えないものに対する不安や恐怖、それに対抗できる風潮や手段のお手本はその事故後の混乱の中で社会は学べたはずです。

世界史に残る出来事は、原発の是非を問うそれが中心的に扱われてきました。

ですが、原発の是非だけを問う出来事ではきっとなかったと今振り返っています。

この国は、かつて原発を未来のエネルギーとして促進してきました。

そこにはきっと夢がありました。

それは豊かな未来という夢です。

原発が出来る前の時代が願った未来の姿として今の姿はどうでしょう。

原発事故後の世界で暮らす私達は、一人一人がありたい自分、過ごしたい未来に向かえているでしょうか。

その様なことを考え巡らす時、原発が出来る前の時代の人達が願った未来と結果が大切なことを教えてくれるように思います。

遠い未来で過ごす人達に向けて、今の世を生きる私達が最善の選択が出来るようになっているかということです。

3.12が、原発事故の惨たらしさ・原発の是非、そうした一面性だけの議論で使われず、対立の道具でもなく、広島・長崎が核兵器の根絶だけでなく平和を願い続ける象徴になったように、いつまでも未来のための価値観の転換の日となることを願ってやみません。

私自身も今も模索しています。

冒頭の写真は原発を預かる立場であった自分自身の反省も踏まえて、東京電力福島第一原子力発電所が生み出したこと、抱えている課題、それらを考察しながら次の未来のための気づきや学びを共有している姿です。

この日を大切に出来るために何が必要か

原発事故後の世界に生きている時代の一人として、今一度一緒に考えてみませんか。

一般社団法人AFW 代表理事

1980年生まれ。元東京電力社員、福島第一、第二原子力発電所に勤務。「次世代に託すことが出来るふるさとを創造する」をモットーに、一般社団法人AFWを設立。福島第一原発と隣合う暮らしの中で、福島第一原発の廃炉現場と地域(社会)とを繋ぐ取組を行っている。福島県内外の中学・高校・大学向けに廃炉現場理解講義や廃炉から社会課題を考える講義を展開。福島県双葉郡浪江町町民の視点を含め、原発事故被災地域のガイド・講話なども務める。双葉郡楢葉町で友人が運営する古民家を協働運営しながら、交流人口・関係人口拡大にも取り組む。福島県を楽しむイベント等も企画。春・夏は田んぼづくりに勤しんでいる。

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