映画「スラムダンク」の大ヒットに学ぶ、非常識を常識に変える作品の力
12月3日に公開されたスラムダンクの映画「THE FIRST SLAM DUNK」の快進撃が続いています。
公開初週の2日間で84.7万人を動員、興行収入は12.9億円を超えたそうで、この規模の興行収入は今年の大ヒット映画となっている映画「ONE PIECE FILM RED」や映画「すずめの戸締まり」に次ぐ規模の模様。
過去に東映アニメフェアとしてドラゴンボールZなどと同時上映で公開されていた頃のスラムダンクの興行収入記録が最大14.5億円だそうですし、マンガの連載が終了してから26年も経った作品の映画の記録としては、驚異的な大ヒットと言って良いでしょう。
参考:「THE FIRST SLAM DUNK」わずか2日で12.9億円 東映「興収100億円超えも期待」
今回の「THE FIRST SLAM DUNK」の公開に際しては、事前にアニメから声優が代わったことや、あらすじが公開されていないことへの批判が大きくメディアで取り上げられたこともあり、映画公開前にはネガティブなニュースばかりが公開されていた印象をお持ちの方も少なくないのではないかと思います。
そのためか映画公開後に「THE FIRST SLAM DUNK」に言及している記事も、「批判や前評判にかかわらずヒット」というトーンの記事が多いようです。
実は、ここに今回「THE FIRST SLAM DUNK」の制作陣や東映サイドが挑戦した映画のプロモーションの「常識」の壁をみることができますので、ご紹介したいと思います。
事前情報をほとんど出さない非常識なアプローチ
通常、映画館で公開される映画においては、公開初週の勢いを最大化するために、公開直前から様々な形で情報を出していくことで、盛り上げを演出していくのが「常識」です。
映画の動員数を最大化しようと思ったら、できる限り多くの映画館で様々な時間帯に上映してもらうことが重要になります。
ただ、公開直後の客足に勢いがなければ、映画館側は当然上演本数を少なくするという判断をすることになります。
もちろん、映画「カメラを止めるな!」のような2館ほどの映画館で公開した映画が、その人気を元に上映館数を増やしていくというケースは過去に存在していますが、これは本当にレアなケース。
参考:カメラを止めるな!は、どのように日本アカデミー賞に辿り着いたのか
通常は公開初週の興行収入が最も重要なため、そこに向けて予告編の公開や、あらすじの公開、関係者のインタビューやメディア露出をさまざまに仕掛けていくのが常識です。
「THE FIRST SLAM DUNK」と同じ東映が手掛けた「ONE PIECE FILM RED」が映画公開前にテレビアニメで前日譚を放映したり、YouTubeで登場人物のライブ配信を実施したりしていたのが象徴的な事例と言えるでしょう。
参考:記録更新続出の映画「ワンピース」に学ぶ、大ヒットの背景にある緻密なハイブリッド戦略
ただ、今回の「THE FIRST SLAM DUNK」では、制作陣も東映も、徹底的に映画に関する情報をほとんど出さないという選択をしました。
特に普通の映画であれば必ず公開される「あらすじ」すら公開しなかったことには、業界関係者も困惑し批判的な記事が書かれる結果になっています。
報道によると映画館で配布するチラシすらも作らなかったということですから、映画業界からいうと完全に「非常識」なアプローチだったと言えるわけです。
参考:『THE FIRST SLAM DUNK』徹底的なシークレット宣伝の結果は?
