「ひき逃げ」の時効をなくしてほしい。大切な人を失った遺族たちの訴え
「突然、息子を失った怒りや悲しみ……、それをぶつけようにも、相手すらわかりません。逃げ続けている犯人に、なぜ時効など必要なのでしょう。私たちはただ、ひとりの大切な命を奪った罪を認め、償ってほしいのです」
そう語るのは佐賀県小城市の平野るり子さん(65)です。
平野さんの三男・隆史さん(当時24)は、2011年2月25日未明、山梨県甲斐市志田地内(ラザウォーク甲斐双葉前)の国道20号線で倒れているところを、通りかかったトラック運転手に発見され、救急搬送されました。
しかし、一度も意識を回復することなく、2日後に亡くなりました。
警察は、車にはねられた「ひき逃げ事件」と断定。しかし現場には遺留物はほとんどなく、犯人に結びつく目撃情報も少なかったため、捜査は難航しました。
事件の風化を恐れた平野さん夫妻は、私的な懸賞金をかけて情報提供を懸命に呼び掛け、毎年2月25日には必ず現場に出向いて、ビラ配りも行なってきました。
しかし、犯人逮捕に結びつく有力な情報は得られないまま、事件発生から7年が経過した2018年2月25日午前0時、ついに「ひき逃げ」の時効を迎えたのです。
■ひとつの事件の中に存在する、2つの時効
平野隆史さんのひき逃げ死亡事件が発生した当時、加害者には、以下の2つの罪が「併合罪」(最高懲役は合わせて15年)としてかかりました。
1)「自動車運転過失致死」(刑法211条)
死亡事故を起こしたことについて
*2014年の法改正で、「自動車運転過失致死傷罪」は「過失運転致死傷罪」に改称
2)「救護義務違反」(道路交通法第72条)
被害者を救護せず逃げた行為について
この2つの罪の『時効』は、それぞれ長さが異なっています。
●「自動車運転過失致死」→ 10年。
●「救護義務違反(ひき逃げ)」→ 7年。
つまり、事故から7年が過ぎると、先に、ひき逃げの時効が成立するのです。
■犯人が逃げ続ければ7年で消える「ひき逃げ」の罪
じつは、このアンバランスに納得できず、苦しんでいる遺族は少なくありません。
今、まさにその渦中にいる平野さんは、2つの罪の時効の長さについて、むしろ逆ではないかという疑問を投げかけています。
「誰しも、事故自体は起こそうと思って起こすわけではないでしょう。でも、ひき逃げは違います。すぐに被害者を救護すれば助かるかもしれないのに、それを見殺しにして逃げるというのは、絶対に許されない悪質な行為です。それなのに、なぜ、ひき逃げの時効のほうが交通事故を起こした罪より3年も短いのか? 私たちにはどうしても理解できないのです」
さらに平野さんを苦しめているのは、量刑が時効を境に変化する問題です。
「ひき逃げが先に時効を迎えることで、救護義務違反の罪が消えてしまい、15年の最高懲役はいっきに7年にまで下がってしまうのです。残る3年の間に犯人が捕まったとしても、逃げたことによって、刑まで軽くなるなんて……」
助かるかもしれない命を放置して現場から立ち去るひき逃げ行為は、その悪質性から、過去にも多くの遺族や被害者たちが厳罰化を求めて声を上げてきました。
その結果、2007年の道路交通法改正によって、ひき逃げ(救護義務違反)の刑の上限は、懲役5年から10年に引き上げられ、時効も、2010年には5年から7年に延長されました。
しかし、7年という歳月は瞬く間に過ぎてしまいます。結局、7年の時効までに犯人逮捕にこぎつけられなかった平野さんは、さらなる苦しみを強いられているのです。
■「人とは思わなかった」で、ひき逃げ自体が認められないケースも
「私の父が死亡したひき逃げ事件では、加害者が自己防衛的な供述を繰り返したため、結局、『ひき逃げ』で起訴されるまでに3年8か月もかかってしまいました。もし、私たちが独自に検証実験などをしなければ、ひき逃げすら認められないまま、単なる死亡事故で警察に処理されていたと思います」
そう語るのは、愛知県の鈴木徳仁さん(48)です。
