音楽教室対JASRAC裁判の地裁判決は「一般人の常識に即した」ものか(後編)
争点5:楽譜の購入により演奏権は消尽するか?
著作権の「消尽」とは、著作権の対価が一度発生すると権利は役目を終えて消滅し、それ以降の権利行使は「二重取り」として認められないという考え方です。譲渡権については、最初の適法な譲渡(販売)により消尽することが著作権法に定められています。これは、一般常識として当たり前で、自分が買った正規版の本やCDを中古屋に売ったり、オークションに出品しても著作権侵害を問われることはありません。
ただ、当然ながら、これは譲渡権に関する話であって、他の権利(支分権)が全部消尽するわけではありません。ちゃんと金払ってマンガ本を買ったのだから、それをネットにアップしようが、Tシャツにして売ろうが自分の勝手であるという理屈が通らないというのも「一般常識」かと思います。
音楽教室側は、「レッスンで使用する楽譜等及びマイナスワン音源は教師及び生徒に購入された後に演奏に用いられることが当然に想定され、被告(JASRAC)はこれが譲渡される際に、複製権のみならず演奏権の対価を含めて使用料を徴収する機会があるから、演奏権についても消尽する」と主張していますが、正直、相当無理があります(2ちゃんねるやツイッターでのコメントならまだしも、裁判の場でこういう議論が真面目に出てくるとは思いませんでした)。
ところで、世の中には、一度正規に購入すれば後は演奏も複製も自由にできるロイヤリティフリー音源のようなものはありますが、それは権利者が自発的に権利の行使をしないと言ってるだけの話です。「ありのままで」(アナ雪)の作曲者やレノン/マッカートニー等(の音楽出版社)が、そのような考え方を取っていることは「一般常識に即して」あり得ません。
さらに言うと、ヤマハの音楽教室(および、発表会)でのみ使用されるであろうエレクトーンのオリジナル練習曲のような楽曲の多くは、ヤマハ音楽振興会を出版社としてJASRACに信託されています。もし、楽譜の対価が支払われれば後は自由に使って良いというのがヤマハ音楽振興会の考え方なのであれば、(少なくとも演奏権は)JASRACに信託せず、楽譜をロイヤリティフリーとして提供すべきではないでしょうか?(これは、裁判で論じられた話ではなく、私の個人的感想です)。
争点6:CD再生における違法性
これは、争点5と似た話ですが、話をCD再生に限定し、レッスンの場にいる全員が既にCDを所有していることから、それを聴く権利を有しているので、それをレッスンの場で再生しても著作権侵害にはならないという主張です。これも、裁判所には一蹴されています。
争点7:権利濫用
権利濫用という主張は、法律の解釈上どうしようもない場合の最後の手段として苦し紛れに使われることが多いです。今回も「発表会では著作権使用料を払っているので、その準備であるレッスンからも徴収するのは権利濫用」、「著作権使用料が発生すると萎縮効果により音楽文化が衰退する」といった「とりあえず言っておくか」的な主張がされていますが、これまた、裁判所には一蹴されています。
しかし、最後の主張として、JASRACが現行著作権法制定後32年間にわたり権利行使してこなかったのに今急に権利行使してきたのは権利濫用であるとの主張がなされています。これはちゃんと検討する価値はあるでしょう。俗に「権利の上に眠る者を法は保護せず」という考え方です。
結論としては、裁判所は、JASRAC側の、平成12年の著作権法改正でCDの再生にも演奏権が及ぶことになったのを機に音楽教室との交渉を開始した(しかし梨のつぶてだった)ので、何もしていなかったわけではないとの主張を認めています。しかし、よくよく考えると、今回の話はCD再生に限った話ではなく、通常の(人による)演奏の話なので、この主張はちょっとおかしい(少なくとも説明不足)ではないでしょうか?控訴審で争うならこのあたりかなとも思ったりします。
判決文に関する考察はいったんこれで終了しますが、このトピックについては、あと数本書いていく予定です。