秘密主義ゆえの批判記事の台頭
こうした秘密主義は、おそらく井上監督をはじめ、「THE FIRST SLAM DUNK」の製作サイドが、この映画に関しては多くの人に素で触れていただくことが一番良いと判断したものだと思われます。
もちろん、映画に関する情報が全く公開されなかったわけではありません。2021年の1月の井上雄彦監督のツイート以降、公式サイトや公式YouTubeから、さまざまな情報や動画は公開されてきました。
ただ、そこには「あらすじ」もなければ一般向け試写会もなく、従来のメディアが映画を事前に紹介するために欲しがる情報がほとんど存在しませんでした。
なにしろ、声優のキャスト発表ですら、主要な役名以外は公表されないという異様な情報統制ぶり。
最近のハリウッド映画では、事前の予告編の動画にクライマックスのシーンが映り込んでいることが少なくないことを考えると、今回の「THE FIRST SLAM DUNK」は、従来の映画のプロモーションからすると考えられないほど「非常識」なアプローチだったと言えると思います。
その結果、起こったことは、アニメ時代からの声優の交代に対する批判記事や、あらすじが公開されないことに対する批判記事が、注目されるという結果でした。
通常であれば映画公開前には、あらすじを元にした映画の紹介記事や、監督や声優のインタビュー記事などが世の中に多数露出することになりますが、今回の「THE FIRST SLAM DUNK」ではそういう記事が書けません。
実際には、公式YouTubeからは、選手達の背番号にちなんだ事前動画が連日公開されており、スラムダンクファンの中では注目されていたのですが、メディアにとっては情報量が少なすぎるわけです。
一方で、世の中の映画に対する注目度は高いため、メディアとしては数少ない話題から記事を書くしかなく、批判記事が必要以上に注目を集めてしまった結果になったと言えるでしょう。
作品の力がポジティブな口コミを生む
上記のような理由から、事前の記事はネガティブな記事ばかりという異様な状態から公開日を迎えた「THE FIRST SLAM DUNK」ですが、その後の結果は皆さんご存じの通り。
公開初日には、待ちに待ったファンが喜びのツイートを多数した結果、ツイッターに「スラムダンク」がトレンド入り。
66,000件を超えるツイートがされていたようです。
私自身も初週に観に行くことができなかった結果、周辺の友人から「最高だった」「早く観に行った方が良い」と強烈なお勧めを受けることになりましたし、多くの人が「2回目を観に行く」と言っていたのが非常に印象的でした。
映画のプロモーションとしては「非常識」な選択をした今回の「THE FIRST SLAM DUNK」ですが、映画が非常に革新的なつくりでもあり、完成度が高いからこその秘密主義だったというのは映画をご覧になった方なら分かると思います。
映画に関する情報がテレビや新聞雑誌などのメディアからしか入手できなかった時代には、「あらすじ」や「チラシ」などの映画の販促物は作ることが必須の手段だったのかもしれません。
ただ、現在のように映画製作サイドが直接ツイッターやYouTubeなどでファンに情報を届けることができ、スラムダンクのようにコアなファンが多い映画であれば、実はそうした従来の手段を使わなくても、ファンの口コミによって作品の良さを拡げることができる、ということが、今回「THE FIRST SLAM DUNK」の大ヒットにより明確に結論として出たと言えます。
特に、映画製作サイドがこうした事前の秘密主義を徹底した結果、映画を観に行ったファンの方が私に映画の感想を伝えるときにも、「最高だった」以外のネタバレにつながる感想を極力触れないようにしているのが非常に印象的でした。
今や、「ファスト映画」が大きな問題になったように、SNSやネットを使えば、映画の概要や情報は簡単に取れてしまう時代です。
ただ、だからこそ、ファンにシンプルに映画を楽しんでもらうために、あえて情報をできるだけ出さずに、素の状態で映画を楽しんでもらいたいという「THE FIRST SLAM DUNK」の「非常識」なアプローチは、ちゃんと今の時代の「常識」としてファンの心に届いていると言えるのではないかと思います。
スラムダンクの連載開始時からのファンである私にとっても、今回の「THE FIRST SLAM DUNK」は、マンガの登場人物がそのまま現実の世界で動き出してくれたような衝撃を受けました。
本当に最高の映画ですので、事前のネガティブなニュースに触れて誤解をされている方は、是非、そのニュースは忘れて素の状態でご覧になることをお勧めしたいと思います。