事故は2012年7月27日、午前0時30分頃、名古屋市南区の見通しの良い直線道路で起きました。
この日、中華料理店で飲食をしていた父親の登喜夫さん(当時69)は、酒に酔っていたせいか店の前の歩道の縁石につまずいて車道側に転倒。自分で起き上がろうとしたとき、乗用車にひかれたのです。
登喜夫さんの身体に乗り上げた乗用車は、目撃者の「とまれ!」という制止を振り切って、そのまま逃走。登喜夫さんは病院に運ばれましたが、間もなく死亡しました。
加害者の会社員(当時36)が逮捕されたのは、事故から約1時間半後のことでした。帰宅後、妻に「何かひいたようだ」と告げ、自ら現場へ戻ってきたのです。
ところが、加害者はその後、事故を起こしたことについては罰金30万円の略式命令を受けたものの、「救護義務違反」(ひき逃げ)については不起訴となりました。逃げたことは認めているのに、です。
その理由について、名古屋地検の副検事は鈴木さんにこう説明したと言います。
「加害者は『ひいたのは袋に入ったゴミか石だと思った』と供述していた。つまり人だという認識がなかった。だから、この事故はひき逃げには当たらない」
納得できなかった鈴木さんは、後続車のドライブレコーダーに記録されていたひき逃げの瞬間映像を添えて、検察審査会に「不起訴不当の申し立て」を行いました。
同審査会は、「大きな衝突音や乗り上げた際の衝撃があったにもかかわらず、運転手が何もせず走り去ったことは理解の範囲を超えている」として、不起訴不当、つまり加害者をひき逃げの罪で起訴しないのは不当という議決を下しました。
しかし検察は判断を曲げることなく、その後2度にわたって加害者を不起訴にしたのです。
■3度の不起訴を経て、独自の轢過実験……
「ゴミだと思ったら逃げていい? そんなことが許されていいはずがありません。ゴミだと思っても、人かもしれないじゃないですか。それなりの衝撃を受けたら、とにかく車を停めて確認すべきでしょう」
納得できなかった鈴木さんは、最後の手段として、自費での実証実験を決行しました。
亡父と同じ体格のダミー人形、そして加害車両の同型車を用意し、実験用のコースを借りて実際に人形を轢過し、その時に感じる大きな衝撃を記録しました。そして実験結果を最高検察庁に提出し、再捜査を訴えたのです。
その結果を受けた検察は、ようやく3度目の再捜査に乗り出すことになりました。
そして、事故から3年8カ月が経った2016年3月、一転、加害者を「救護義務違反」と「報告義務違反」の両罪で在宅起訴。刑事裁判が開かれ、起訴から約2年後、懲役6カ月執行猶予2年の有罪判決が確定しました。
この時点で、既に事故発生から6年近い歳月が流れていたのです。
■加害者の嘘による「逃げ得」は許さない
「父の事件のように、警察や検察が素早く適切な捜査をしてくれるとは限りません。加害者が巧みに嘘をつけば、ひき逃げすら認められないまま、あっという間に時効を迎えてしまいます。まさに逃げ得です。多くの被害者が泣き寝入りをしているのではないでしょうか」
そう語る鈴木さんは、この事故をきっかけに、『逃げ得を許さない会』を立ち上げました。
現在、中部地方の学校などを中心に講演や被害者支援活動を行いながら、さまざまな活動に力を入れています。
2011年に息子の隆史さんを失った母親、平野るり子さんは、2018年7月、福岡で開催された「九州・沖縄犯罪被害者大会」に登壇し、ひき逃げ時効問題についてこう訴えました。
「息子の引き逃げ事件は今年2月、救護義務違反の時効が成立してしまいました。でも、私たち遺族に時効はありません。彼の無念が少しでも法律を変える礎になってくれることを願っています」
自動車運転過失致死の時効まで、あと2年と数カ月残されています。平野さん夫妻は、今も犯人につながるどんな些細なことでも、情報があれば寄せてほしいと、手がかりを求め続けています。
●『犯人不明で時効成立。夫のひき逃げ事故から40年。消えない家族の苦しみ』では、ひき逃げ時効の問題について、法務省及び、刑事訴訟法の専門家の意見も取材しています。