息子のひき逃げ現場で両親が訴える 「時効まであと2年……」の理不尽
「今年もまた、主人と二人でこの場所に来ました。どんな些細なことでも、情報がひとつでも集まれば、そう思って、毎年、チラシ配りをしているのですが……」
2月25日、山梨県甲斐市志田の国道20号線(韮崎警察署甲斐分庁舎前)の事件現場で行われた慰霊式を終え、静かな口調でそう語るのは、平野るり子さん(65)です。
平野さん夫妻は、毎年この日に必ず、佐賀県の自宅から飛行機と鉄道を乗り継ぎ、時間をかけて山梨県の事件現場まで足を運んでいます。そして、山梨県警や犯罪被害者支援センターのスタッフ、友人らの協力を得て、事件現場のすぐそばにあるショッピングモールで、情報提供を呼びかけるチラシの配布をおこなってきたのです。
■目撃者も証拠もほとんどない、深夜のひき逃げ事件
三男の隆史さん(当時24)が、この地でひき逃げ事件に遭ったのは、今から8年前、2011年2月25日未明のことでした。
大学を卒業後、大手の飲料メーカーに就職。事故現場のすぐ近くで暮らしていた隆史さんは、事件の前日、2月24日の夜、会社の送別会に出席していました。そして、25日午前2時50分頃、同僚が自宅の近くまで送り、それから約1時間後、国道20号線で倒れているところを通りかかったトラック運転手に発見され、救急搬送されたのです。
知らせを受けて平野さん夫妻が駆けつけたとき、隆史さんはすでに人工呼吸器をつけ、集中治療室で処置を受けていました。
懸命に呼びかけても反応はなく、2日後、一度も意識を回復することなく息を引き取りました。
山梨県警は現場の状況などから、「ひき逃げ死亡事件」と断定。しかし、現場には、車の破片や落下物、ブレーキの痕跡などはほとんど残されていませんでした。
また、この道は交通量も多く、他府県ナンバーの長距離トラックなどが頻繁に行き交う幹線道路です。捜査は難航し、犯人につながる有力な手掛かりがないまま時間だけが経過したのです。
「あの日から8年が経ちました。でも、つい昨日のことのようによみがえります。昨年、ひき逃げの方が先に時効を迎えてしまい、本当に悔しい思いをしました。次は、事故そのものの時効が2021年に迫り、2年を切ってしまったことになります。時効が来たら、本当にもう何もできなくなる……、それが私たち遺族にとって、何より辛いことです……」
■「ひき逃げ」は道交法違反。時効は7年で消滅
ひき逃げ死亡事件が発生した場合、加害者には、「事故を起こしたこと」と「被害者を救護せずに逃げたこと」の、2つの罪が適用されます。ところが、ひとつの事故ではありますが、時効に関しては、それぞれに長さが異なっているのです。
1) 加害者が交通事故を起こしたことについて
「過失運転致死罪」 → 時効10年
2) 被害者を救護せず逃げた行為について
「救護義務違反」(道路交通法) → 時効7年
つまり、事故から7年を過ぎて加害者が見つかったとしても、「ひき逃げ」の罪に問うことはできません。さらに、そこから3年が過ぎれば、逃げ切った犯人は10年という時効を迎えるため、もはや一切の罪には問えないのです。
平野さんは語ります。
「私たちは、息子がこうした事件の被害に遭うまで、ひき逃げに時効があること自体、全く知りませんでした。きっと、ほとんどの方がそうだと思います。でも、実際に遺族の立場になって初めて、日本の法律はおかしいことに気づかされました。
ひき逃げは悪質です。すぐに救護すれば命が助かるかもしれないのに、被害者を放置して逃げる行為は殺人と同じではないでしょうか。それなのになぜ、ひき逃げの時効のほうが、事故を起こしたことより3年も早いのか?
そもそも、逃げ続けている犯人に、時効など必要なのでしょうか……。私たちはただ、ひとりの大切な命を奪った罪を認め、償ってほしいだけなのです」
過失運転致死罪の時効が迫る中、平野さん夫妻は最高500万円という懸賞金をかけて、有力な情報提供の協力を呼びかけています。
2011年2月25日、東日本大震災が発生する2週間前、国道20号線(甲州街道)を通った車や、この当時、不審な行動をとっていた人物情報など、どんな小さなことでも結構です。時効まで時間がありません。
お心当たりのある方は、下記へ電話をしてください。
●山梨県警韮崎警察署
TEL/0551-22-0110
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