名古屋入管でのスリランカ女性の死、真相究明求める支援者の訴えと心情
名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)に収容されていたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん=当時33歳=の死の真相究明を求める声が高まっている。
25日には全国一斉行動が呼び掛けられ、名古屋ではウィシュマさんが亡くなる直前まで面会を続けていた支援者や、来日中のウィシュマさんの妹らが名古屋駅前に集合。「入管はウィシュマさん収容中の様子を収めたビデオ映像の全面開示を」などと訴え、署名を呼び掛けた。
全国一斉の街頭活動、名古屋には支援者ら集結
名古屋で「スタンディングデモ」を企画したのは、外国人労働者や難民問題に取り組む支援団体「START」のスタッフや学生ら。名古屋駅前の街頭で横断幕やのぼりを立て、集まった報道陣や通行人を前にウィシュマさんが今年3月に死亡するまでの経緯を説明した。
ウィシュマさんは体調不良から食事がとれず、まともに歩けないほど衰弱していった。にもかかわらず、点滴も受けさせなかった入管の対応を「こんなことが許されていいんでしょうか」と指摘した。
来日中のウィシュマさんの妹、ポールニマさんも街頭に立ち、「入管はウソを言って私たちを振り回しています。入管から出された書類はみんな黒く塗りつぶされていて、真相は分からない」と批判。入管から一部開示されたビデオ映像については「姉が苦しがっている姿を見て、とても最後まで見られなかった。弁護士立ち会いの元で(すべての)ビデオを見せてもらいたい」と訴えた。
もう一人の妹、ワヨミさんはビデオ映像に強くショックを受け、スリランカにいる母親も体調がすぐれないため、2日前に帰国した。一人残されたポールニマさんは「今ここで私が何を言っても、姉は戻ってこない。ただ、姉の死の真相を知るため、日本に滞在して頑張る覚悟です。助けてくださる日本人の皆さんにとても感謝しています」と述べた。
「問題見過ごしてきた私たちにも責任の一端」
STARTの学生からは、こんな問い掛けもあった。
「入管から差別、抑圧される外国人の方々は、苦しい生活の中でずっと声を上げてきました。法務省・入管庁による外国人差別、人権侵害を見過ごしてきた私たち日本人にも、その責任の一端があるのではないでしょうか」
緊急事態宣言下とはいえ、それなりに人通りのある名古屋駅前。だが、学生たちの訴えに足を止めて署名したり、ビラを受け取ったりする人たちは決して多くなかった。この問題を身近に捉えてもらうには、まだ時間や工夫が必要なのかもしれない。
そんな中、支援者の列でひときわ異彩を放っていたのは愛知県津島市の眞野明美さんだ。この日は茶とオレンジを基調とした服を身にまとい、カラフルなイラストや写真を添えた横断幕などを用意して街頭に立った。
ウィシュマさんが仮放免されたら受け入れ先として自宅の一室を提供しようと、昨年12月から名古屋入管に通って面会を重ねていた。外国人支援を専門にしていたわけではなく、「むしろ“プロ”でない立場で何ができるかを考えてきた」という。
シンガーソングライターとして活動していた経験もあり、喜怒哀楽を包み隠さずウィシュマさんに寄り添った。「つらいことを忘れるために絵を描いて」とカラーペンや画用紙を差し入れ、手紙の交流を続けた。絵心のあったウィシュマさんから届いた13通の手紙には、色彩豊かな絵とともに日本での喜びや驚き、そして死を目前にした苦しみや恐怖が生々しく綴られていた。
結果的にウィシュマさんを救えなかった眞野さん自身、後悔や自責の念も大きかった。しかし、この問題を考える貴重な資料として、眞野さんの見方を交え、遺族の了解も得て一冊の本にまとめることになった。地元名古屋の老舗出版社、風媒社から来月中旬には出版される見込みだ。
この日、出版社が仮製本した見本冊子を、眞野さんがポールニマさんに手渡した。手紙自体はポールニマさんも来日後に目にしていたが、あらためてまとまった本を手に取り、「姉がどういう状態に置かれて何を考えていたのか、こうしてまとめて記録されていてありがたい」と話していた。
実は、この本には私も構成などの編集協力として関わっている。その経験も踏まえたこの事件の意味や教訓は追って記事にしてみたい。