養子を迎えた家族のその後
4月4日は「養子の日」。生みの親と一緒に暮らせず社会的な養護が必要な子どもは約4万5千人。施設より家庭的な場所で暮らせるよう進められている。望まない妊娠をして赤ちゃんを死なせてしまったり、虐待したりの事件が後を絶たず、一方で不妊治療に悩む人も多い。そんな中、母子を守り、新しい家族をつくる形として特別養子縁組が注目されている。私は一昨年、養子を迎えた家族を取材した。その後の物語を聞いた。
生後5日でお迎えに
東京都内に住む40代のサオリさんは、2歳のユウ君(いずれも仮名)が生後5日の時に、家族に迎えた。不妊治療をしているうち、夫婦で養子に気持ちを向けるようになった。
迎えるまでは簡単にはいかなかった。最初は東京都の研修を受け、チャンスを待っていたが受け入れ側の年齢の上限が迫っていたこともあり、養子縁組を仲介する民間の団体に連絡した。
順番を待ち、やっと説明会に参加できた。面接や手紙で自分たちの考えをしっかり伝える必要があった。実際に養子を迎えた人や希望する仲間と交流した。準備を重ねていたところ、団体から育てられない女性がいると連絡があって遠方にユウ君を迎えに行った。
身内や友達のアドバイスを聞きながら、手探りの子育て。大変だという気持ちはなかった。ユウ君が入院し、パパとママとおじいちゃんで交代して付き添ったこともある。1歳を前に、特別養子縁組の手続きもできて、家族になった。
このような物語をハフポストにて紹介した。
やんちゃになりプレスクールへ
記事が掲載されてから約1年半。ユウ君はどうしているのだろうか。再びサオリさんに話を聞いた。
ユウ君が2歳近くなると、ますますやんちゃになって、行くところがあったらいいなと思ったサオリさん。仕事をしているので近くのおじいちゃんに預けていたが、高齢で長時間は難しい。
たまたま近所にプレスクールができて見に行った。英語が好きなユウ君は、YouTubeで見ていた曲が流れると気に入って帰りたがらなかった。
2歳4カ月の時にそのスクールに入り、週3回通っている。それまでは児童館で思い通りにならないときに大泣きしたり、ひっくり返ったりした。みんな一緒の行動が嫌いで、座っていることもなかった。
「スクールから送られてくる写真を見ると、ちゃんと座ったり話したりしていた。楽しそうだし入ってよかったなと思いました」。スクールの後はおじいちゃんの家で楽しく過ごしている。
養子迎えた仲間と支え合い
それでも、最初の2ヶ月は慣れなくて大変だった。集団生活を始めて、病気も多かった。熱が出て呼び出され、中耳炎を繰り返す。冬の間は、サオリさんも体調を崩し、親子でインフルエンザになってしまった。
パパは夜遅くまで仕事だ。「ユウ君にママがいい!って言われたときには落ち込んでいました。パパとしてへこたれる時もあるけれど、忙しいのは私も理解しているので」。朝にサオリさんが出かける準備をする間は、パパがユウ君と遊んでいる。土日は休みなので家族で出かける。
養子を迎えた仲間とは、ずっと連絡を取り合っている。乳児院で開かれる茶話会にも行く。「発達や生い立ちの告知など、様々なテーマで勉強会を開いてくれるのでありがたい。仲間と成長の悩みを話せます」。仲介した団体の催しにも、できる限り参加している。
普通の悩み持つ家族になった
サオリさんは、ユウ君に赤ちゃんの時の写真を見せながら、こういう時もあったねと親子で振り返り、将来、知りたいことが出てきたら話しやすい関係を作っている。
「どんな言葉で告知するかは考え中です。だけど、心配はありません」
サオリさんは親として子どもの病気に右往左往し、発達の心配をしている。養子を迎えた家族の集まりで出るのは、告知の悩みが多いが、サオリさんは「どういう習い事をすれば良いか、どんな幼稚園に行ったらいいか」「感情の爆発をどうしよう」などと、普通の育児相談をしているという。
特別養子縁組についてサオリさんはこう話す。「他の人に、これはいいですよと勧めるものではありません。でも選択肢の1つとして知っておくのは良いことだと思います。私はいつも、自己紹介するときにユウ君が養子だって話すのを忘れちゃう 。それぐらい自然に家族になっているんです」
養子の日にちなみ、日本財団は特別養子縁組への理解を深めるイベントを4月7日、SHIBUYA109 EVENT SPACEで開く。別会場で養子縁組当事者向け座談会も。イベント詳細はこちら。